宇津ノ谷の鬼伝説(4)
文字数 1,428文字
例の手紙には、次の日曜日に祥白童子が現れると云う話だけで、他にどうしろとは書かれていなかった。
そう云う訳で、僕は先ず噂の真偽を確める為、実際にその場所に行き、その怪奇現象を体験してみることにしたのである。
日曜日の朝、僕は「祥白童子」のフィールド調査へと出発した……。
先ずは東京駅に出て、新幹線で静岡へと移動、静岡駅前から丸子橋入口と云う所まではバスに乗って移動する……。
旅行記風にレポートを書くなら、こんな感じだろうか……。
市街地を進み、安倍川を渡る前、安倍川餅で有名なお店が、松の木の陰から僕の目に映った。甘党の僕としては、是非とも寄ってみたい場所ではあったのだが、バスに乗っているので、流石に降りる訳にも行かず、苦渋の決断でそれは断念する。
暫く行くと、バスは途中から右に曲がって山の方へと方向を変えた。山の方へとは言っても、バスが走るのは舗装された平地だ。この先にある筈の峠越えは、まだまだ先の話に違いない。
そうしてバスは、山影を右に見ながら、どんどんと北へと進んで行く……。
僕は予定通り「丸子橋入口」と云うバス停で降りた。ここの近くにある、自然薯料理で有名な店で腹ごしらえを済まし、そのまま歩いて岡部まで、旧東海道を歩いて行こうと云うのである。
と云った雰囲気で……、
この旅の目的は、ミステリー愛好会のメンバーとしては「祥白童子」に関するフィールド調査だが、僕個人としての興味は、丸子でとろろ汁とむかごを食べると云う方が、遥かにそれに勝っていたのである……。
さて、予定通り食事を済ませると、僕は国道沿いを西に向かい、道の駅付近まで長閑な道をのんびりと歩いて行く。
目的地を確認する際、目印としていた道の駅までは、思ったより距離があった……。僕の背中はもう随分と汗ばんでいる。
この「宇津ノ谷の鬼伝説」について、僕は先輩たちから、随分と無知を笑われたが(何度も言う様だが、知っている彼らの方が変人なのだ)、一応フィールド調査に出る為、宇津ノ谷峠について、事前の下調べだけは済ませてある。
この宇津ノ谷峠であるが、東海道の鞠子宿と岡部宿の間にある難所で、平安時代の歌人、在原業平も蔦や楓などが茂って暗い道だと歌に歌っているらしく、また歌舞伎に「蔦紅葉宇津谷峠(通称文弥殺し)」と云う演目があり、ここで文弥と云う按摩が殺されたとされている場所だ。
尚、「宇津ノ谷の鬼伝説」では、この在原業平が、この鬼の調伏を地蔵菩薩に祈願したことになっている……。
ま、要するに、昔は人気 の無い、追剥の類が横行した、昼なお暗い山道だったと云うことだと思う。
尚、僕が今回の調査で訪れようとしているのは、宇津ノ谷隧道と云う場所だ。
この宇津ノ谷隧道とは、明治期に掘られた隧道 で、明治、大正、昭和、平成と、四本ある宇津ノ谷隧道 の中でも一番古く、現代でも心霊スポットとして結構有名な場所である。
だが、当時、宇津ノ谷峠とは現在で言う所の「蔦の細道」と云う山道だ。
だから、当然、平安の時代に「祥白童子」が出没したのは「蔦の細道」の方であり、「宇津ノ谷隧道」であろう筈がない。
しかし、手紙では「祥白童子」は宇津ノ谷隧道に現れたと書かれている。もし、平安時代と同じ「祥白童子」が現れるのだとしたら、隧道よりも「蔦の細道」の方だと僕は思うのだが……。
まぁ「蔦の細道」は、現在では立派なハイキングコースになっている。ここにはもう、鬼は出難いのかも知れない……。
そう云う訳で、僕は先ず噂の真偽を確める為、実際にその場所に行き、その怪奇現象を体験してみることにしたのである。
日曜日の朝、僕は「祥白童子」のフィールド調査へと出発した……。
先ずは東京駅に出て、新幹線で静岡へと移動、静岡駅前から丸子橋入口と云う所まではバスに乗って移動する……。
旅行記風にレポートを書くなら、こんな感じだろうか……。
市街地を進み、安倍川を渡る前、安倍川餅で有名なお店が、松の木の陰から僕の目に映った。甘党の僕としては、是非とも寄ってみたい場所ではあったのだが、バスに乗っているので、流石に降りる訳にも行かず、苦渋の決断でそれは断念する。
暫く行くと、バスは途中から右に曲がって山の方へと方向を変えた。山の方へとは言っても、バスが走るのは舗装された平地だ。この先にある筈の峠越えは、まだまだ先の話に違いない。
そうしてバスは、山影を右に見ながら、どんどんと北へと進んで行く……。
僕は予定通り「丸子橋入口」と云うバス停で降りた。ここの近くにある、自然薯料理で有名な店で腹ごしらえを済まし、そのまま歩いて岡部まで、旧東海道を歩いて行こうと云うのである。
と云った雰囲気で……、
この旅の目的は、ミステリー愛好会のメンバーとしては「祥白童子」に関するフィールド調査だが、僕個人としての興味は、丸子でとろろ汁とむかごを食べると云う方が、遥かにそれに勝っていたのである……。
さて、予定通り食事を済ませると、僕は国道沿いを西に向かい、道の駅付近まで長閑な道をのんびりと歩いて行く。
目的地を確認する際、目印としていた道の駅までは、思ったより距離があった……。僕の背中はもう随分と汗ばんでいる。
この「宇津ノ谷の鬼伝説」について、僕は先輩たちから、随分と無知を笑われたが(何度も言う様だが、知っている彼らの方が変人なのだ)、一応フィールド調査に出る為、宇津ノ谷峠について、事前の下調べだけは済ませてある。
この宇津ノ谷峠であるが、東海道の鞠子宿と岡部宿の間にある難所で、平安時代の歌人、在原業平も蔦や楓などが茂って暗い道だと歌に歌っているらしく、また歌舞伎に「蔦紅葉宇津谷峠(通称文弥殺し)」と云う演目があり、ここで文弥と云う按摩が殺されたとされている場所だ。
尚、「宇津ノ谷の鬼伝説」では、この在原業平が、この鬼の調伏を地蔵菩薩に祈願したことになっている……。
ま、要するに、昔は
尚、僕が今回の調査で訪れようとしているのは、宇津ノ谷隧道と云う場所だ。
この宇津ノ谷隧道とは、明治期に掘られた
だが、当時、宇津ノ谷峠とは現在で言う所の「蔦の細道」と云う山道だ。
だから、当然、平安の時代に「祥白童子」が出没したのは「蔦の細道」の方であり、「宇津ノ谷隧道」であろう筈がない。
しかし、手紙では「祥白童子」は宇津ノ谷隧道に現れたと書かれている。もし、平安時代と同じ「祥白童子」が現れるのだとしたら、隧道よりも「蔦の細道」の方だと僕は思うのだが……。
まぁ「蔦の細道」は、現在では立派なハイキングコースになっている。ここにはもう、鬼は出難いのかも知れない……。