第七話 文、一つ

文字数 2,067文字

やがて半年経ったある日。笙明のもとに文がきた。懐かしい龍牙の文字に目を細めた彼は、その内容に立ち上がり、急ぎ馬を走らせた。

修験僧の山。妻子のある彼はその麓に住んでいた。笙明は加志目を供にやって来た。

「もし。ここは龍牙殿のお住まいか」
「はい。あなた様は」

背の高い娘。笙明は己の名を名乗った。娘は案内してくれた。

「お父様。お客様よ」
「おお?笙明殿。お久しぶりじゃ」
「龍牙。して、どこにおる」

慌てる笙明に、龍牙は待てと制した。そして静かに裏手の住まいに案内した。

「おい。笙明殿が来たぞ」
「ああ。旦那様。こちらがそうです」

龍牙の妻の腕の中には、白く動くものがいた。これに笙明は腕を広げた。

「おお……何と愛らしい」
「男の子ですぞ。ほら?笑って」
「抱いても良いか。おお。私が来たぞ。よしよし」

すやすや眠る赤ん坊。これに笙明は頬を寄せた。

「確かに。この子は澪と私の子だ……この匂い。おお、なんという可愛らしさじゃ」

赤児を抱き、満面の笑みの笙明。この時、加志目は龍牙を呼んだ。

「龍牙様。こちらで話を」
「おお。説明じゃな」

すっかり山人の顔になった龍牙はポツポツと話し出した。それはある日、急に澪がやって来た話であった。

「見れば澪は腹が大きくてな。うちの嫁がここでお産させたんじゃ。それはもう大変で」
「そして。お澪さんはどこに」
「……ここには居られぬと。子を置き、泣きながら行ってしまったわ」

笙明の子。神通力のあまりの強さに母でありながらそばにいられぬと澪は子を置いて行ってしまったと龍牙が哀れんだ。

「また会いに来るとは申しておったが。笙明殿に伝えなば、と思ってな」
「そうですか……お澪さんが」

赤児をあやす笙明に龍牙の妻が真顔を向けた。

「澪様はお産が軽くお元気でしたよ」
「……そうですか」
「私は事情を知りませぬが、あなた様はこの子をどうなさるおつもりで」

龍牙の妻は真剣な顔で向かった。

「もちろん。私の子として迎える。澪も私に会いにくれば良い」
「それは安心しましたが。この子を連れて行くのはまだ無理です」

まだ弱々しい乳飲み子。しかし龍牙の妻は二歳の子供を育てており乳がでていた。彼女は子が大きくなるまでこの地で育てたいと話した。

「確かに。今、この子を都に連れて帰るのは難しい」
「笙明様。赤児はまた改めて迎えに来てはいかがでしょうか」
「そうしなされ。うちで預かりますので」
「そうか。お前と帰りたかったな」

ガッカリしていた笙明に、龍牙の娘が声をあげた。

「みんな。早く赤ちゃんに名前をつけてあげてよ。可哀想なんだよ」
「これ。なんという言葉遣いじゃ」
「龍牙。良い良い。そうじゃな」

笙明は、幼名『月丸』と名付けた。

「都で用意を整え次第、迎えに参る。もし澪が来たら、私の元に来るように伝えてくれ」
「わかった」
「龍牙、感謝致す。では、月丸よ。また会う日まで」

後ろ髪惹かれる思いで、彼は盟友に息子を託したのだった。


その後。八田家に戻った笙明は父に真実を打ち明けた。自分で育てたいという彼の言葉の中、晴臣、弦翠が聞いていた。

「鷺娘とお前の子。それを八田で育てるのは良しとする」

夕水の賛成の言葉。これに一同は胸を撫で下ろしていた。

「しかし」
「しかし?」
「ああ。笙明。その子は晴臣に預けてくれぬか」
「父上」

一番驚いたのは晴臣だった。息子たちは父の声を待った。

「聞け。お前のところはまだ子がおらぬ。菊子に鷺娘の子を育てさせるのじゃ」
「菊子に?あの。お澪の子を」
「そうじゃ」
「それは、どうかな」

澪に心揺られる晴臣を嘆き悲しんでいた菊子。この彼女に澪の子を預けるのは酷であると弦翠は思ったが、その事実は晴臣夫婦と自分しか知らない出来事だった。弦翠は兄の言葉に耳を傾けた。

「父上。私から菊子に申します」
「そうか」
「お待ちください。月丸は私の子です」
「笙明。では、尋ねる。お前に赤子が育てられるのか」
「……」

現在の八田家。養子に出した紀章の子は全員、娘であった。月丸はまだ後継のない八田家には貴重な男子であった。

「この月丸は、そなただけのものではない。八田家の者、すべての子だ。ましてや鷺娘の子。これから難儀なこともあろう」

全員で月丸を守っていかねばならないと夕水は説いた。この時を以て月丸は晴臣の子として育てられることになった。

この話を聞いた菊子は晴臣の口から澪の子だと聞かされた。菊子は初めて夫に頼りにされて嬉しかった。それが憎き女のとの子であっても、赤児を受け入れる用意をしているうちに、母になることを楽しみになっていた。
そして。その時がきた。
春、雪が解けた道。笙明と晴臣は一緒に龍牙の住む山間へやって来た。

「この子か。なんと利発そうな」
「月丸や。お父様が迎えに来たよ。さあ。行くんだよ」

幼子は育ての母と離れるのが嫌で泣いた。この時、笙明が優しく子を抱いた。

「よしよし。そうか。悲しいか」
「龍牙殿。そして奥方。大変世話になった。礼を申す」

晴臣に頭を下げられた二人は驚いて恐縮していた。
彼らに見送られて月丸は二人の父と一緒に都にやって来た。これ以降、月丸は晴臣の長男として育てられた。

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