第三話 鬼門の結界

文字数 4,421文字

「水はまだか!早く火を消せ!このままで燃えてしまう」
「大納言様!早くお逃げください」
「……何ということだ」

 平安城外で起きた火災。火は大火となり、真っ赤な獣のごとく逃げ惑う人々や城を飲み込んでいた。これを見た大納言は焦げた衣服のまま帝の元に駆けつけた。


「申し上げます!現在鬼門の寺社が燃えてしま」
「うう……あああ!」
「帝様?誰か。誰かここに!」

叫び声の中、崩れた御簾の中には、悶え苦しむ帝が倒れていたのだった。






◇◇◇

「皆の者。改めてよく聞くのじゃ」

大火の夜から十日経の本丸。まだきな臭さが残る城内にて重臣は配下の者に話をし始めた。話は先の大火により、鬼門の守護寺の焼失についてであった。

「これにより城内の結界が緩み大量の妖が侵入し、帝は呪詛にかかってしまわれた。これはお前達の(はらい)も試みたがどれもうまくいかず未だ伏せっておられる」

 右大臣の苦渋がにじむ顔に参列者の神官、僧侶、修験僧、天狗の長たちは大広間の床に揃って下を向いた。

「帝はお苦しみであるが祓法を見出された……」

 右大臣は書を手に取った。帝の書には呪詛をかけた妖らを退治せよというものであった。

「今も神官らによって結界を張っておるがこれもいつまでも保たぬ。守護寺が再築するまでお主達で妖退治を行うのじゃ」

 重臣から詔を賜った参列者は城を後にしそれぞれの元に帰っていった。
大火の都、春の空。帝直属の精鋭部隊は妖隊とされ、天領庁預りにより都の四方八方へ配属されたのだった。

 平安後期の都。帝が統治していた世。城の鬼門を守護をしていた社寺が大火で焼失したため、城の結界が緩み魔が自由に世に行き来できるようになってしまった。
 鬼門より侵入した妖魔者は城内を汚し帝に呪詛を掛けた。御身に受けた帝は病に伏せ、世は冷夏となり人々は飢饉に陥っていた。これを収拾すべく、各宗派の代表者が城に収集となった。
 各宗派の長を前にこうして会議は夜を明かして進められ、彼らはそれぞれの配城のある都の東西南北の方角に各宗派の強者の妖退治の班を送り、ここにいる妖を滅するものであった。
 こうして妖隊が各地に派遣された一年後。ある三宗派が城に密かに呼び出された。


「おお。お主もここに?」
八田(はった)殿か。それにしてもなんたることか」
「口を慎め。右大臣じゃ」

 陰陽師の力を持つ天満宮の神主、八田家当主と、修験道の大僧侶、そして天狗の祖は、右大臣に平伏した。

「面を上げよ、そちらに内密の話があるのじゃ」

 天領庁を管轄する大臣は疲れた顔で三人に顔を向けた。それは妖討伐の戦況についてであった。

東道(あずまみち)へ赴き、妖を退治する者が帰って来ぬのだ」
「東道でございますか」
「ああ。これはもう、他の妖隊が行っておるが途絶えるばかりじゃ」

 重い話を聞いていた三人は黙っていたが、僧侶が尋ねた。

「……そこで。我らにどうせよと」
「お主達の元から手練(てだ)れを出してくれぬか」

 宮廷からの無理な話に三人は下を向いたまま応えた。修験道の僧侶は既に遣い手を出しているといい、天狗の祖も無理だと低い声を通し八田も続いた。


「恐れ多い事ですが我が八田家は結界を張っておりまする。なぜ故にございますか?」
「……占いが出たのじゃ」

 右大臣の話では、帝の母である皇后による占いであると話した。

「私とて。そち達に無理を言っているのは承知だ。しかし、このままでは帝の体が持ちますまい」

 話を拒むことができないまま、三人は下の間に戻って来た。



「我らで、妖退治……なんとするぞ」

 八田夕水はそういって頭を抱えたが、修験道の老僧侶はうってつけの者がおると話した。

「酒飲みで今は謹慎しておるが腕は確かでございます」

 これに天狗の祖は嘆き出した。

「おお情けない……。我が弟子達は鬼門の結界のために足りないくらいじゃ。しかしそちらが出すなら、うちも出しましょう」
「……わかり申した。八田家も工面致しましょう」

