第四話 天満宮の紅葉

文字数 2,535文字

「いよいよ決起の時ぞ。我らの手で城を取り戻すのじゃ」

西国の天代宗の西念は、自らが崇める現帝の弟に伏した。これに一同が倣った。

「良いか。これから妖が本丸を襲う。弱き現帝はこれで死に至るであろう」

彼の恐ろしい話に天代宗の僧兵は黙って聞いていた。

「我らは先に都入りをし、これに備えるべし。目下の敵は天領の妖隊。これをまとめる八田陰陽師が敵である」

この話に御簾の向こうの弟帝はじっと前を見据えていた。

「さあ、参るのだ。決行は満月の夜。妖が放たれた城内に入り、城兵に構わず現帝を倒すのじゃ」

話を聞いた僧兵達は早速支度を整えて寺から出て行った。これを西念と弟帝が見ていた。

「これからは忙しくなるな」
「左様で。まずは鬼に頼みましょう」

彼らはこれまで策を講じてきた。それは政権を奪うというものであった。以前、晴臣に鬼をの首を贈られた弟帝はまだ怒りに燃えていた。
彼らは二年前、妖を唆し帝を襲わせたが、八田陰陽師の手により、城内に新しい結界が張られてしまった。さらに地方に逃げた魔物、妖を八田家は退治させていた。これにより策が頓挫してしまった天代宗は、新たな襲撃を起こし、政権を奪う手立てであった。

西国に根城を持つ彼らが京都へ向けて出立したのは夏の終わりであった。




◇◇

夫の留守を守られねばならぬ身の菊子。しかしながら寂しさ故、夫に内緒で生家に通い、果てには薬を飲み体調を崩していた事による自責の念で、彼女は泣き出してしまった。これに弦翠が低く声を発した。

「菊子殿。その話は私にお任せ下さいと申したはず。私は兄上に話をしますので」
「菊子様。気をしっかり」
「そ、そうですね。まずは帰らねば」

牛に揺られて戻ってきた彼らは、密かに天満宮の寺社奥の屋敷に入った。ここは本殿。夕水は隠居し、晴臣が任された社であった。しかし、妖の混乱により晴臣は父の家に詰め、帝のための仕事を担っていた。菊子が帰ると、天満宮の禰宜や役が彼女を出迎えた。

「これは弦翠様。菊子様とお揃いで」
「たまたま行き合ったのじゃ。して、天満宮の方はどうじゃ」

菊子の留守。しかし、彼女の存在感は薄く、さして不在でも支障のない様子と弦翠は知ってしまった。悲しい菊子は身を清めるといい、乳母とともに奥殿へ入っていった。

「尋ねるが。兄者は来ることがあるのか」
「そうですね。お役目で本殿はお越しになっておりますが、こちらの母屋にはお越しになっておりませぬ」
「そうであったか」

先祖代々の天満宮。次男の彼は家督を継ぐ事はなかったが、もし自分であったなら、妻を決して一人にする事はない、と胸を痛めたながらここを後にした。
そして近くにある父が暮らす屋敷にやってきた。

「おお。弦翠。笙明はどうしましたか」
「母上。それよりも兄者は何処に」

夕水は帝に呼ばれており、晴臣は奥の部屋にいると聞いた弦翠は、職務中の兄に向かった。

「なんだ、騒々しい」
「兄上。これを」

そういって彼は女の長い髪を床にバッサリ投げ出した。そばにいた加志目はひいと声をあげた。

「……女の髪か。これがどうした」
「誰がこんなことをしたのか。兄者はまだわかりませぬか」

兄弟の話に加志目は頭を垂れて部屋を出た。晴臣はじっと髪を見た。

「わかったところで。こんな事はどうでも良い」
「どうでも良くはない。兄上の妻の所業ですぞ!これは兄上のせいだ」
「菊子が?」

初めて驚いた晴臣は、床に散らばった黒髪に眉間のシワを寄せた。

「そうじゃ。寂しさゆえ、町で見かけた女の髪を切っていた。今は、私が母屋まで送ったが」
「……女の髪……何故に」
「まだわからぬか。兄者の心の中に女がいることを、菊子殿は知っておるのだ」

これに晴臣は無言で目を伏せた。弦翠が続けた。

「あんなに痩せて、嫁に来た頃とは別人じゃ……。そのうち、死んでしまうぞ」
「それも私のせいというのか」

睨み返す晴臣はスッと立ち上がった。

「菊子は神社の娘。天満宮に嫁ぐのは誉であったはず。それを今更何を」
「そうではない。そうではないのだ」

鬼の心の晴臣。後を継ぐ兄は私情を断つように育てられた。これを知る弦翠は彼に理解して欲しかった。

「菊子殿は多くは求めておらぬ。そばにいて、優しく」
「そんなに菊子が気になるならば。お前がすれば良い」
「兄者。それは。本気で申しておるのか」

晴臣は返事をせずに退室した。燃えるような紅葉の庭は兄弟の心を移しているようだった。




その夜。夕餉の席には晴臣は現れず、弦翠は夕水に笙明の話だけをした。

「それでですな。父上。驚かずにお願いします」
「なんでも申せ」

「旅の途中。親を亡くした者があり、笙明は一緒に旅をしております」
「左様か」

そしてその者には特殊な力があり、仲間となってここに来ると彼は話した。

「あやつの仲間とは。楽しみじゃな」
「そ、そうですな」

すると。この場に晴臣が顔を出した。夕水は今聞いた話を彼に説明した。

「ほお。旅の仲間とな」
「そうです。笙明とは気が合うようで」
「楽しみだな」

冷たい笑いの晴臣に背筋がゾッとした弦翠はやっと食べ終え、自分の寝屋に向かおうとしていた。すると廊下で晴臣に呼び止められた。

「弦翠。菊子の事は世話になった。あとはこちらで処分する」
「処分とは。一体何をするのだ」

不安であった弦翠に晴臣は珍しく口角を上げた。

「案ずるな。して。彼奴はどうであったか」
「笙明は、まもなく到着するであろう」
「そうか」

晴臣は愛しそうに月を見上げた。

「旅も終わり、か。奴にとってはいっそ、今のままが良いのかもしれぬな」
「兄者?」

その横顔はずいぶん疲れていると弦翠は思った。

「私も自由に旅をしてみたかった……。が、この家の長男に生まれた以上、それは叶わぬ夢」

月明かりが彼の頬を照らしていた。幼い頃に一緒に遊んだ兄の顔になっていた。

「東山道、か。みちのくの風は、どんな色をしておったのだろうな」

目を細める兄の隣に弦翠は肩を並べた。

「兄者。我々も歳を取ったら、旅に参ろう」
「お前と?ふふ。それまで仕事を終わらせないとな」

いつの間にか虫の音が消えた夜。少しずつ冬の足音が近づいてくる夜であった。


















弦翠は兄の妻、菊子を伴い天満宮へと進んでいた。華やかな城下町。人々が行き交う道中を乳母を傍らの彼女であったが、屋敷に近づくにつれ顔の色が悪くなってきた。
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