第12話 飛竜五連 急

文字数 2,375文字

 マオの庵に世話になってから七日が過ぎた。骨は早くも繋がり、添え木も外した。これ以上厄介を掛ける訳にもいくまい。マオの案内で街道へ出られるという、谷沿いの山道を行く。街への用があるのか、レンカも荷を背負い付いてきている。険しい山道を抜け、切り立った崖を登った先には、谷を見下ろす開けた岩場があった。

『道が違うんじゃない?』
「ここで良いアル」

 荷を下ろしたマオは服を脱ぎ、取り出した真紅の衣に着替えた。
 戦装束だ。異国の物でもすぐに分かった。

「兄さんも、体術だけの拳法は戦場で役に立たないって思ったネ? 帝もそうだったヨ。ご開祖が御前で近衛の大将を打ち倒した時、お言葉は賜っても召し上げては貰えなかったヨ。武芸としては優れていても、戦場では使えないって話アル」

 この地に流れ落ちた始祖の話だろう。それなのに、それを語るマオの口調には、我がことのような歯がゆさが滲んでいる。
 マオは静かに構えを取った。

「血を吐いて会得した三連の飛竜も児戯扱いカ? 四連なら国中に並ぶ者なしと示せるカ? 恥辱にまみれたご開祖は荒神様に誓ったヨ。『飛竜五連を体得すれば、この世に負けるものはない。この命、いや一族の誇りに掛けてお見せしましょうぞ』ってネ」

 俺を見据え腕を差し伸べ、甲を見せた掌で招いて見せる。

「兄さんは見てみたくないアルか? 兄さんはきっと戦ってみたいはずネ」

 微かな違和感が残るものの、左足の踏ん張りは利く。
 体調は万全。拒む理由は何もない。
 俺は剣を抜き構えた。

 どこからか黒煙が湧き出し岩場を囲む。揺らめき形を変える黒煙は、無数の観客の姿を形作る。紅の旗が立ち、黄の幕が張られ、鼓の音が鳴り響く。

「昏き黒よりなお玄い吾が主ハンよ、冥府の底からご照覧あれ!」

 雲一つなかった青空に黒雲が垂れ込め、闇の中で大きな蛇が這いずるような気配を伝えてくる。

『気にするんじゃないわよ、相手は目の前の一人なんだから』
「リロイ・ロン・フェイ・キスク・キ・キ・チョウ・イェン・タルハ・ナザク・ナム・マオ。参る!」

 マオは滑るような足運びで、あっという間に間合いを詰める。
 外しようのない距離での初太刀は、マオに身体の軸をずらしただけでぬるりとかわされ、胸に拳の一撃を喰らう。
 内臓を揺さぶられるような衝撃。雛神様の悲鳴と混乱が伝わる。

「充分に練れておるな。これならいける」

 男のような口調で呟くマオ。俺の剣をかわす動きがそのまま攻撃に繋がり、急所に容赦なく肘、膝、拳を叩きこまれる。どういう理屈か、マオの攻撃は鎧を通して俺の身体に通る。鎧が物の役に立っていない。それどころか、俺自身が雛神様の鎧の役目も果たせていない。

『相性が悪すぎるわね』

 首を振って編んだ後ろ髪を跳ねさせるマオ。
 血を吐きながら後ずさる俺に、冷徹な目で宣告する。

「身奥に妙な神気を感じるな、異国の剣士。だがこれで終わりだ」

 足場の岩を砕くほどの踏み込みで跳ぶ。

「一つ!」

 振るった骨剣は空を切り、蹴りを受けた鎧の胸部が砕け散る。

「二つ!!」

 吹き飛ぶ俺の首に追撃。

「三つ!!!」

 さらに反対に蹴り飛ばされ、そのまま意識が飛びかける。

「四つ!!!!」

 無意識に胸を庇う腕を蹴られ、胸元ががら空きになる。剣は放さなかったが、左腕が折れ振るう力が入らない。

「五つ!!!!!」

 マオの脚が俺の胸を貫く寸前、放たれたナイフがマオの胸に突き立った。
 俺の腹を破った雛神様の脚が、俺の腰から抜き放ったものだ。信じられないものを見る目で己の胸を見るマオ。
 飛竜は五本目の牙を突き立てる前に地に堕ちた。

 手加減はできなかった。雛神様の判断は正しいが、泣きながら姉にすがるレンカを前に言葉を失う。
 それに――俺は勝てたのか?

『アイン、あんた自分の役割を忘れたんじゃないでしょうね? あれを相手に今立ってるだけで充分な勝利よ』
「おねえちゃん!!」
「思いもよらぬ手だ……初見故……とは、言い訳にもならんな。マオの代で完成すると高を括り……子作りを怠ったのが悔やまれるが……まあ、いい。今度こそ届く」

 マオではないのかと問う俺に、マオは血泡をこぼしながら男の声で応えた。

「……我はリロイでありマオだ。一族の魂は、誓いを果たすまで繋がれている……国はとうに滅んだというのに。西方に逃げ延びても……誓いは付いて回る。勝つしか……果たすしかない」

 この男も――いや、この一族も最強を願ったのか。成就しなかった願いはどこへ行くのか。

「ごめん……アル、レンカ。姉ちゃん……お前を解放して……やれ……」

 号泣するレンカに見守られ、マオは息を引き取った。


 庵の傍に墓を作りマオを弔った。遺されるレンカが気に掛かり、俺は迷宮に来ないかと声を掛けた。雛神様を賜らずとも、ひとり立ちできるまで俺の従者として置くことくらいはできる。

「いや。今回はおぬしの業が勝ったが、もう届いている」

 男の口調で否やを返すレンカ。

「だがそれを披露する身体ができておらぬ。あと十年――いや、五年たったら、このリロイ・ロン・フェイ・キスク・キ・キ・チョウ・イェン・タルハ・ナザク・ナム・マオ・レンカと手合わせ願えるか」

 五年どころか一年先の命も分からぬ身だ。それでも生きていれば必ず相手をしようと告げると、レンカは口元を歪め笑って見せた。

『あんたでも技が完成しなかったらどうなるの?』
「神への誓いは己への呪いでもある。神に対する不義の咎、竜にもなれぬ長虫と嘲られ、永遠に冥府の釜で煮られ続けるだろうよ」

 そう言って少女はリロイの口調で嗤い、レンカの顔で涙を浮かべた。
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