 重い足取りの三方は火事で消失した社寺を横目で見ながら夕暮れの古道を帰って行った。


◇◇◇◇

「息子達よ。帝様より命を頂戴したぞ」

 実家に揃っていた四人の陰陽師の息子達は当主である父の言葉に頭を下げた。父は息子達に東道への妖退治の話を静かに溢し出した。

「では我らのうちの誰かが行かねばならぬのですな」
「左様」

 跡を継いでいる長兄、晴臣(はるおみ)の低い声に次兄の弦翠(げんすい)が二人の弟の顔を見た。

「兄上は天満宮がおありです。紀章(きしょう)は婿入りしたばかり。ここは私が参りましょう」

 兄弟で一番大柄な弦翠はそう素直に言い、坐する一堂を見渡したが父が目を閉じた。

「……お前は今、鬼門の結界を張っておるではないか。そこはどうする」
「父上。その代わりは笙明(しょうめい)に」

「絃翠……。笙明ではその役、到底無理じゃ。それは本人が一番よく知っておるはず。なあ?笙明よ」

 顔も見ず冷酷に話す晴臣に対し四男の笙明はじっと父親を見つめた。

「はい。兄上様のおっしゃる通りです。私には弦兄様の代わりは無理です」
「父上。本人もこう申しております」
「……そう言うな。お前達は兄弟ではないか」

 先祖代々、都の大社天満宮の神官を継ぐ八田家は陰陽師の血を引く一族である。長兄の実力者、晴臣はこれを継ぎ、弦翠は帝の周囲の守護をしていた。三男紀章は婿に行き別院を継いでいた。
 四男の末息子、二十歳の笙明は目下修行の身であり天満宮の下院に務めていた。年少時に両親を亡くした彼は叔父夫婦に四男坊と育てられたが三人兄に比べて異才な能力は薄く、その遜色を補うようひたすら術の修行をしていた。
 小柄であるが眉目麗しい面の彼は素直で兄思いの弟であったので、温情ある紀章は自分が行くと言い出した。

「義父を説得して見せます」
「止せ。そのような事をすればせっかく結んだ婚儀が無駄になる」
「しかし」

 紀章が婿に行った別院は元は八田家所有であったが、祖父の代に他人に渡っていた曰く付きの社であった。この度の婚儀にて取り戻した形になっていたため晴臣が決して許さぬと三弟を静かに睨んだ。
 長兄の無慈悲な声に紀章もまた下を向いたが、この重苦しい場を滅するように八田家当主が厳かに口を開いた。

「案ずるな。ここは私が参る。お前達で八田家を守るのじゃ」

 老齢の父の言葉に息子達は驚き目を向いた。

「父上?何を仰せですか」
「それは無理です」
「ですから私が」
「父上様。兄上様」


 場の空気を切るような透き通った声に四人は息を飲んだ。

「私に行かせて下さい。どうか、お願い申し上げます」

 切なる声の末弟に晴臣は厳しい眼で問い正した。

「……笙明。お主は八田家として参るのだぞ。その責をわかっておるのか」
「はい」
「失態の暁には」
「兄者!それは余りにも酷でございます」

 晴臣の棘刺す言葉に弦翠は声を荒げ、紀章も長兄をじっと見た。ここで弦翠は笙明に向かった。

「笙明。やはり我が参る。結界は父上とお前でやれば良い」
「……いいえ。弦兄様。私に行かせて下さい」
「笙明……」
 悲痛な面持ちの弦翠と紀章であったが、笙明は清々しく父と三人の兄に顔を見せた。

