第31話 アフーム・ザーのランプ

文字数 3,487文字

 歩む死にトゥルクを捧げるのは明日の夜だという。時間がない。俺は身体が動くのを確認すると、戦場となる場所を確認すべく小屋の外へ出た。

『イタクァが歩くときは、激しい風雪そのものに姿を変えるとも聞くわね。さっきみたいな吹雪相手じゃあ、戦うどころじゃないかもしれない』

 ウィチタから貸し与えられた毛皮とブーツのおかげで、随分過ごしやすいが、風雪と化した歩む死と出会えば気休め程度のもの。すぐに凍えて動きが取れなくなるだろう。それに着込めば動きは鈍くなり剣を振るいづらい。鎧は諦めることになりそうだ。

 客人が珍しいのか、それとも道案内のつもりか。俺の後を付いて来るトゥルクに、アフーム・ザーのランプの祀られている岩山の洞窟の場所を尋ねてみた。

「あっち。けものも寄り付かないし、姉ちゃんが行っちゃダメだって」

 祀られているというより、封じられているというべきか。トゥルクが渋る風なので場所を確認するにとどめ、、歩む死の出没する雪原を一回りして戻る。大掛かりな罠を仕掛けられそうな場所はない。俺はトゥルクにイタクァの姿を見たことがあるか聞いてみた。

「ぼくは足あとしか見たことないけど、すごく大きかった。姉ちゃんの話では、空に目が光ってて、毛むくじゃらの手で人をさらうんだって!」

 そう語るトゥルクの表情は、恐れが見えない訳ではないが、どこか達観し割り切った風にも見える。既に自分の運命を受け入れているのか。集落に戻ると、家々の戸や窓の隙間から、こちらを伺う村人のよそよそしい視線を感じた。村人の助力は望めそうにない。

 夕飯には粥と干し肉を振る舞われた。俺の表情から状況が芳しくないことを読み取ったのか、ウィチタも言葉少ない。
床に就くと、雪原を吹き抜ける風の音に混じって、ウィチタのすすり泣きが聞こえた。俺は眠れぬまま風の音を聞き、夜を過ごした。


 日が落ちる頃、雪原に設えられた祭壇に、少年は横たえられた。篝火に照らされ、巫女が祈りを捧げている。村人の姿はない。皆固く戸を閉ざし、息を潜め家に閉じこもっている。

 少し距離があるが、俺は木立に潜み儀式を見守っている。腰には骨剣、手には一張りの弓。亡きウィチタの父が、狩りに使っていた物だ。

『弓を使うならハサウィも連れて行ってください。父とはいつも一緒でしたから』

 風が哭いている。雪原は直ぐに吹雪に見舞われた。寒気に漂う異様な気配に身構えるも、矢を放つべき相手を見付けられない。俺の目の前の雪に、突然水かきをもつ巨大な足あとが記された。

『来たわよアイン!』

 渾身の力で弓を引き絞り矢を放つも、何かを射抜いた手応えはない。吹き荒れる風雪の中、人のようにも獣のようにも見える、赤い骨格の様なものが渦巻いて見える。傍らの木立よりもなお高いそれは、手を伸ばし生贄を掴み上げた。

「トゥルク!」

 ウィチタの悲鳴が響くなか、俺は巨大な獣めいた手に二の矢を放った。今度は手応えがあったが、まるで効いている様には見えない。剣を抜き、足跡の刻まれたばかりの、脚のあるとおぼしき辺りに振るうも、逆に突風に吹き飛ばされた。

 隼は俺の肩から飛ばされ、そのまま飛び立っている。見上げるほどの高さに、掴み上げられもがくトゥルクの姿が見えた。

『肉体無しで、幽体をまとった霊体が歩いてるのね。だとしたら、たいした神気でもないのに、身体だけ大きいことの説明は付くけど』

 骨剣は届かず、弓矢では効果がない。危険かも知れないが一つだけ策がある。いま試すしかない。
 俺は急ぎ岩場の洞窟へと走った。洞窟の奥に設えられた祠の中で、灰色の炎が燃えていた。対面したばかりのイタクァとは、比べ物にならないほどの強い神気と冷気を感じる。灰色の炎を灯しているのは粗末なランプにしか見えないが、それが力ある神器でなければ、俺はこの場で凍り付いていただろう。鏃の一つにランプの火を移すと、俺は再び雪原へと走った。

