第十三話 桜の精樹

文字数 4,438文字

 八田笙明の一行は東路を進み妖退治を続けていた。途中、妖の犬を倒した彼らは到着した社で休んでいた。するとここに彼らの元に他の部隊がやってきた。

「これはこれは龍牙ではないか?それではこちらが八田家の」
「お初にお目にかかります。八田笙明です。こちらは天狗の篠でございます」
「いやいや。道元殿か、懐かしい」

 修験僧の龍牙は顔見知りの僧侶の道元、紫藤、長海に挨拶をし賑やかに話し出した。騒々しいのが嫌いであった笙明であったが礼として暫し話に付き合っていた。

「我らは海から参ったのだが。まだ妖に辿り着けぬわ」
「そうか。我らはすでに。う?」

 余計なことを話すなと篠に背を突かれた龍牙は数匹倒したと話を濁した。

「さすがじゃ?それにしても探すのに骨が折れますなぁ」
「そうじゃろう?だがこちらには」
「龍牙。ほら、お茶を飲め」

 ここで澪の話をしそうになっている龍牙を篠はお茶で口を塞いだ。その時、笙明は話を振った。

「左様でございますな。我らも妖探しに一番の難儀しております」
「そうでございますか」

 血走った目の彼らに静かに笙明は静かに目を伏せた。この夜は同じこの社で休む事になったので、これを危惧した篠は慌てて澪を探しに行った。

「澪、どこにいるの」
「ここよ。どうしたの」

 台所にてこの古社に住む老巫女と夕餉を拵えていた彼女に篠は笙明の指示を伝えた。

「わかったわ。私は今夜は外で過ごします。朝、ここに帰ってきますね」

 老巫女に内密に話した澪は、川で洗濯をするといい社を後にした。そして夕餉となった。

「……美味いですね。八田殿はいつもこのような食をしているのですか」
「篠は料理上手ですので」
「アハハ。これはまだまだありますよ」

 澪が作った鍋は春の野菜と小魚が入り、旅人の胃袋を満足させていた。

「……ところで。八田殿はこれからどちらへ参られるのだ」
「そうですな。東へ進んでいるばかりですが」

 道元達はとにかく妖の塊を集めないと立場がないとこぼした。

「先ほど八田殿は都へ書を(したた)めておいででしたが我らは書くことがありませぬ」
「それは道元殿。まだまだ退治はこれからではありませぬか」
「しかし我らは笙明達よりも早い時期に出発しております。全くどうしたものか」

