第5話:結婚後、家族と両親7人のドライブ旅行

文字数 3,111文字

 その後、8月10日に必要な電化製品、飲み物、食料品を買い込んで新居に運び込んで15時には、引越を終えた。とりあえず布団を寝室に敷き段ボールから必要な物を出して、風呂に入り、22時には疲れて眠ってしまった。翌日はトーストを焼いて珈琲で食事をして、早速、買ってきた整理タンスや茶箪笥に生活用品を整理した。

 10時頃、洗濯機、冷蔵庫、テレビなどが運ばれてきた。16時に全て終わりトヨタの店に行き中古のクラウンを250万円で購入してきた。結婚式のご祝儀が250万円入り由美子さんの口座残金が600万円となり夜、床についた。翌、6月22日から太一もコンビニの仕事に戻った。その後、新婚旅行は10月下旬のハワイに4泊6日100万円の豪華新婚旅行を計画した。

 その話を聞いて、そんな大金使って良いのと由美子さんが言うのでヤフー株で10億円儲けたというと
「今日は4月1日、エイプリル・フールじゃないのよ、ウソ言っちゃ駄目」と言った。そこで、N証券の証券口座を見せると
「虫眼鏡でゼロの数を数えると、びっくりして、本当だ、すごいわね」と大喜びした。そして、暑い夏を迎えて大きなエアコンを取り付けた。

 お盆が過ぎ少し涼しくなった9月10日、奥さんの由美子さんが気持ち悪いと言った。そこで近くの産婦人科に行くと妊娠とわかり2001年2月20日が出産予定日と告げられた。浜田浩二さんから2000年11月、電話で金「ゴールド」が安いから買おうと言い買い値1g、千円で100kgずつを太一と奥さんの由美子さんの名義で1億円ずつ合計2億円で購入し太一の残金が8億円となった。

 妻の妊娠を聞いて太一は長年勤めているコンビニの店主に女房が妊娠したので心配なのでパートで仕事をしたいと言うと了解してくれた。やがて2001年となり2月17日に奥さんは会社に出産休暇をとって産婦人科病院に入院し2月20日に女の赤ちゃんが誕生し秩父百合と名付けた。2月23日に退院してきた。すると太一の母の良江さんが手伝いに来てくれた。

 そして妹の多惠も、お祝いに来てくれた。母の良江さんに昼間の奥さんの面倒を見てもらい、太一は週休2日で9時から17時までコンビニで働いた。都合ができた時は1週間前に休暇願いを提出すれば休めるようになった。そして少しずつ暖かくなり4月を迎え、娘の百合は、時折、可愛い笑顔を見せてくれるようになり周りの人を喜ばせた。

 半年が経ち夏になりエアコンを効かせて母と奥さんと娘の百合が和室で休んでいた。半年が過ぎると、娘の百合の首も座ってきた。その後、9月10日、太一のクラウンに乗せて君津の実家へ行って父に見せると大喜びしてくれた。12月を迎えて母に感謝して太一が素敵な服を母に送り自宅に帰ってもらった。その時、また大変な時は手伝うからと言ってくれた。

 やがて2002年となった。この頃、アメリカのネットバブル崩壊で日本経済、日本の株価が大きく下げて不況の時代を迎えた。アメリカでは2001年のエンロンに続き2002年も大手企業の不正会計やインサイダー取引などの不祥事が続出した。2012年6月には長距離通信大手・ワールドコムの大規模な不正経理が発覚、7月に経営破たんした。

 日本ではデフレ不況の進行に伴い日経平均株価は2002年10月3日終値でバブル崩壊後の最安値を更新し1983年以来19年ぶりに9000円を割り込んだ。そんな2002年10月12日、深夜、世界有数のリゾート地のインドネシア・バリ島のナイトクラブ前で大規模な爆弾テロが発生。インドネシア警察当局は東南アジアのテロ組織ジェマ・イスラミアの犯行とみて指導者らを逮捕。

