第7話:子供達と祖父母との旅行、会食

文字数 2,957文字

 やがて2009年となり、百合は小学校3年生となり、太郎と謙二は、来年小学校にあがる。父親はもう少しで定年となる、昨年、太一が、みなとみらいに引っ越す時、将来、こっちで住まないかと聞くと、新日鉄君津の社宅に長く住んでいて、会社の後輩、先輩も多く、気心の知れた人たちに囲まれて生活していた方が気が楽だと話していた。もう、あまり、にぎやかなところよりも静かな海辺の方が性に合っていると話していた。

 太一も、社宅で長く生活していて、その気持ちもわかるので、そっとしておいた。東京アクアラインの開通で、みなとみらいからも車で1時間以内に行ける距離なので、何かあれば、直ぐいけるので、それ程心配しないで済む。それに、君津は、何と言っても生活費が安いのが魅力だ。仕事を終えて、夜釣りに行けば、数日分の小魚が釣れるし、潮干狩りで、
あさりなどの貝も手に入る。

 一方、奥さんの由美子さんは、みなとみらいを満喫して、楽しんで生活していると、娘の百合も休みの日には、写生をしに、近くの海岸で、絵を描くのが大好きなようだった。最近は、母の持ってるデジタルカメラを借りて、多くの写真を撮るのが楽しいらしく、とった写真を両親に見せて、誉めてもらうのが楽しみなようだ。そして、撮りためた写真は、父のパソコンに移して保存していた。

 最近は、算数の九九を覚えて、数学も好きなようで、ソロバンを買ってといい、暇があると、ソロバンの練習をしていた。そして、来年から、近くのソロバン教室に通いたいというので両親が学校を終えた後、算盤教室に入るのを許可していた。弟の2人は、元気が余っているのか、海岸沿いを2人で、毎朝ランニングして、楽しんでいた。そして走り疲れると、芝生やベンチに座って、遠くの船を眺めていた。

 やがて暑い夏になりエアコンの効いた部屋でテレビを見たり絵を描いたり音楽を聴いたりして子供達は、それぞれのスタイルで生活していた。やがて10月、少し涼しくなり、土日、たまに子供達を連れて映画を見に行ったり橫浜駅まで片道、徒歩30分で出かけて映画を見始めた。最初はア二メーション映画ばかりだったが、お年ちゃんは母の好きな映画を一緒に見ていた。

 11月になると箱根、富士五湖へ行き美しい富士山、高原の紅葉、箱根仙石原のすすきを見たり、多くの写真を撮ったり絵を描いたりして楽しんた。そして富士吉田のあつあつの吉田うどんを食べて体を温めた。そして箱根の温泉や熱海の温泉に入り港の周りを散策して多くの海の写真を撮ったり熱海の昔懐かしい、お店屋めぐりをしてきた。12月を迎え両親を呼んで横浜中華街で温かい中華料理を食べながら昼間に忘年会をした。

 12月24日、ケーキとフライドチキンを買ってきて自宅でクリスマスパーティーを開いた。今年も大きな問題もなく元気に過ごせた頃に感謝をし年を終えて2010年を迎えた。しかし、太一の家の収支決算は、毎月、16万円前後の赤字で年間200万円前後減少となった。そのため約10年で2千万円が減り現在の残金が8億円弱となっていた。

 今年から太郎と謙二が小学校にあがるので新しいランドセルや洋服、運動靴を買いに行き彼らも今年から小学生になるんだと、うれしそうに語っていた。昨年から風邪対策として毎晩、寝る前にうがい薬でうがいして、きちんと歯磨き手洗いをする事を子供達に義務づけ学校や外から帰ってきた時も、手洗い、うがいを励行させた。その効果で風邪を引きにくくなった。

 今年、母が、音楽を聴いたり電話をするのにアイフォンを購入したので長女の百合も一緒に使いたいと言い出し今年と来年の2年分のお年玉として買ってあげた。特に音楽プレイヤーとして使いたいと言い使い方を母に習っていた。太一は電話があまり好きではないので、スマートフォンは持たず、もっぱら自宅の電話機で電話していた。また音楽などはパソコンで十分だった。

 百合は小学校を終え、その後、ソロバン塾に1時間行き帰りが16時過ぎる事が多った。その後、勉強をしたり音楽を聴いたりして1人で忙しそうにしていて、弟たちと遊ぶことは、ほとんどなかった。しかし、弟の太郎と謙二は、たまに喧嘩もするが、一緒におやつを食べて、テレビを見て、宿題をして、散歩をして仲良くやっていた。2人とも数学、理科が好きな子だった。

 その後、百合は、たまに母と一緒に横浜美術館を見学したり映画を見たりコンサートを聴いたりして母と仲良く行動していた。そして本を読むのが好きで母も昔、文学少女だったようで話があった。そこで母が、この小説が面白いと教えたりして、土日にバスで図書館に行き数冊の本を借り、途中、2人でお茶して来る日があり、太一だけが、単独行動という日が増えた。

 やがて春になり今年、初めて東京湾フェリーで房総にわたり美味しい魚を食べてこようという話になり、みなとみらいの自宅から買い換えたばかりのエスティマを出発して本牧、根岸、金沢、横須賀を抜け久里浜港へ行きフェリーに車を乗せて出かけた。フェリーは思った程の揺れなく船酔いする事もなく40分程で金谷港に到着し、お昼近かったの近くのレストランに入った。

 そこで母と娘は刺身定食、男の子は魚のフライ定食、太一は煮魚定食を頼んだ。10分ほどで、煮魚以外の料理が出て来て、さっさと食べた。しかし煮魚は30分して出て来た。他の人は、コーラや珈琲を飲んでいた。しかし煮魚は大きな皿に、いっぱいあり、奥さんと子供達にも、分けてやると美味しいと好評だった、確かに、甘辛の味付けが上手でとても旨かった。

 その近くの店で魚、干物、お菓子などのお土産を買い込んだ。その後、車で1時間、内房海岸線の国道を北上して両親の住んでいる君津に15時近くに到着。お土産を渡し、お茶を飲みながら雑談した。すると両親が子供達の成長を喜んでくれ学校の話や百合のソロバン塾の話。男の子が、近くの海岸を走っている話などをゆっくり聞いていた。

 そして夕飯をいただいて19時に君津を出て東京湾アクアラインを走る頃には奥さん以外は爆睡。そして20時過ぎに家について風呂に入って床についた。この時の様子を百合が4枚の絵に描いてくれた。1枚はフェリーの絵、その他、煮魚定食の絵、おじいさんの似顔絵とおばあさんの似顔絵だった。この年の7月に父が新日鉄・君津の会社を定年退職した。

 その後、その似顔絵を郵送すると、お礼の電話がかかり、百合が、うれしそうに祖父母と話をしていた。この年の秋も、太一一家が車で祖父母の家を訪ねた時、家の壁に額縁入れた、百合が書いた祖父母の絵が飾られていた。祖父母が孫達と、うれしそうに歓談した。そして12月には君津から列車を乗り継いで、みなとみらいの家を訪ねて来てくれた。

 翌日、横浜中華街の店で忘年会を楽しんで太一のマンションに泊まっていった。帰りは、太一のエスティマでアクアラインを抜けて、君津まで送って行った。そして、定年退職になったので、また、遊びに来るよと祖父母が良い、孫達が、待ってますので、お元気でというと、祖母は、涙ぐんで、百合、太郎、謙二を1人ずつ、抱きしめてくれた。やがて2011年を迎えた。
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