 吹雪の中、風に負けずに飛ぶ隼が見える。トゥルクを救おうとしているのか。そのさらに上方に、憎悪と怨嗟に吠えるような歪んだ頭蓋と、吹雪の中でも光る二つの星が見えた。

 届くか。

 灰色の炎を燃え移らせた矢をつがえ、右腕で弓を引き絞る。俺のものであり、雛神様のものでもある右腕でも、既に表皮が凍り付いている。弓が壊れる寸前で放った矢は、灰の線を引き真っ直ぐに跳び、輝く星の一つを射抜いた。

 響き渡る獣の咆哮。
 赤黒い骨格が、吹き荒れる風の中霧散する。

 俺は弓を投げ捨て、放り出される少年の元へと走った。雪原に落下する前に辛うじて受け止める。
 微かだが、まだ息はある。獣の声の残響の中、俺は吹き荒れる雹交じりの吹雪から、その身を庇い抱き続けた。

 夜が明ける頃には、歩む死は吹雪と共に去っていた。トゥルクを抱え帰った集落は吹雪によって凍り付き、動くものの姿は、巫女であったウィチタ以外存在しなかった。傷付けられたイタクァが、退去する際に残した報復の痕だ。
 高熱にうなされうわ言を呟くトゥルクは粥も口にせず、わずかに苔を咀嚼するのみ。その足は凍傷とは違う何かで、黒く変形していた。

「人の食物を受け付けない……こうなっては、弟は長くはないでしょう。貴方は約束を果たしました。アフーム・ザーのランプは好きにして下さい」

 ウィチタの蒼い瞳は何も映してはいない。弟の髪を梳きながら、虚ろに呟いた。

「ですが、改めて勝負を申し込みます。貴方がここを去るのはその後です」

 衰弱し切ったトゥルクを残し、小屋の外に出る。だが、今更こんな勝負をしたところで、何の意味もない。

「ええ。何の意味もありませんね。 部族を守るためだったはずなのに。弟さえ失い、誰一人残らない。私のしてきたことに、何の意味があったんでしょう」

 大振りに短剣を振るうウィチタ。イタクァの巫女としてなら、俺を倒し得る秘技もあっただろうが、今の彼女は非力な少女でしかない。短剣を絡め飛ばすと、ウィチタは呆けたように座り込んだ。

「はやく……とどめを……」

 震える声で呟くウィチタに構わず、俺は骨剣を収め背を向けた。

『可哀そうに。終わらせてあげたほうが良いんじゃない?』

 ウィチタにとっては、その方が楽なのかもしれない。
 だが、無抵抗の者を斬るつもりがないのには変わらない。
 それに、憎む相手がいれば、それが生を繋ぐ糧にもなるだろう。

『そんなものかしらね……』

 嗚咽が慟哭に変わるのを背で聞きながら、俺は凍り付いた村を後にした。


 何があったのか、アフーム・ザーのランプを手に帰り着いた北の都は騒がしかった。出迎えた女子学徒・エルメルは、どこか浮ついた様子で俺を研究棟に迎え入れた。大水にでもあったのか、収められていた資料はずいぶん数を減らし、荒れた室内に残された書物は、どれも水に浸かったのか湿り気を帯びている。

「いや、大変でしたよー。力を封じ込めていたと思っていたんですが、あの状態で汐詠媛が海から水を呼びましてね。おかげでこの有様ですよ!」

 河を逆流した水は研究棟の地下を浸し、汐詠媛はその中を泳いで自力で海へ帰ったのだという。

「アインさんはしっかり仕事をこなして下さった訳ですしー、これでチャラって話じゃなく、ご請求頂ければちゃんと報酬はお支払いしますよー?」

 エルメルは氷室への重い扉を開くが、冷気は流れてこない。防寒具を着ることなく、俺はムニョス博士の研究室へと誘われる。

「博士ー、アインさんお帰りですよー?」

 ノックもせず、返事を待たずに扉を開けるエルメル。室内の様子は変わらないが、ムニョス博士の姿はどこにも見当たらない。

「汐詠媛の起こした騒ぎのせいで、氷室の温度管理設備もダメになっちゃいましてね。結論から言いますと、そのランプも間に合わなかった訳ですが――」

 主のいない浴槽には、黒い液体が溜まっている。エルメルは白衣を脱ぎ下着姿になると、浴槽にゆっくり身を浸した。

「安心してください! こんな姿になっても、博士の知性と知識は損なわれていませんし、こうやって身を浸せば、コミュニケーションだって取れます! まだまだいっしょに研究続けましょうね、博士!!」

 恍惚とした表情で身体に黒い液体を塗り込めるエルメル。俺には良く分からないが、本人達が納得しているのなら口をはさむことでもない。

『……楽しそうね?』
「ええ、とっても!!」
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