第9話:東日本大震災と北海道旅行へ

文字数 2,616文字

 2011年3月11日午後14時46分、東日本大震災が起きた。その時、住友家ではデレビを見ていたが大きなゆれに見舞われ住友次男の奥さんと義理の母が悲鳴を上げて家を出た方が良いかと次男に聞くと、いや、こういう時は安全な風呂場に行こうと風呂場に入った。直ぐに電気のブレーカを落とした。10分程して揺れが収まった頃、キッチンに行くと皿が落ちて散乱していた。

 17時頃に電気が復旧すると東北で大津波に流される家や車、人の映像がテレビから流れて、戦慄が走った。その晩は眠れぬ夜を過ごした。首都圏でも交通が麻痺、大きな国道に仕事帰りのサラリーマンの行列が続いた。アナウンサーが国内観測史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震と発表。その後、東京電力福島第1原発では電源が止まり原子炉は冷却機能を喪失。

 核燃料が溶け1から3号機は炉心溶融「メルトダウン」が起きた。3、4号機は水素爆発により原子炉建屋が大破。放射性物質が大量に放出される最悪の事態に陥った。これが不安を倍増させ住友家でも意気消沈。その後、津波はすさまじいエネルギーで家屋や港湾、工場施設などを破壊したと報道された。東日本大震災による東京電力福島第1原発事故などの影響で各地で電力供給不足が深刻化。

 東電管内では震災直後、地域ごとに送電を一定時間止める「計画停電」を実施。電力需要が高まる夏場の7月1日から9月9日には政府が東電と東北電力の管内で37年ぶりに「使用制限」を発動。対象企業だけでなく個人も節電に大わらわとなった。一方、定期検査で運転を停止した原発の再稼働に地元自治体が同意しない事例が続出。

 そんな事で2011年、東日本大震災で日常生活が無茶苦茶になった。そんな時に唯一、積極的に日本を支援してくれたのが台湾だった。台湾の赤十字会とテレビ各局が3月18日夜、東日本大震災の被災者支援のチャリティーイベントを開いた。4時間の生中継の間に電話で義援金を受け付け、7億8800万台湾ドル「約21億円」が集まった。

 台湾の有名歌手らとともにジュディ・オングさん、元サッカー選手の中田英寿さんらが参加。馬英九「マー・インチウ」総統夫妻や政権幹部も受話器を握った。2億台湾ドル「約5億4千万円」を出したのはアップル社の「アイフォン」の受託生産などで知られる鴻海グループ総裁、台湾有数の富豪で、日本企業との関係も深い郭台銘氏だった。

 義捐金を募るために台湾の赤十字とテレビ各局が行ったチャリティーイベント「相信希望」 、「ファイト・アンド・スマイル」には馬英九台湾総統も駆けつけ全体で20億円以上が集まった事で知られている。そこには数多く台湾の有名人も出演したのだが、「台湾のスーザン・ボイル」とも呼ばれている天才歌手『リン・ユーチュン』さんも登場した。

 彼は自慢の美声で日本の歌手「宇多田ヒカル」さんの名曲「ファースト・ラブ」を歌い会場を沸かせた。リンさんは男性なのに女性ボーカルである宇多田さんの曲を見事に歌った。また日本語の発音も素晴らしく日本人が聴いても全く違和感のない素晴らしい歌だった。そして2011年3月9日、ソロバン4級の受験票を手に入れ4月2日にソロバン4級を取得して合格した。

 秋には3級の試験に挑戦すると百合が話した。2011年も、やがて11月になり百合がソロバン3級の受験日を迎えた。その日には両親がついていき父がリラックスしてと言い母が大丈夫、あれだけ練習したのだから受かるはずよと勇気づけた。受験終了後2週間後にソロバン3級の合格通知が届いた。やがて2011年、悪夢の年が終わり2012年を迎えた。

 もちろん2012年になっても寄付金も経済界の首脳、社長からも多額の寄付金が寄せられた。こんな時でも百合はソロバン2級の試験の受験票を手に入れ合格のために練習を続けていた。そして2012年3月18日受験し4月3日に合格通知が届いた。その後、暑い夏に、日本中の原子炉が運転を停止し、やむなく首都圏で計画停電を実施した。

 2012年、長女の百合は、この頃、映画、特に洋画が大好きになって母と一緒に毎週のように出かけ映画を見た感想を夕食の時に、みんなに披露していたが、あまり興味のない弟たちは興味なさげに聞いていた。太一が気を使って一番良かったシーンはとか泣けたシーンはとか気に入った俳優はとか質問をすると喜んで答えた。そして昔の名画も見たいのでWOWOWに入会してと言われ了解した。

 そして全国から東北へボランティアが出向いたり炊き出しに言ったり積極的に支援の輪が広がった。その後、5月のゴールデンウイークを過ぎると一気に暑くなり出し蒸し暑い梅雨に入り、梅雨が明けると30度超えの厳しい暑さ、その後35度を超える猛暑日が続き家の中でエアコンを効かせて涼んでいるしかなかった。

 そうなると男性達と女性達が別の部屋に集まりテレビを見たり本を読んだりして過ごした。まれに雨が降って涼しい日の夜に海沿いの道を散歩した。太一が気分転換に北海道旅行を企画。7月20日から新潟からフェリーで北海道旅行に出かけるため奥さんの由美子が3日間有給休暇をとった。エスティマに家族5人と荷物を乗せて橫浜を朝6時に出発。

 国道16号を北上し橋本から高尾山インターチェンジから高速道路に入った。その後、県央道路を北上し鶴ヶ島から関越高速に入り赤城山パーキングで一休みして9時半に新潟港近くのインターで降りた。新潟港の日本海フェーリー乗り場に10時に到着、町中で菓子パン、おにぎり、飲み物を買い込んだ。予約したチケットでフェリーに乗船した。出発してから船の甲板を散歩しようとしたが風が強いのでやめた。

 その後、昼食をとり風呂に入り、ゆっくりした。翌7月21日、4時半に小樽港に到着。そこから高速道路に乗り車で札幌を抜け旭川についた。そこで一休みしてカフェでお茶をした。そこから美瑛に向かい美瑛の名所セブンスターの木、ケントメリーの木、パッチワークの路を見物した後、富良野のラベンダー畑を散策した。11時、早めの昼食をとった。

 次に国道452号線を三笠市を抜け岩見沢から札幌に午後14時に到着しホテルにチェックイン。少し仮眠した後、すすき野、狸小路などを散策した。ジンギスカン料理の店を見つけて、大人は、札幌生ビールを飲んで、味付けした羊肉を焼いて食べた。特の札幌で飲むビールは旨いと感じた。
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