第1話:太一が家計やりくり

文字数 2,401文字

 秩父謙吉は地元の中学を出て、くず鉄を溶かし鉄を作る会社に入社し夜勤で仕事をし3交代制で16時から24時、または0時から8時の仕事。家から製鉄所までバイクで10分。この企業の家族寮で家賃1万円の2DKの団地に住んでいた。母の秩父良江は、父の給料だけでは、生活費で全部なくなるので地元の商店で10時から18時までパートの仕事した。

 そのため母が朝食と一緒に子供達の昼食と夕食のおかずを作り御飯は冷蔵庫に入れて仕事をしていた。どうしても仕事で忙しいので、おかずはコロッケ、ハムカツ、卵焼き、野菜肉炒め程度で料理を作る暇がなく店売りのおかずをそのまま買ってくる場合が多い。秩父太一は小学校4年になる頃には自分で御飯を炊いたり母がやり残した台所の洗い物、洗濯干しをてつだった。

 中学に入る頃は買い物も手伝うようになり母に言われた暖めるだけで食べられる料理を買っていたが値段が高いと感じ、同じ物を自分で作れば半分以下で作れる事を知り、家計の家計を節約した。まず始めたのが風呂の残り湯を洗濯機に使う事。買い物は安いセール品。在庫一掃セール、近くの問屋のチラシで安い物を探し午後17頃の半額品。

 そんな姿を見ていた八百屋の店主が売れ残りの野菜をタダでくれたり、近くのパン屋でパンの耳をビニール袋に入れ無料でくれた。そう言う事で両親の収入・入ってくる金から家族が使う金・使う金の差が重要でプラスにできれば金が貯まりマイナスを続ければなくなる事を悟った。
そして秩父太一の友人、浜田健二の父が証券マンで遊びに行くと株の話に興味を持った。

 その後、太一にもチャートグラフを見せて、この会社の株はグラフの下の時に買い、上がった時に売れば、その差額が儲かると説明され、次第に興味を持った。勉強は好きではなく厳しい中学の授業が嫌で楽して儲ける方法ばかり考えていた秩父太一にとって会社で怒られずに食っていけたら最高だろうと考えた。その後、数学は絶対必要だと考えしっかり勉強し始めた。

 そのため数学だけは素晴らしい成績だったが、それ以外はダメだった。中学を卒業すると父から働けと言われ、俺、夜強いから近くのコンビニに勤めるというと何でもいいから自分の食べる以上に稼げと言い勉強したくなったら通信教育でも受け、高校行けと言われた。

 その後、太一の友人の浜田健二は近くの木更津高校から千葉大経済学部に入学した。妹は太一の家計のやりくりで1992年3月、千葉県立の商業高校を卒業し君津駅、近くの大型スーパーの店員として働き出した。1992年4月3日友人の父の浜田浩二さんに、まず高校を出ておくべきだと説得され通信高校講座をやれと、太一に言い資料を取り寄せ手続きを手伝ってくれた。

 テキストとラジオも手に入れて日曜日や夜寝る前にカセットに録音したラジオ通信高校講座を聴いてイヤホンで聞き勉強を始めた。やがて1998年3月末には通信高校講座を全て修了して高校卒業の資格を得た。それを次週の日曜日、両親に報告すると母が涙ながらに良くやった。これで、お前も世間から後ろ指さされることなく、やっていけるよと涙を流して喜んだ。

 父はと言うと、ただ、頑張ったなと肩をたたくだけだった。中学1年の頃から、しっかりと家計簿を付けて少しずつ残金を貯めるのが楽しくなって節約料理にも目覚めた。具体的には朝食は一日の始まりなので目玉焼きとソーセージとかしっかり食べて、昼食は1kg100円の小麦粉にキャベツの千切りと小エビと卵を入れたお好み焼きかパンの耳をフライパンで焼き砂糖で味付けしたパン耳ケーキと飲み物、たまに料理のおかずが残っていれば、それを小麦粉と混ぜ、お好み焼きにした。

 また、少し味付けした小麦粉を溶いて焼いたホットケーキのような物に、おかずを挟んでマヨネーズをかけたホットケーキサンド様にして食べた。夕飯は半額の商品、賞味期限が近く格安商品を工夫して、使い続ける様にした。そういう数々の努力によって遂に毎月、少しずつ家計がプラスになった。それが楽しくてたまらなくなった。その後、毎月、1万円を目標に残金を増やして1年間で12万円が貯まった。

 そこで夏休みには近所の遊園地に連れて行ってくれるようになり子供達は大喜び。
 そしてクリスマスにケーキを買ってきてくれた時は妹の多惠が大喜びしたのを見て
、兄の太一と両親は涙を流した。そして正月には妹の多惠に可愛い洋服を買ってやれる
ようになった。それでも預金が貯まり続けるのを見て秩父太一は経済の大切さを
つくづく実感した。

中学を卒業しでコンビニパートの仕事を10時から18時まで働き時給500円で1ケ月26日で月給10.4万円をもらった。

 16歳で原付バイクの免許を取り近くのバイク屋で中古の原付バイク特別に安く購入。18歳から労働時間を増やし9時から21時まで働き日曜だけ休みにして時給は700円になり月給22万円もらえた。経済を考えて、お金を貯める事にして月に1万円で生活する方法を継続し、お金を貯めた。無駄使いせずに3年間で350万円を貯めた。

 友人のお父さんが太一が就職してる証明書を証券会社に持って行けば18歳でも証券口座を開けると教えられ1990年10月1日友人の父の勤めるN証券に出かけた。そのおじさんに担当者になってもらい証券口座を開いた。その後、自分の預金から300万円を送金。その後N証券に行き友人の父の浜田浩二さんが指示通り、すれば、悪いようにはしないと静かに言った。

 朝、必要な時、家に電話すると言った。その後1992年には太一の預金が再び300万円まで増え200万円を送金し証券口座を500万円にした。1992年3月12日、朝8時30分成り行きで買い注文を入れ1株3830円、1200株460万円で買え投資残金が40万円と
なった。しかし株投資している事は自分の両親には秘密にしていた。
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