第17話 長い夜の見張り

文字数 2,554文字

「まさか、こんな依頼を受ける物好きな人がまだいるなんて、思いませんでしたよ」

 俺を出迎えたメイドはぞんざいな口調で言い放った。使用人らしからぬだらしない身なりで、半目のまま皮肉っぽく首を傾げる。随分くたびれた様子に見える。俺が詳しい話を聞きたいと告げると、

「あーあー、なるほど。知らないから来たんですね。すみません、整わなくて。メイド長は先月田舎に帰ったし、執事も今朝暇を貰って出て行ったばかりで」

 応接室の扉が開き、依頼人である古城の主が顔を覗かせた。焦燥し切った表情の男は、隙間から暫し無言で俺を見ていたが、入室することなく扉を閉め立ち去った。

『…………』
「いやほんとすみません。主も籠り切りで」

 侍女も侍女なら主も主だ。メイドは口元を歪め肩をすくめて見せた。改めてメイドが語る依頼の内容は、満月の夜城に現れるものへの対処だという。

『だからそれを詳しく教えなさいって言ってるのよ!』

 報酬はそれなりに多いが、受けようとする者がいないとは聞いていた。余程厄介な魔物が城に棲み付いたのかと踏んで訪ねて来たのだが。

「あー、見て貰った方が早いですね。来てください、こっちです」

 連れられた北側の城壁は深い谷に面している。覗き込むと、底も見えない深い裂け目が口を開けていた。

「夜になるとここを登って来るんでね、こう、見付け次第、ちょいちょいっと突き落として貰えれば。あ、剣でもいいですけど、こっちの方がいいと思いますよ?」

 メイドが俺に手渡すのは、身の丈の二倍はある木の棒。
 突き落とす? 殺さなくていいのか?

「どっちでも好きにしてください、こっちのほうが疲れないし。喜んで武器を振るう方もいましたが、そういう人はたいてい朝にはちょっとおかしくなっちゃってたんで」

 よっこいしょと、メイドは石積みの壁に背を預け座り込む。

「遠い昔、ここには魔術師が住んでましてね。それがいつの頃からか姿を消して久しいんで、主が手に入れたんです。この城を手に入れた時、魔導書だの呪具だのもそのまま残ってたらしいんですよ」

 その魔術師は地の底を這い巡るものを崇め、祈りを捧げていたという。

「それが満月の夜ごとにここを通るそうで。その時気まぐれで賜り物をくれるんだとか」
『その地の底を這うものを退散させるのが仕事? こんな木の棒で?』
「まさか。そりゃいくらなんでも無理ですよ。相手してほしいのは、主が貰った賜り物のほうで――おっと、そろそろ日が落ちる。わたしは引っ込ませて貰いますよ。あ、長丁場なんで水と食料です。それに松明。万一切らしたときは、月明りでなんとかお願いします。満月が城壁を照らすんで、見落としはないでしょう」

 西の山に日が掛るや否や、メイドは口早に言い残し城内へと戻った。“もの”の正体をわざとはぐらかされた節もあるが、メイドが言うように、説明されるより現物を見たほうが早いだろう。

『来たみたいね。ずいぶんな長さみたいだけど、育ち切ったドールかクートニアンあたりかしら?』

 微かな揺れが伝わる。裂け目の奥はまるで見通せないが、谷底を何か大きな物が這いずる気配がする。目を凝らしていると、闇の奥から崖を這い上がってくるものの姿が見えた。崖を登り切り、城壁を登り始めたあたりでやっと、月明りに照らされるそれを観察することができた。蒼白い肌を晒す髪の長い女の姿。どんな表情も浮かべることなく、ただ黙々と壁を登り続けている。

 そびえる城壁はとても女の細腕で登れる物ではない。人の形を取っているだけで、中身は別物だろう。棒の届く高さまで登り詰めたそれの胸を突くと、大した抵抗も見せず地の底へ落ちて行くのが見えた。

『あっけないわね。あんなまがい物を賜り物にするような存在なら、アブホースかウボ=サスラあたりの眷属かしら?』

 揺れは続いている。数度同じことを繰り返すと、城壁を這い上がるものの姿は二つに増えた。全く同じ姿の女が壁を登ってくる。先行するものを突き落とすと、その姿が闇に消えるより先に、さらに三つの影が昇ってくる。

『なるほど。キリがないわね』

 月に照らされる城壁を、女の群れは無表情のまま壁を登り続ける。突いた時や落ちた時に傷付いたのだろう。顔の潰れたものや、手足が折れ曲がったものの姿も加わる。延々と女の姿をしたものを落とし続ける作業は、東の空が白むまで続いた。

『お疲れ様です。あー、わかります。うんざりだって顔ですね』

 食事どころか水を飲む暇さえなかった。一晩中壁を這い上がるものを落とし続け、疲れ切って表情を無くし城壁に背を預ける俺に、メイドは自らも疲れた顔で声を掛ける。

「そんな目で見ないで下さいよー。こっちだって揺れが続いてる間、眠れやしないんだから。もしあなたが仕事を放り出して、あれが城内に入り込んだらと思うと、ぞっとしませんから」

 あれが地の底を這い巡るものからの賜り物かと問うと、メイドは苦笑交じりに応えた。

「主が悪いんですよ。見目好い女を望んで、一度は受け取ったんだから。最初は良かったんでしょうがね。人間じゃないんですから、弄んでいるうち、どんな気味悪い本性を目にしたのやら。一月で嫌気がさして、ここから突き落として厄介払いしたものの、どうしたものか毎月帰ってくるようになって。ありゃあ意地でも受け取らせるってつもりなんですかね?」
『知らないわよ!』
「さーて、どうです。次の満月の夜もお願いできますか?」

 こんな無為な行為は修練にはならない。地の底を這い巡るのものと直接対峙するほうがまだましだ。

「ですよねえ。あんなに怖がってるのに、主はそれは試さないんですよ。なんならいっそ城を捨てて逃げたほうが早いんでしょうけど、それもしない」

 魅入られたのか。あるいは本心ではまだ望んでいるということか。城の前の主人である魔術師が姿を消したのも、崇める神のせいで、案外似たような事態に陥ったからなのかもしれない。

「どうなんでしょうね。何にせよ、わたしもそろそろうんざりです。次の満月の夜までに、暇を貰うつもりです」

 そう言って、メイドは口の端で力なく笑って見せた。
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