第6話:長女が小学生

文字数 2,704文字

その後、東京ディズニーランドにも出かけたが土日は混んで希望していた乗り物やアトラクションは長蛇の列で、ゆっくり見ることができなかった。その他12月16日、土曜日の昼、忘年会を企画した。横浜中華街の聘珍樓を予約して高級中華料理のフルコースで前菜から始まり、7品の豪華な料理が出て来て、どれも美味しく、美しいので料理の写真を撮りながら食べた。

 やがて2007年を迎えた。この年、太一の長女、秩父百合が小学校に入学。家から徒歩15分の小学校へ集団登校の輪に加わり最初は、慣れなくて、べそをかいていたが1ケ月を過ぎると、近所のお姉ちゃんと仲良くなり一緒に元気に登校するようになった。そして家に帰ってきては学校での出来事などを話すようになった。百合は絵を描くのが好きでドライブに行くと多くの絵を描いてくれた。

 2007年になり子供達も大きくなったので泊まりで旅行する日が増えた。まず、3月末、大船のホテルに泊まり鎌倉周辺で桜の花見をする計画をたてた。そして今回は、朝4時に千葉を出て5時には橫浜に入り6時には鎌倉からロープウェイ沿いに西鎌倉から江ノ島に向かい早朝の江ノ島海岸を散策し、そこから腰越を抜け鎌倉高校前の踏切の近くで海をバックにして記念写真を撮った。

 その後、七里ケ浜、稲村ヶ崎、由比ヶ浜の海岸線を走り滑川の交差点を左折し若宮大路に入り道沿いの駐車場に車を置いて混雑し始めた小町通りを散策し、その後、大鳥居で記念写真を撮り観光名所、鶴岡八幡宮に入り広い境内をゆっくりを90分散策た。朝が早かったので途中の店でおにぎりパン、飲み物を買い早めの昼食をとった。北鎌倉の円覚寺に立ち寄り60分散歩。

そして15時前に大船駅近くのホテルにチェックインして運転した太一と父は部屋で仮眠をとり由美子さんが子供達3人を連れて大船ルミネに入り夕食のお弁当やお土産、デパートめぐりして17時半頃にホテルに戻って来た。その頃には太一も両親も起きていて買ってきた珈琲、紅茶とインスタント味噌汁とお弁当を食べた。

 長女の百合がデジカメで撮ってきた写真を見ながら風景を思い出して持参した画用紙に数枚の絵の輪郭を描き始めていた。その後、ホテルの部屋の風呂に入り大人達は買ってきた、つまみとビールで今日の旅行の話をした。両親がアクアラインができて早朝だと木更津から橫浜まで20分足らずで着くと驚いていた。母が鶴岡八幡宮と鎌倉高校前の景色が良かったと語った。

その後、22時には床について翌朝、橫浜まで混まないルートを教えてもらった。そして9時過ぎ頃に出発した方が良いと助言され、言う通りにした。大船駅を出て、鎌倉女子大を抜け、公田の交差点を左折して、日野を抜け、上大岡、旧鎌倉街道を直進していくと、伊勢佐木町から関内に続いた。みなとみらい近くの横浜美術館の駐車場に10時半に到着した。

そしてランドマーク、クイーンズ・スクウェアを散策して突き当たりの橫浜・グランドインターコンチネンタルホテルの前の海岸線に出た。すると、海に浮かぶ、ぷかり桟橋が見えた。そこがシーバスの停留所になっている様で、何回かシーバスが着いて乗客が乗り降りした。その後、左、橫浜駅方面に歩いて行くと臨港パークに続き、広い公園となっていた。

 そこを直進しパシフィコ橫浜の建物が切れたところを左折し大きな道渡ると左側に大きなタワーマンション、MMタワーズが見えた。それを見た、太一の奥さんの由美子さんが、ため息をついて、こんな所に住みたいねと太一に言った。それを聞いていた、母の良江さんが、あんな高い所に数だら目が回らないかねと、笑いながら言った。

 帰る途中でポンパドールで「フランス・あんぱん」と数種類の菓子パンを購入して、橫浜美術館の駐車場に行った。その後、橫浜港近くの駐車場に車を止めて、赤レンガ倉庫の中を散策するとオシャレな店が多かった。その隣の象の鼻パークには、小さくて可愛い子象の像が、たくさん展示されていたので、写真を撮って来た。そこから、橫浜港と山しか公園を1時間くらい散策して千葉へ帰った。

 その後、2007年8月、ヨーロッパの大手金融会社・BNPパリバでパリバショックが起こった。2007年8月9日に米国の信用力の低い個人向け住宅融資であるサブプライムローン関連の証券化商品の市場混乱をきっかけにフランスのパリに本拠を置く世界有数の金融グループの一つであるBNPパリバ傘下のミューチュアルファンドが投資家からの解約を凍結すると発表した。

 これにより世界のマーケットが一時的にパニックに陥り、特に為替相場は短期間に大きく変動しドル円は約10円、ユーロ円は約15円、ポンド円は約20円、それぞれ1週間で円高へ。この背景は2006年頃から米国の住宅市場が変調をきたしサブプライムローン等の延滞や債務不履行が増えた。2007年にはサブプライムローン関連の証券化商品のリスクが市場において囁かれた。

 その中で「パリバショック」が起き、そのリスクが現実のものとなった。実際、ショック後の市場ではサブプライムローン関連の買い手がつかず、約に対応するための現金化が困難になり、それまで積極的に購入していた欧米の投資家が大きく動揺し信用不安が台頭した。当時は金融当局や市場関係者、金融機関などもサブプライム問題の深刻性をまだ十分に認識してなかった。

 いったんは鎮静化の兆しが見られ2008年があけた。しかし2008年3月の米大手証券のベアー・スターンズの経営危機でサブプライム問題が再燃し2008年9月にリーマンショック「米投資銀行のリーマン・ブラザーズの経営破綻」が起こり、ついには世界的な金融危機へと発展した。このリーマンショックで、橫浜のタワーマンションの売り物件、賃貸物件が増えた。

 それを知った太一は奥さんの話していた、みなとみらいのタワーマンションを月28万円の家賃で3LDK88平米のマンションを借りる決意を固めて奥さんの由美子さんに話すと大喜びし子供達の教育の事も考えると良い選択だと誉めてくれた。そして2008月12月3日に千葉のマンションからみなとみらいのタワーマンションに引っ越した。

 その後、由美子さんがNTT橫浜への転勤願いを提出すると受理されて、みなとみらいのマンションから徒歩10分の所にある、NTTの関連会社の経理部門に配属された。太一も山下公園の中のコンビニにアルバイトの仕事をしたいと話しに行くと雇ってくれた。小学校は徒歩20分の所にあり集団登校で長女の百合が登校し始めた。
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