 親しげに話す龍牙にここを任せた笙明は疲れたと言い篠と一緒に寝床に下がった。

「……笙明様。澪は大丈夫かな」
「ここよりは良い。今頃は高い木の上にて眠っておるだろうよ」
「ふーん」

 そう言いつつも彼は月を見ていた。その切ない横顔を見た篠も早くに床についたのだった。


◇◇◇

「龍牙。参るぞ」
「ふげ?もうですか」
「ああ。篠はもう外だ」

 夜明け前。僧侶達を起こさぬように笙明一行は社を出発した。

「ふわあ……何故にこんなに早く」
「いいから歩くのだ」
「眠い……」
「大丈夫?もう少し進んでから朝餉にしましょうね」

 寝ぼけの龍牙と篠を歩かせた笙明と合流した澪は、まだ暗い川の手前で彼らを休ませた。

「仕方がない。ここでしばし寝ておれ」
「ああ。そうさせてもらう」
「スースー」

 二人のあまりの眠気を見た澪はどうもおかしいと話した。

「お主もそう思うか。これは薬を盛られたのかも知れぬ」
「どうして」

 寝息を立てている二人を見下ろした彼は懐の魔石に手を当てた。

「道元殿はこれを盗み取ろうとしたのかもな」
「お仲間なのに?恐ろしいわ」

 怖がっている澪であったが、彼は優しく手を取った。

「大丈夫だ。お前には私がついているから」


「はい……あ、そうだわ」
「いかがした」

 昨夜、鷺の姿で夜を過ごした澪は妖を見つけたと彼に話した。

「ここからすぐです」
「……では見ておくか」

 二人は寝入っている龍牙と篠を置き、一緒に馬に乗り朝焼けの草むらに入っていった。

「あの桜の樹です」
「なんと……」

 その薄紅色の花を称えた大木は恐ろしいほど美しかった。

「このような桜を見るのは初めてだ。都でもこのような桜はあるまい」
「そうですか。そんなに綺麗ですか……」
「ん?いかがした」
「別に」

 そんな不機嫌な澪はこれに妖が宿っていると話した。

「ほう。なるほど」
「どうします?退治と言っても悪いことをしているわけではなさそうだし」
「まあ。見ておれ」

 彼は澪を下がらせると、樹に語り出した。

「美しい桜の精霊よ。芳しい香りの乙女よ。姿をみせよ……」

 この美辞麗句を囁かれた花の精は静かに姿を現した。白い姿の彼女は黙って笙明を見ていた。

「麗しの姫。春の風よりも清らかなその姿。なんという美しさよ」
「あなたは誰」
「私は神の道に進むもの。どうかあなたの体の石を我に下さいませぬか」

 すると木の精霊は頼みがあると彼に話した。

「私はこの石のせいで死にかけです。どうかこれを助けて……」

 そういうと精霊はそばにあった枝分かれしたまだ若い桜木を見た。

「わかり申した。その者を他所へ移しましょう」
「神の道に進む者よ……」
 
 精霊はそう呟くとすっと太い樹に消えた。

「澪」
「はい。たぶん、ここに……あった!」

 消えた箇所にあった木の穴に手を入れた澪は嬉しそうに彼に魔石を渡した。色はほんのりと薄紅色であったが、邪悪な妖気ではなく春の息吹を感じさせるので二人は微笑んだ。

 そして約束通り、この若木を植え替えようと澪は持っていた短刀で器用に土から取り出し、今通ってきた草むらの日当たりの良い水がある地にこれを植えてやった。


「水をかけたので、大丈夫です」
「さて、戻ろうか」
「そうですね」

 どこか寂しそうな澪に我慢できず馬に乗る前に笙明は理由を尋ねた。

「何でもありません」
「絶対ある。はっきり申せ」

 二人きりの桜が香る野原で澪は悲しげに呟いた。

「……笙明様は桜の精がお好きなんですよね。お綺麗だし……」
「澪」

 そう吐露した泣きそうな澪は早く戻ろうと彼の袖を引いた。

「澪よ」
「……はい」
「先ほどの言葉は、妖の塊を頂戴するための策だ。私の本音ではない」
「本当に?」
「ああ。おいで」

 こんな可愛い娘を胸に抱いた彼は身を焦がしながら苦しそうに呟いた。

「お前は旅をする私にとって大切な娘。他の娘を思う事は決して無い」
「笙明様……」

 旅をするという言葉で胸が痛む澪であったが、彼の本心が聞けたようでどこかほっとしていた。

「すいません。ご心配かけて。さあ。戻りましょう」
「……ああ」



 こうして眠っている二人の元に帰ってきた笙明と澪は、まだ寝ている彼らのために朝餉の支度をしていた。するとここに道元達が素知らぬ顔でやってきた。

「お早い出立ですな」
「お恥ずかしい。どうも怖い夢を見たもので」

 そう誤魔化した笙明だったが、三名は笑わなかった。

「……今から朝餉ですか」
 
 草場に隠れた澪が支度をした鍋には、菜の花、小魚、蕗の薹、そして澪が見つけた卵が入っていた。

「ほお?笙明様は大した腕前で」
「長旅ですっかり慣れました……」

 今なら笙明を襲い、妖を奪える三人の眼は血走っていた。これをどう回避しようかと彼は息を飲み刀に手を置こうとした。



「……八田殿。貴殿の懐の」
「ふわああ?よく寝た。あれ?道元様、どうしたの?怖い顔して」

 緊迫した空気を破るように目を覚ました篠に声に、この殺気は一瞬で払拭された。

「あ、ああ。そうか?」
「うん……おはようございます」

 ここで完全に機を失った道元達は笑って立ち去って行った。

「助かった……よくやった篠」
「本当にどうしたの?」

 ここで澪が顔を出し、朝餉を仕上げようと柄杓を奮った。



◇◇◇

 そして目覚めた龍牙にも汁を食べさせた笙明は今の出来事を説明した。

「そんなわけはない。あの道元殿が我らの妖の塊を奪おうとしたなんて」
「そうか……だからあんな怖い顔だったんだ」

 信じようとしない龍牙であったが、篠は納得していた。その時、この場で雉子の鳴き声が響いてきた。

「いかがした?澪」
「笙明様。先程の桜の樹で何かあったようです」

 鷺娘の澪の言葉を聞き、食を終えた彼らは桜樹に戻ってきた。


「ひどい」
「なんという事だ」

その木は折られ、幹は傷つけられていた。妖退治の力がある道元達はこの桜木を見つけ妖の塊を探そうとしたが、足跡から笙明に越されたと知り怒りのまま樹木を傷つけたのだと彼らは推測した。 

「桜の精は何もしていないのに。可哀想」

 しくしく泣き出した澪の頭を龍牙は手を置き慰めた。そしてせめてもの念仏を唱えたのだった。しかし笙明は折れた桜の枝を拾っていた。

「まだ生きておる。澪よ。これを挿して生かすのだ」

 篠も一緒になって枝を拾い、土を掘り枝を挿していった。

「……生・伸・養・命・水・浄……」

 笙明が唱えると先程の桜の精が姿を現した。しかし彼は唱え続けた。

「……桜・美・流・土・気・葉・深……」

 この彼の言葉に満足そうに精霊は薄く消えていった。そして彼の術も終わった。



◇◇◇

「あーあ。妖集めになっているんだね」
「そうかもしれんな。我らはすでに手に入れておるからな」

 道を進む彼らは昼下がりの野辺を歩いていた。

「ええと。川で龍牙が見つけたのと、澪のお母さん。俺が池の鯉で二つ」
「それと野犬。今朝、澪が見つけた桜の石だ」
「いいえ?それは笙明様です。私じゃないわ」
「どっちでもいいと思うよ。しかしもう六つか。これは妬まれるかもな」

 そんな篠の声に澪は心配そうに俯いた。これを見て笙明はため息をついた。

「そうだな。では我らは篠が池で倒した二つという事で進めよう」
「わかり申した。それ以外は秘密にしましょう」
「龍牙が一番危ないんだけど」

 しかし。元気のない澪に笙明は頭を抱えていたが、馬を降りた。

「篠。馬を引け。澪よ。そなたのせいではない」
「……でも気の毒で」

 まだ涙ぐんでいる娘に彼は眉間の皴を寄せた。

「あの桜木は死んではおらぬ。それにな。我らが行かねば若木もあのままであっただろう」
「そう……ですね」
「だからもう泣くな。な?良いか?」
「……はい」

 彼は優しく彼女の涙を拭った。これに澪は機嫌を治し彼を安心させた。

「さて。夕食が楽しみだな。夕餉は何だ?」
「蛙と野蒜(のびる)にしようかなと」
「か、蛙か?そうか」

 笙明の固まった顔を笑った篠だったが、彼は咎めなかった。
春の野辺は彼らに優しい南風で包んでいるのだった。

第十三話完
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