第50話 終焉の先触れ 壱

文字数 2,291文字

「久しいな」

 従者と護衛を侍らせた部屋の主は、椅子に掛けたまま俺に声を掛けた。
 銀糸の刺繍が襟元を飾る黒衣。磨き抜かれた革の靴。神壊学府の首魁・ゴウザンゼはあいかわらずの洒落姿だが、闇色の頭髪だけは乱れたまま。旅先でもないのにこの有様なのは、不精ゆえではなく酷い癖毛なのだろうか。
 帯剣こそ許されていないが、俺は手枷すら嵌められずにいる。両脇に立つ衛士ではなく、俺と自身の能力を知り尽くしたうえでの待遇だろう。

「できれば、神聖騎士団を迷宮に差し向ける前に会いたかったものだが」

 ゴウザンゼは傍に控える神聖騎士団団長・ベルカに目を向ける。ベルカが軽く頷くと、従者と衛士は俺達三人を残し退室した。

「監獄では大変だったようだね」

 無名の霧に覆われた監獄での顛末は、この男の元にも全て報告が上がっているはずだ。看守・収監者共に多くの被害が出たが、俺が咎を請けるいわれはない。獄舎の大部分は焼け落ちてしまったが、収監する囚人自体もその数を減らしている。生き残った者は他の獄舎へ移送され、年若い獄長はその任を解かれたと聞く。

「黒い男の過剰な演出趣味にも困ったものだが、幸い君は魔女の釜の勝者になったそうだね。獄舎の被害などそれだけでおつりがくる。いったい君は何を手に入れたんだい?」

 ゴウザンゼは切れ長の目を細め問い掛ける。そもそも俺が魔女の釜に参加したのはこの男の指示だが、ムニョス博士の依頼を果たした時点で、この話は終わっているはずだ。

「ああ、そうじゃない。約束を反故にする気はないさ。君に使う気がないなら、その権利を相応の対価で買い取らせて欲しいという話だ」

 魔女の釜の進行役であるジゼルは、死人さえ生き返らせることができると嘯いた。仮に神である雛神様をも甦らせることができたとしても、俺が主を護り切れなかったという事実までは消し去れない。俺が最強を目指していたのは、雛神様を迷宮の主にするために必要な手段であり、それ自体が目的ではない。騎士の資格を失った落伍者である俺には、望む奇跡などありはしない。

 ゴウザンゼが拘束した俺に恫喝で当たらないのは、今の俺が己の生や自由にさえ執着を持たないのを見抜いているからだろう。己が神になるとほのめかしたこの男なら、あの胡乱な娘に願うことは幾らでもあるだろう。使うあてのない望みなら、いっそ権利を譲っても構わないか。

 ふと、ゴウザンゼの傍らに立つベルカの、俺に向ける視線に気付いた。親しみとも、気遣いとも違う温い眼差し。

 ――哀れみ、か。

 確たる芯のない今の俺では、ベルカに挑む価値も権利も持ちえていない。
 この男の強さには到底届かないだろう。


 見せたいものがあると、ゴウザンゼに連れられた先は膨大な書物を収めた書庫――いや、図書館だった。魔術で空間を弄っているのか、外観より明らかに広い空間に書架の列が並んでいる。俺は棚に並ぶ本と巻物の数々に、既視感を覚えた。

「君たちが見付けた死霊の図書館だよ。使える情報があるかと手に入れておいた」

 ゴウザンゼは何気ない買い物のように言ってのけるが、あれは容易く手を出せる代物ではなかったはずだ。招かれた者でなければ辿り着けもしないと口にしたのは、この男自身だ。

 収められている書物の数々は同じでも、空間に漂う雰囲気はがらりと変わっている。恨みがましい死霊の姿はどこにもない。行き交う神壊学府の学徒達に交じり、朱い帽子を被った羽根持つ白い肌の妖精がせわしなく飛び交っている。

「ああ。これに検索を任せれば、効率的に調べものができるかと思ってね!」

 ゴウザンゼは誇らしげに両手を広げ俺に示して見せる。辿り着いた図書館の中央には、かつて孤島で目にしたワクワクがそびえ立ち、天井一杯にその枝を広げていた。館内の各所に備えられた書き物机では、学徒が書き留めた書類の束を、妖精がどこかへ運んで行くのが見える。

「妖精を繋ぐ蔦は邪魔だから割愛した。端末として各地の同輩にも送らねばならなかったからね。ワクワクが活動し続ける限りは、あえて情報を紙に出力する必要もないのだが、まあ保険の様なものだよ」

 俺とカイトが手を出せずに放置するしかなかった物も、ゴウザンゼはその情報を得るだけで全て我が物とし、そればかりか改良を加え自在に操っている。俺達の命懸けの探索は、この男の露払い程度のものだったということか。

 ゴウザンゼは俺とベルカを、ワクワクの前に据えられた卓に招いた。卓の上には、やる気なさげなワクワクの妖精の一体が座っている。 

「コンバンワ!」


「さて。そろそろ本題に入ろう。君は、最近夜空を眺めているかい?」

 これだけの物の前で、茶飲み話でもするつもりか?
 俺は先日まで窓もない檻の中にいた。旅をしていた間も、夜間は周囲に注意を払うか、少しでも身体を休めるのが先決。道に迷いでもしたのでなければ、星を頼りにすることもない。

「先生、それじゃ伝わりませんよ……」

 呆れ顔でゴウザンゼの従者――ドゥクと呼ばれていたか――が後を継ぐ。

「一月ほど前から東の空に、赤い星が観測されています。占星術師たちがこぞって凶兆だと告げるそれを、この図書館で検索してみたんですよね」

 ドゥクは水晶を取り出し卓に置いた。遠見の景色であろう夜空を映し出すと、ワクワクの妖精に問い掛ける。

「これは何ですか?」
「コンバンワ! それはグロース。終焉の先触れです! アザトースの宮廷から星々を巡り、破滅の音楽を奏でるものです!」
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