第37話 賢者の遺物

文字数 3,028文字

 久方ぶりに訪れた交易都市で、見知った顔に声を掛けられた。何度か依頼を受けた学者、確かナイクスといったか。俺の来るのを待ち構えていたらしい。酒場で話を聞いてみると、神壊学府絡みの仕事だという。

「ゴウザンゼ師から話は伺っています。末席ですが、僕も学府の一員なんですよ」
『あの男が噛んでいるなら、きっとろくな話じゃないわよ』

 雛神様の渋る声。汐詠媛の件は一応の解決は見たものの、俺が魔女の釜の争いに巻き込まれたのは、ゴウザンゼの筋書きだ。あの男が何を考えているのかは読み切れないが、良いように踊ってやるつもりもない。あの男は、俺に何をさせようとしているのだろう。

「ゴウザンゼ師は簡単に神を壊すとか公言しちゃいますけど、僕なんかは、ダゴンやツァトゥグァなんかの大きな教団と角突き合わせることになるのは、正直勘弁してほしいんですけどね」

 辟易とした体を見せるナイクスは、エールの杯を置いた。表情を真剣なものに改め、顔を寄せ声を潜める。

「師はすでに神殺しをやってのけ、それを材料に神器や使い魔を作っています。各地に神殿を構える大教団と本格的にやりあうことになるのも、時間の問題かと」

 これは俺への、延いては鋼殻騎士団への警告のつもりだろうか。ゴウザンゼが港町で見せた、異形の使い魔の姿を思い出す。神気を帯びたあれは、神の遺骸を使ったものだったか。

「――ま、僕としては、師の研究のプロセスで得られる知識や技術に、純粋に興味があるだけなんですがね」

 軽い口調に戻すと、ナイクスはくだけた様子で杯のエールを飲み干した。

 ナイクスの依頼内容は、今回も彼の護衛。だが今回は野山の探索ではなく、郊外の館へ向かうのだという。

「亡くなられたオルドゴル老師のお屋敷です。神壊学府でも賢者として扱われ、ゴウザンゼ師も一目置いていたほどの研究者ですよ」

 十日前に亡くなったばかリだそうだが、遺された研究資料の扱いで、困ったことが起きているという。

「重要な資料の保管に、警戒の魔術を掛けておられたようで。引っ掛かって、もう四人ばかり死人が出てるんですよ」

 ナイクスは、うそ寒そうに首を竦めた。だが、魔術なら魔術師に当たるべきではないのか?

「ほら、アレです。ゴウザンゼ師のおかげで、最近ツァトゥグァ神殿の当たりがきつくて……」

 確かにこの街の魔術師なら、ほとんどがツァトゥグァの神殿と縁のある者ばかりだろう。神殿の手前、学府の仕事を請けるとは思えない。

「それに、出てくるのは魔物のようですし、罠を解除できないなら、アインさんのような剣士に頼んだほうが早いかと」
『あきれた。どんな魔物かも分からないで相手させようっていうの?』

 雛神様はぼやいてみせるが、戦場では戦う相手を選べない。とりあえず、俺は調査にだけは同行すると告げた。

 屋敷の前には、出迎えの使用人が待っていた。……どこかで見た顔だ。

「あー、またあなたですか? でもまあ、なんか適任って感じですねえ?」
『またかってのはこっちのセリフよ!』

 衣装を着崩したメイド・リデルは、ぞんざいな口調で首を傾げる。いつぞや受けた気の滅入る夜警の依頼の時より、さらに荒んだ目をしている。つくづく巡り合わせの悪い女だ。

 リデルがこの屋敷に雇われてから、まだ一月も経っていないという。詳しい話を聞こうにも、新入りの彼女の持つ情報は、ナイクスの知るものと大差はなかった。

「とにかく気難しい人でしたよ。八十は越えてたって話ですから、いつ死んでもおかしくないから、人に嫌われようが構やしないってつもりだったんでしょうねえ。問題のお部屋には、入るどころか寄り付いただけで大目玉食らいましたよ」

