宇津ノ谷の鬼伝説(5)
文字数 1,531文字
蔦の細道へ行く左ではなく、僕は国道一号線を渡り右へと向かった。そして、川に沿うように旧東海道を行き、間宿 にあたる宇津ノ谷集落へと入っていく。
宇津ノ谷集落……。そこは、急な坂の細道を挟んだ風情ある家並みの町だ。
今回、調査目的でここに来ている為、どこにも寄りはしなかったが、フィールド調査でなければ、ここを散策するのも悪くは無かったろう(これで耀子先輩と一緒であったならば、もう何も云うことは無いのだが……)。
さて、この宇津ノ谷集落を抜けると、「祥白童子」が姿を現すと云う、宇津ノ谷隧道まで、後ほんの少しだ。
僕は宇津ノ谷集落を抜け、時折車の通る車道の脇を歩いて通ってから、宇津ノ谷隧道の静岡口までやってきた。
宇津ノ谷隧道は、明治時代に造られた隧道 と云うだけあって、そこは現代の物とは違う、古い洋館の様な、歴史と云うか、特別なエナジーの様な物が感じとれる場所だった。
だが、だからと言って、それが必ずしも妖怪の気配とは言えないと僕は思う。
カンテラが揺れれば陰も揺れるし、小さな物音も大きく響く。一般に隧道 と云う場所は、そう云う所だろう。
大体、歴史的な建造物、特にこの様な山の中にある場合には、苔も生 すし、物に依っては蔦も絡まる。それは怪しい事では無く、時間の為せる業と云うもの。それが全て、悪しき妖兆と云うのなら、妖気の無い場所など、日本中どこを探してもある筈がない。
僕はその隧道 を、向こう側の出口である岡部口まで歩いて抜けた。別にどうと云うこともない。このまま岡部口の入り口を眺め、もう一度、元の静岡口まで戻る為、中へと入っていく。復路も特に問題はなさそうだ。
もし、ここに耀子先輩がいたら、どうなるだろうか……?
お化けや幽霊の苦手な彼女のことだ、「気味が悪いからさっさと帰ろう」などと言って、僕の腕を抱えたまま、隧道 から強引に引きずり出すかも知れない……。
その時、僕の腕を抱えた者がいる。そして彼女は僕にこう言った。
「幸四郎、一緒に歩いていい? だって、怖いんだもん……」
「耀子先輩?!」
それは間違いなく耀子先輩だった。僕にはどんなに暗い隧道 の中でも、彼女の声なら直ぐに分かる。彼女の澄んだ声は、何時でも僕のお気に入りだ。
だが実を言うと、今、僕と耀子先輩は少し上手く行っていない。分かり易く云うと、少々気まずい関係になっていた……。
「幸四郎……、怒ってる?」
耀子先輩は、そう僕を上目遣いで眺める。
この目付きで覗き込むのは、はっきり言って狡い。年上の女性だとしても、こんな風に好きな女性に可愛くお願いされたら、誰だって許してしまうに決まっているじゃないか。
「勿論、怒ってましたよ……。でも……、もう忘れました……」
「ありがとう! 幸四郎!!」
耀子先輩はそう言って、嬉しそうに笑いながら、ぐっと僕の腕を引き寄せる。そうされてしまうと、僕ももう何も言えない。これ迄の僕の心の中に在った蟠 りは、ドライアイスが昇華してしまう様に、白い霧となって全部消えて行ってしまった。
「幸四郎、お詫びも兼ねて奢るから、一緒に山を降りて街で食事でもしない? 私、こんな気味の悪い場所、早く離れたいわ!」
「そうですね……。じゃ、静岡口を出たら、もう戻りましょうか……?」
「うん。そうしよう!!」
僕と耀子先輩は、恋人同士の様に手を握り、暗い隧道 を進んで行く。
それにしても……、
僕が考えた程には、先輩はこの心霊スポットを恐れてはいない様だった。だが……。
「遅かった……。どうやら現れた様ね」
耀子先輩はそう言うと、前方に広がる闇に浮かぶ白い影を指差した。
先輩が指差した物……、
それは、妖しく薄っすらと輝く、平安時代の稚児の様な幻影だったのである……。
宇津ノ谷集落……。そこは、急な坂の細道を挟んだ風情ある家並みの町だ。
今回、調査目的でここに来ている為、どこにも寄りはしなかったが、フィールド調査でなければ、ここを散策するのも悪くは無かったろう(これで耀子先輩と一緒であったならば、もう何も云うことは無いのだが……)。
さて、この宇津ノ谷集落を抜けると、「祥白童子」が姿を現すと云う、宇津ノ谷隧道まで、後ほんの少しだ。
僕は宇津ノ谷集落を抜け、時折車の通る車道の脇を歩いて通ってから、宇津ノ谷隧道の静岡口までやってきた。
宇津ノ谷隧道は、明治時代に造られた
だが、だからと言って、それが必ずしも妖怪の気配とは言えないと僕は思う。
カンテラが揺れれば陰も揺れるし、小さな物音も大きく響く。一般に
大体、歴史的な建造物、特にこの様な山の中にある場合には、苔も
僕はその
もし、ここに耀子先輩がいたら、どうなるだろうか……?
お化けや幽霊の苦手な彼女のことだ、「気味が悪いからさっさと帰ろう」などと言って、僕の腕を抱えたまま、
その時、僕の腕を抱えた者がいる。そして彼女は僕にこう言った。
「幸四郎、一緒に歩いていい? だって、怖いんだもん……」
「耀子先輩?!」
それは間違いなく耀子先輩だった。僕にはどんなに暗い
だが実を言うと、今、僕と耀子先輩は少し上手く行っていない。分かり易く云うと、少々気まずい関係になっていた……。
「幸四郎……、怒ってる?」
耀子先輩は、そう僕を上目遣いで眺める。
この目付きで覗き込むのは、はっきり言って狡い。年上の女性だとしても、こんな風に好きな女性に可愛くお願いされたら、誰だって許してしまうに決まっているじゃないか。
「勿論、怒ってましたよ……。でも……、もう忘れました……」
「ありがとう! 幸四郎!!」
耀子先輩はそう言って、嬉しそうに笑いながら、ぐっと僕の腕を引き寄せる。そうされてしまうと、僕ももう何も言えない。これ迄の僕の心の中に在った
「幸四郎、お詫びも兼ねて奢るから、一緒に山を降りて街で食事でもしない? 私、こんな気味の悪い場所、早く離れたいわ!」
「そうですね……。じゃ、静岡口を出たら、もう戻りましょうか……?」
「うん。そうしよう!!」
僕と耀子先輩は、恋人同士の様に手を握り、暗い
それにしても……、
僕が考えた程には、先輩はこの心霊スポットを恐れてはいない様だった。だが……。
「遅かった……。どうやら現れた様ね」
耀子先輩はそう言うと、前方に広がる闇に浮かぶ白い影を指差した。
先輩が指差した物……、
それは、妖しく薄っすらと輝く、平安時代の稚児の様な幻影だったのである……。