「御役目賜ります。笙明、八田家の名に恥じぬよう。東道に参ります」

 末弟の下げる頭に、長兄は目を見据え、次兄は苦しげに息を吐き、三兄は強く両の拳を握った。この兄弟を前にした父は祈る様に目を瞑っていた。


◇◇◇

 八田家は末息子の笙明が陰陽師の力を携えて妖退治に行く事となった。鬼門の決壊で都にも奇怪なるものが溢れる中、若き笙明は城内にやってきた。

「おっと。お前様は」
「我は修験僧の龍牙(りゅうが)と申す。そなたは」
「天満宮から参った八田笙明だ。以後。お見知り置きを」

 神主の装束の笙明は修験僧の大男を見上げていたが、誰かがツンと笙明の白い袖を引っ張った。

「あのさ。おじさん達、怪異退治?」
「ああ。坊主。便所はここじゃ無いし、俺はおじさんじゃ無いぞ」
「そうですか?俺は鞍馬山からきた(しの)と言います。これは書です」

 袈裟姿の少年の文には、彼が天狗の祖に推挙された内容になっていたが、笙明は首を捻っていた。

「大丈夫か?お前、山の中とか歩くのだぞ」

 幼い顔の篠に、笙明は眉を潜めたが、龍牙がそっと呟いた。

「八田殿。こやつの寺は山の上ですぞ」
「そうだよ。おじさんこそ大丈夫?」
「ハハハ。これは楽しみだ?」

 妖退治の任務の三人は、顔を神妙し、右大臣が待つ間に向かった。

「よく参った。この書によれば、陰陽師の八田笙明。修験僧の龍牙。天狗の篠か。必ずや倒してくれるであろうな?」
「必ずとは申せませぬ」
「行って見ないとわしもわかりませぬな」
「俺できますよ」
「真か?」
「……しばし。待たれよ」

 笙明は部屋に飾られている壺を睨んでいた。

「右大臣様。あの壺は」
「あれか?帝が気に入っておいでだが」
「何かあったのか、笙明殿」
「龍牙殿……あれはここに飾るものではござらん」
「どれ?我が見るか」


 龍牙は数珠を手にこの壺に歩み寄った。壺はカタカタと小刻みに横に動き出した。これを見た篠は念仏を唱えた。

「笙明殿よ。この壺は何か言いたいことがあるようだ」
「さもあらん。これは骨を入れる南洋の壺だ」
「え」

驚く右大臣が見る中、笙明はすっと立ち上がった。

「……冥界の異物、害を成すものめ……ここはお前のいる場所ではない……立ち去れ……往ね!」

 穏やかだった笙明の面から想像できない程、冷たく恐ろしい呪いの言葉は、手に触れずして壺を握りつぶした様に砕いた。

「なんと?これは一体」
 
慄く右大臣を前に笙明は何食わぬ顔で説明をした。

「これは悪意の塊。こんな物を置くとは?目利き以前の問題だ……」
「大方、帝に反する者の贈り物だな」
「それ。庭に埋めないで河原に捨てた方がいいですよ」

 三人の言葉に右大臣は家来に破片を片付けさせた。これを横目で見ていた笙明は、静かになった部屋で低く呟いた。

「それでは右大臣様。我らの任務をご説明くださいませ」

 本丸の間に座していた笙明、龍牙、篠の三名は東山道の神社仏閣を根城とし、奇怪なる妖を討伐をせよと命じられた。南が吹く春の夕暮れの都は、火事で崩れた屋敷の庭に梅が見事に咲いていた。

甘い香りに笑みをこぼしす笙明は西に沈む夕日に頬を染めながら家路に向かうのだった。



第三話完
第四話『鷺娘』へ
<2020・9・3>











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