 やがて2003年。その頃、太一の長女の百合は立って歩きだした。4月2日に奥さんの由美子さんが体調を崩し産婦人科にかかると、再び妊娠したことがわかり出産予定日が10月11日と知らされた。6月、7月、梅雨が明ける頃には、大きな、お腹を抱えて汗びっしょりで動いていた。昨年からNTT千葉に勤務して通勤は車で5分と近くなった。

 8月の検診で双子ではないかと産婦人科の先生が告げた。そのため出産休暇を9月11日から申請した。太一の母が来てくれ身の回りの面倒を見てくれ、太一も9時から17時の勤務をお願いした。やがて10月9日に産婦人科病院に入院し11日に双子の男の子誕生。長男を太郎と次男を謙二と名付けた。弟の誕生に長女の百合が、最初、戸惑っていたが可愛がって頭をなでた。

 そして11月、12月と太一と太一の母の良江が奥さんの由美子さんと子供達の面倒を見て、炊事、洗濯、買い物を手伝った。やがて2004年となった。その後も太一と母の良江さんが子供3人の面倒を見続け少しづずつ暖かい春へ。4月となり5月連休後の5月11日、母の良江さんが自宅に帰り子育てで大変な時には太一がコンビニを休んで家族の面倒を見た。

 そして6月1日から奥さんの由美子さんがNTTに復職し自宅から近いNTT千葉の事務所に通い始めた。家族が増えたのでクラウンを売って200万円を足して豪華な9人乗りエスティマに乗換えた。土日には太一夫妻が子供3人と両親と妹を乗せて8人で秋にはマザー牧場、冬には鴨川、勝浦の温泉に出かけた。太一は子供が風邪を引けばコンビニを休み家族本位で仕事を続けた。

 やがて2005年。この頃、長女は近くの保育園に預けた。この頃になると家族8人で
アクアラインを利用して横浜に出かけ山下公園、横浜港、外人墓地、みなとみらい、元町、中華街と観光名所巡りを楽しんだ。昼食は中華街の有名店を食べ歩いた。奥さんの由美子さんが橫浜の魅力に見せられて、みなとみらいのタワーマンションに住みたいわね言った。

 その後、橫浜から横須賀、三浦半島、城ヶ島、油壺、鎌倉へハイエースで出かける日々が増えた。費用は毎回、太一が支払った。鎌倉は春の桜、新緑、海岸線の美しさなど太一の母の良江さんも気に入って喜んでくれた。妹の多惠さんが会社の同僚と仲良くなって結婚して実家を出て、実家では両親2人きりになった。やがて2006年となった。

 この年もハイエースで両親を連れて茨城、橫浜、川崎、箱根、熱海と毎月の様にドライブに出かけた。しかし今年初めて長男の太郎がインフルエンザにかかり謙二、百合に感染し、子供達が治り始めた頃に、母の由美子が感染して5日間、会社を休んだ。幸いな事に太一は感染せず、家族の面倒を見た。やがて桜の頃になり両親と鎌倉、橫浜の桜の名所を巡ってきた。

 その後、5、6月には橫浜のバラの名所、海の見える丘公園、山下公園でバラを鑑賞して多くの写真を撮った。橫浜のホテルに1泊して横浜中華街で昼食をとって美味しいものを食べた。また元町では女性達が気に入った洋服や茶碗、カップを選んで数点、購入。しかし夏場は暑いので、7月中旬から9月中旬までは、出かけず自宅のエアコンの下で、ゆっくり過ごした。

 それにしても最近の猛暑と豪雨、台風と気象が変なのを太一は肌で感じていた。10月、一度泊まってみたかった山下公園の前のホテル・ニューグランドを予約して両親と子供達の7人で、3部屋を予約して宿泊。泊まってみると朝食のベーコンエッグの美味しさは今迄、味わった事のない味で感激した。

 それも、海を見渡せる素晴らしい部屋での朝食は、また格別だった。女性達がホテルの庭でのアフタヌーン・ティーも、お願いと言われ、予約したが、初めて感じる、なんとも言えない気持ちの良さを楽しんだ。そして、千葉に帰って来た。
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