 リデルは重い扉を、おっかなびっくり開けた。窓と扉以外の壁には書棚が据えられ、溢れた本が床にまで積まれている。ガラスの瓶に浮かぶ魔物の標本や、何とも知れぬ動物の頭骨も置かれているが、研究施設は別にあり、ここは書斎でしかないのだという。

「旦那様が亡くなってから、そっちの先生のお仲間が二組入られましたけど、中で何が起きたのかは知りませんよ。わたしが見たのは運び出される死体だけなんで。あー、もう行っていいですかね?」
『やる気のあるふりくらいして見せなさいよ!』

 いたところで何ができるという訳でもないだろう。戸口でそわそわしているだけのリデルを下がらせる。
 俺は骨剣を抜き部屋に踏み入れたが、何も起こる気配がない。

「部屋に入ってすぐ襲われたわけじゃなく、何かを動かして罠が発動したって感じでしょうかね?」

 続いて入室したナイクスが辺りを調べ始めた。俺は積んである物には触れず、剣を振るう空間と足場を確認する。入室した者は二組四人。誰一人生きて部屋を出た者はない。何かに襲われたということだが、積んであった書物の山が崩れている程度。書棚や扉を壊すほどのものではないようだ。床に散らばる本と敷物の一部に、血の染みらしきものが確認できる。

「でも、二度も襲われてるわけですから、探して見付からないようなものではないはずですね。逆に、うっかり触れてしまうような――」

 ナイクスが書き物机の上の古い書状の束に、何気なく手を触れた瞬間。室内の空気が一変した。
 黒い靄が机から湧き上がったかと思うと、ナイクスに絡み付いた。
 白い面を被り、黒い襤褸をまとった死霊の姿。靄は腕に変り、ナイクスの喉を締め上げている。
 投げたナイフは靄をすり抜け机に突き立つ。

『アイン、面よ!』

 ナイクスの肩越しに骨剣を突き入れると、黒い靄は霧散し、後には二つに割れた面と、一つかみほどの蛆の群れが残されていた。

『面の裏に、モルディギアンへの捧げ言がびっしり書いてあるわね。死霊は老師様ご本人だったみたいね』

 ナイクスは咳き込み喉元を抑えているが、命に別状はない様だ。死霊が現れる直前、彼が触れていた古びた書状を手に取る。

「あれ? これオルドゴル老師宛じゃなくて、老師の方から――」


 宛名の主は幸い存命で、今も同じ所に住まわっていた。
 孫娘から、俺が持参した古い書状を手渡されると、老婦人は訝しげな顔を見せたが、差出人の名前に何か思い当たることがあったようだ。深く感じ入った様子で状を押し抱いたあと、俺達に深く頭を下げた。

「へえ。呪いを掛けてまで見られたくなかったのは、出しそびれた状だったっんですねえ。いったい、何が書いてあったんです?」

 仕事を済ませ、ナイクスと酒場に行くと、すっかり出来上がっているリデルが絡んできた。
 再び職を失い、昼間から管を巻いていたようだ。

「開けてないんだから僕も知りませんよ!」

 絡まれたナイクスは、迷惑顔でリデルを引きはがそうと試みる。俺が確認したのは状の宛名と、封をしてあったということだけだ。封の方にも別の呪いが仕掛けていないとは限らない。

『死んだ後でも知られたくない物を目にしようとすれば、それこそ憑り殺されるわよ?』

 雛神様の言葉に素面に戻る元メイド。
 古びた状は、オルドゴルが賢者と呼ばれるずっと以前に綴られたものだった。ナイクスの研究とは関わりのない事柄だし、俺にはなおのこと関わり合いのないものだ。。

『朴念仁のアインでも気を回せる程度のこと。詮索するだけ野暮というものよ』
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