第3話:彼女との結婚話とヤフーで成功

文字数 2,459文字

 あっという間に郡山に着いて郡山駅からタクシーで数分のビルも見て、あのビルの2、3階に父の皮膚科と母の眼科があるのと指さした。10分で大きなお屋敷の前にタクシーが止まり里美医院につけておいてと彼女が言うとタクシーの運転手が東京のお嬢様ですかと言い、かしこまりましたと言った。屋敷から中に入ると玉砂利が敷き詰められて灯籠がいくつかあり庭には大きな家と鯉が見えた。

 数分して玄関の呼び鈴を彼女が押した。するとお母さんと思しき人が元気でしたかと言いながら迎えに出て来た。お上がりなさいと言われ、あがり、長い廊下を行くと、大きな応接間に通されて、ちょっとお待ちください、どうぞと言われ、革張りのソファーに座った。少しして和服の2人の人が入ってきて彼女が、お母さん、お父さん、ただいま帰りましたと挨拶した。

 話が始まり、彼女が来年3月、日本大学経済学部を卒業して就職したら夏に、この秩父太一さんと結婚しますと告げた。すると彼女の父が、いつも由美子は自分で決めて、ごり押しするのだからと困ったものだと言った。その後、お父さんから学校はと聞かれ中卒ですと答えると、なんで高校に入らなかったのか聞かれ、高校は金がかかる割に、たいしたことないと思ったからと言った。

 しかしコンビニで夜働く様になり友人の父から通信教育で勉強して高校出てないと人様に馬鹿にされると言われ4年かけて卒業したと言った。働きながらと聞かれ、えーそうですと答えると偉いねと言った。その後、父は大きな製鉄会社で夜勤の仕事、母は昼間のスーパーでのパートで僕が中学の頃から炊事、洗濯、料理を手伝った。

 そして、どうしたら少ない給料でも、お金を貯められるか考えて入る金が少ないなら出る金を減らして、入る金以下にすれば金は貯まると考えた。どうやって食料品を安く買うか考え半額セール品、賞味期限近いもの、そのうち小さい子が頑張ってる姿を見て近くのパン屋のおばさんが、黙ってビニール袋にいっぱいに詰めたパンの耳、切れ端を無料で譲ってくれた。

 すると八百屋の大将も売れ残り、傷物、形の悪い野菜、果物を無料で分けてくれた。彼らのお陰で家計が黒字になり毎月、千円、2千円とため始めると自然に金が貯まってきた。中学を卒業し貯めた金で原付バイクの免許を取りバイクを買って自由に遠くまで行けるようになった。その後、18歳の時、友人の浜田謙二の父、浜田浩二さんから株投資をやって財産を作れと言われN証券に口座を作った。

 浜田浩二さんはN証券に勤めていて、そこで口座開設した。
「株は難しいから闇雲に売買するのではなく良い企業の株を売買しろ」と言われソニー株を奨められた。相場がはじまる前の8時半頃に電話で指示され、売買を始め700万円の利益をあげた。それを聞き由美子さんの父が、
「さすが、じゃじゃ馬娘、由美子が惚れただけのことはある」と言ってくれた。

その後、由美子が結婚を許してくれるのねと聞くと
「許すも許さないも駄目と言ったら由美子は家を出ても太一君と一緒になるんだろ」と言った。その通りと返すと、それなら賛成するよと言い、太一に両親が、よろしく頼みますと言ってくれた。これに対して太一は全身全霊をかけて由美子さんを幸せにして見せますと言ってしまった。

 そして話は終わり、お頭付きの鯛や、豪華の食事と地元の銘酒で宴会が始まった。すっかり、酔っ払ってしまい気がつくと翌朝になった。慌てて顔を洗い、由美子さんの御両親に、おはようございますと元気に挨拶し、今晩、仕事がありまっすので失礼しますと言い、遅い朝食をいただき10時過ぎに里美家を出てバスに乗り郡山から電車を乗り継いで17時に千葉・君津の家に帰った。

 夕方、風呂を出て18時からのコンビニ仕事へ向かった。そして長い真夏の日が終わり、また、いつもの生活にもどった。その後、里美由美子さんは就職活動をして1999年12月に、東京のNTTの入社試験を受け、その後内定の通知をもらった。その後も毎月第2日曜日、由美子さんとデートを継続し1999年12月を迎えた。12月25日、いつもの喫茶店で、ささやかな2人だけのクリスマス・パーティを開いた。

 やがて21世紀の幕開けとなり2000年を迎えた。コンピュータが誤作動するとか、いろんな怪情報が飛び交ったが、結局、大きな問題はなかった。2000年1月2日の日曜の朝、浜田浩二さんから電話で今日11時に木更津駅改札出口で待ち合わせて話がしたいと言うので出かけた。11時に行くと浜田健二君が車で来ていて浜田浩二さんの家の書斎に案内された。

 最初に新年の挨拶をした。浜田浩二さんが開口一番、
「ヤフー株が1株1億円を超えたぞ前代未聞の上昇だ」と驚いていた。太一は、にわかに信じられなかった。しかし一番驚いたのは浜田浩二さんだった、
「君の言う通りインターネット関連株が大化けしたね」と言い誉めてくれた。浜田さんが僕もソニー株で儲けたがヤフー株が、こんなに上昇するとは思わなかったと太一の肩をたたいた。

 こう言うのを英語でビギナーズ・ラック「初心者の幸運」というのだろうと大笑いした。しかし、そろそろ天井だと思うので売るべき時には、また電話で指示してあげると言ってくれた。その後2000年2月22日の朝、浜田さんから、ヤフー株の気配値が1株、16790万円だから、成行売りするべきだと言われた。ヤフー株は、1999年3月26日2分割と、9月27日にも2分割していた。

 そのため合計で株数が4倍、つまり買った2株が8株なっていた。134320万円で売れ、税引き後10.5億円となった。その後、浜田さんが、千葉で食事をしようと、2000年2月17日、日曜日、11時半に千葉駅近くの高級中華料理屋で待ち合わせた。店に入り、ヤフーの成功を祝して、中華料理の豪華なコース料理をたべた。そして浜田さんが、ヤフー株が、こんなに上昇するとは、考えもしなかったと言った。
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