第17話:2018年米国旅行

文字数 2,716文字

 2017年12月24日から2018年1月4日の9泊11日の秩父家の総勢5人で米国旅行を両親が計画した。具体的にはサンディエゴに飛び、ラスベガスを見学、オーランドのディズニワールド、ユニバーサルスタジオ、シーワールドとマイアミ旅行を計画した。12月24日、昼食後14時に橫浜をエスティマに乗って出発して15時半に成田空港に到着した。

 車を駐車場に止め予約した航空会社の登場口で搭乗手続きをとり近くのカフェで待った。17時前に搭乗開始し17時20分離陸した。その後、9時間以上、機内で映画を見たり仮眠したりして過ごした。やがてウトウトしてるうちに、後、30分でシアトルに到着しますのアナウンスで降りる用意をした。シアトル空港に降り立つと日本に比べて涼しく感じた。

 考えてみれば、ここは札幌よりも北に位置し涼しいのは当たり前である。その後、ツアー会社の大きなバンが迎えに来ていて、それに乗り込んだ。出発しハイウェイを飛ばしていくと突然左に見える大きな格納庫と工場がボーイングの工場ですとアナウンスがあった。そっちに目をやると、多くの飛行機があった。その後10分もその景色が続いた。

 そのボーイングの工場の広さを感じていたら世界一の大きさの工場だと紹介していた。1時間余りのドライブで予約しているホテルに到着した。午前11時過ぎだったがチェックインもできたが荷物を置いて昼食をとりにフロントで教えてもらったレストランに徒歩5分で着いた。そこは、デパートの一角のレストランであった。ランチメニューから、それぞれがランチを選んだ。

 料理が出て来て食べ始めるとパンが、おいしいアメリカは食事がまずいと聞いていたので驚いた。続いてサラダ、珈琲も美味しい。ベーコンエッグもいける。食後のデザート十分に旨い。珈琲は、おかわりするほどだった。帰る時に、父が、ここの料理最高と言うと百合が皿を下げに来て店員に父の話を伝えると笑顔になって父と握手した。

 その後、フロントで聞いたパイクプレイス・マーケットへ向かった。サーモン「鮭」投げて渡す店員のパフォーマンスにも、拍手が巻き起こった。魚が豊富で、それらを見て回った。そのうち、百合と母がクラムチャウダーの店を見つけて入ろうというので中に入ると容器に入ったクラムチャウダーが出て来て熱々をいただいたが、めちゃ旨だった。

 そして、広い、パイクプレイス・マーケットの多くの店を回ると、大きな魚屋・フィッシュカンパニー、ドーナッツ専門店、カニの専門店、ギリシャ・ヨーグルとの専門店、ハンドメイド・チーズの専門では、チーズを作る行程を見学すことができるために、長蛇の列ができていた。その後、広い市場を歩き回り、父が、一休みしよう言った。

 すると百合が、スターバックスの1号店があるから行こうと言い、出かけると、満員であっった。しかし、団体客が出て来て、それ程待たずに、中には入れた。中に入ると、レトロな感じが出ていて、居心地が良さそうだった。その後、珈琲を頼むと思った通り、サイズが大きいので両親は小サイズ、子供達は中サイズを頼んで男の子達はケーキも頼んでいた。

 中には36時間前まで牛の体内の存在したフレッシュなミルクで作った「チーズカード」があった。日本では聞き慣れないがチーズカードはフレッシュチーズの一種で各種チーズの熟成前の状態で売られている物で、できたての新鮮なものでないと食べられないチーズ専門点だから、こそ楽しめるメニューだと書いてあると百合が言うと母と百合が1つずつ注文して食べていた。

 しかしミルクが苦手な父は臭いがきついと嫌がっていた。それを見て奥さんと子供達は、これだから、おじんは嫌だと大笑いした。その他にピロシキの専門点があり、これは旨そうだったので今日の夕飯として、いくつも買った。その店の看板に何やら書いてあった。それを読んだ百合が、ここのオーナーのエストニア人が開店直前に資金不足で小麦粉、バターを買えなくなった。

 その時、お店の前に、そっと1000ドルを置いてカンパしてくれた人物がいたそうです。一体誰だろうとエストニア人のオーナーが疑問に思っていた所、その6年後、実は同じマーケット内にあるロシアのベーカリーショップの女性オーナである事がわかった。これを知ったエストニア人オーナーがライバルになるかも知れない店が困っている時に助けてくれるなんてと泣きながらお礼を言ったそうだ。

 これがパイクプレイス・マーケットで話題となって、ここはパイクプレイス・マーケットは、この様に、お互いが助け合って成り立っている。確かに、ここ、パイクプレイスマーケットは、アメリカ人よりも外国人の方が圧倒的に多い。エストニア、ロシア、韓国、日本、スイス、カナダ、日本。そして、パイクプレイスマーケットの歴史について、店の老人に聞いてみた。

 それによると、シアトル市民のソウル「魂」と呼ばれて愛されるパイク・プレイス・マーケット。その礎を築いたのは日系移民。20世紀初頭、仲買人の価格操作などに苦しんでいたシアトル周辺の農家が集まって、産物を持ち寄ったのが始まり。初回は8軒の農家しか参加しなかった。それに対し買い物に来た市民は1万人。数分ですべて売り切れ、需要があると分かった。

 その翌週は75軒の農家が出店し徐々に市場は拡大した。農家の大半は日系移民で全盛期には3分の2を占めていた。第二次世界大戦中の人種差別で日系人が強制収容所に送られると、マーケットは閉鎖の危機に陥った。戦後は人口の郊外流出も影響して周辺はさびれ、1971年に取り壊し計画が持ち上がったが、これに市民が強く反対して保存が決まった、という経緯がある。

 マーケットの入り口には、初期の日系農民の貢献をたたえる壁画が飾られてる。地元のアーティスト、アキ・ソガベさんの作品だ。タコマ富士の愛称があるレーニア山や、それを見ながら畑を耕したであろう日系移民たちの姿が描かれてる。シアトルのパイクプレイス、マーケットを訪れる時、パイク・プレイス・マーケットの基礎を築いた日系農民の功績をたたえる「切り絵風の壁画」を見て欲しい。

 ホテルに帰ると17時で暗くなり部屋で風呂に入り一休みしてホット珈琲とパイクプレイス・マーケットで買ってきたピロシキを食べて夕食にした。その後、両親は、お湯を入れたホット・ウイスキーを飲んで買ってきた鮭の肴を食べながら飲んで今日の旅行の話をして盛り上がり子供達もアメリカの広さと戦時中、日系人が差別されていた歴史を話した。その後22時前には眠りについた。
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