第11話:百合の1級合格、両親の介護施設希望

文字数 2,453文字

 その後、9月、百合が11月に行われるソロバン1級試験の願書をもらい提出。受験日は11月11日、日曜。そして11月11日、日曜、百合のソロバン1級試験に付き添って行った。とにかく緊張をほぐすようにして受験会場に入り出て来たときはガッツポーズで出て来た。その2週間後に合格通知が届き、遂に百合がソロバン1級の免状を手にした。

 やがて12月になり昼間、横浜中華街で忘年会を開いて今年のスキー旅行、北海道旅行、百合のソロバン1級の話で盛り上がった。その後2013年があけた。今年は百合が中学生になる。3月、中学の制服、運動着、靴、学生鞄を買いに行き来てみると百合は随分、大人びたように見えた。そして11月に以前、購入した金「ゴールド」の価格が上昇してると連絡が入った。

 11月に1g千円が購入した金が1g4500円となった。そこで奥さんと太一で合計、金「ゴールド」200kgを売り税引き後利益が37000万円で太一の資産合計が11億円に回復。もちろん、この話は夫婦間だけにして他言せずにいようと話し合った。百合は中学に入っても数学、理科、国語、社会の成績が良く学年ベスト5に入っていた。

 そこで高校はフェリス女学園高校に入りたいと1年の夏には両親に話した。中学の先生もこのままの成績を維持すれば可能でしょうと言ってくれた。その後、太一は実家の両親に現状を聞き、もし金があれば何したいと父と母に聞いた。すると母が大きな病院が管理してくれる外房のK病院関連の近くの老人施設に入りたいと言った。しかし入所料が2千万円で25平米の部屋の家賃が10万円だと話した。

 この話を仕事から帰ってきた、奥さんの由美子さんに言うと、何とかして上げたいわねと言った。入所料の2千万円と家賃を払って上げたらと言い、どんな所かも、見てみたいわねと言った。4月21日土曜、その施設を子供達を家に残して夫婦でで見に行こうかと言うと、わかったと答えた。翌日、その話を太一の実家の母にすると、それはありがたいねと言い本当に申し訳ないねと話した。

 4月21日、朝7時に家を出て9時に君津の実家によって、車で60分、10時にK病院から5kmの所に自立型老人施設マンションが建っていた。施設の人にパンフレットをもらうと25平米でツインの部屋で入所金が2千万円で月10万円と書いてあった。2つのベッドとシャワーと風呂、小さな整理タンス、リビングには小さなテーブルと椅子が2つ用意してあった。

 南向きの窓から暖かい光が差し込んでいて夏に遮光カーテンもついていた。何かあった時、押すブザーが各部屋にあり24時間体制で2人が24時間常駐する態勢になっており搬送用の車も用意してあった。その他、庭の花壇を見たり敷地の施設を確認するように一回りした。もし介護が必要になった場合、他の関連施設に移れますと話していた。

 その後、K病院に行き病院の食堂で昼食をとりK病院の素晴らしい設備と体制についての資料を見て感心した。ヘリポートまで着いてるんだと太一が驚いた。あの施設から車で5分で到着するわねと奥さんも納得していた。診療科も多く検査施設も東京の大学病院の遜色ないと書いてあった。両親に、ここで良いのですかと聞くと申し分ないと言った。

 そこで、もし万が一、この施設が会わなかった時には、いつまでに解約できるのですのかと聞くと3ケ月以内であれば入所一時金は返却しますと言った。契約書には書いてあるのですかと聞くと最後のページに書いてあり、それを見て太一が契約をしたいと言った。すると、この契約書に書き込んで、この封筒に入れて送っていただければ、結構ですと言った。

 契約後、1週間以降なら部屋を提供できますと話してくれた。一応、2部もらって来た。その後、お待ち申し上げていますと担当者が言った。ちなみに現在どちらに、お住まいなのですかと聞かれ君津ですと答えると、ここから車で1時間位の所ですねと言った。その後、太一がK病院関連施設の自立型老人施設に入所申込書を提出し入所金2千万円を納めた。

 そして両親に老人施設の月の費用も納入するから安心して下さいと伝えると両親から申し訳ないね。これで長生きできるよと感謝された。ゴールデンウイークがあけた5月8日、朝6時、みなとみらいを出て太一と奥さんが両親を乗せて老人施設へ向かった。10時前に老人施設に到着して老人施設の事務の人に部屋を案内され荷物を運び込んだ。

 入所金、確かに入金されましたと言われ、車で5分のK病院の海の見える高層階のレストランで両親と一緒に昼食を食べた。太一夫妻が、また家族で老人施設を訪問しますよと話すと無理しないで時間のある時に来てくれば十分だよと笑いながら言った。その後、暑い夏となり外出せずにエアコンの下での生活を余儀なくされた。

 こんな時でも百合はフェリス女学院の受験のための勉強を続けていた。成績の方はクラス、トップを維持。ソロバン塾は辞め、夏でも、みなとみらいの映画館に母の由美子と一緒に勉強の息抜きに洋画を見に行き帰りに2人で喫茶店で、おしゃベルするのが楽しみだった。少しずつ涼しくなり10月を迎え、朝、晩に、みなとみらいの海辺を散歩するようになった。

 この頃になると、たまに外人墓地近くの洋館で、ミニ・コンサートが開かれると、両親と、百合が、連れだって、コンサートを聴きに行く日があり、その後、中華街で食事をするのが恒例だった。父は、辛い麻婆豆腐、母は、青椒肉絲、百合は、回鍋肉が好きだった。

 朝晩冷たい11,12月になると、中華街の麺類や、熱々の中華まんを食べ、体を温めていた。そして、12月14日土曜日の昼に、恒例の忘年会を今年は重慶飯店で開いた。辛い麻婆豆腐、チャーシューチャーハン、シュウマイ、蒸し鶏、エビチリ、フカヒレスープを食べて、仕上げのデザートに、杏仁豆腐を食べ、熱めのウーロン茶を飲んで、体を温めて、店を出て来た。
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