第43話 アイホートの迷宮 弐

文字数 3,540文字

 馬を走らせること二日。途中乗り換え夜も走り続けたが、遅れを取り戻せたとは思えない。
 急ぐ道行の上危険も多い。カルルには金を渡し、都に潜伏するよう指示を出した。万一神聖騎士団に捕縛された場合は、俺の父であるクラグドル卿の名を出すように言い含めた。結局、言葉を交わすことさえなかったが、父は子供を見捨てるような男ではない。

 馬を降り、木立に潜み迷宮の入り口を伺う。そこは神聖騎士団の野営地になっており、数人の歩哨が立っているのが見えた。そもそも迷宮は人間を招き入れるために作られたもの。人里離れた土地にあるが、決して籠城向きの造りではない。だがまだ落とされた様子も見えない。鋼殻の騎士達は敵を迷宮に迎え入れ、戦闘を続けている最中のはずだ。

 俺は気配を感じ剣を抜いた。背後から近づいていた鋼殻の騎士・ヘッケンは、手を広げ敵意がないことを示して見せた。

「生きてたのかアイン。だが少々遅かったかもしれん」

 ヘッケンの話によると神聖騎士団が現れたのは二日前。討伐隊の隊長・ベルカは鋼殻騎士団に対し、降伏し王命に従うよう伝え、半日の猶予を与えたのち迷宮に踏み入ったのだと。

「母神様の返答は『話があるならそちらから来るがよい』だ。当たり前だわな。ここはその為の場所なんだからよ」

 迷宮に居合わせた鋼殻の騎士は二十五名。刻限を待って迷宮攻略を開始した神聖騎士はおよそ百。野営地にもまだ二十人ほどの者が詰めているらしい。

『あんた、戦わずに逃げ出したんじゃないでしょうね?』
「とんでもない! 雛神様の判断です」

 ヘッケンとて望んで騎士になった男。嘘ではないのだろう。母神様への信仰が基になるとはいえ、騎士が直接仕えるのは各々の雛神様だ。いずれ母神様と戦うことになる身としては、母神様を守る以外の選択もあるということだ。

『私が守るべきは迷宮よ。人間どもが玉座を侵さないのなら、王命とやらに従う振りくらいはしてやれるわ』
『あらあらお優しいこと。アイン、行くわよ!』

 ヘッケンが身を隠すのを待ち、俺は迷宮の入口へと走った。歩哨の意識は迷宮内へ向いており、切り伏せるのは容易い。木立ちの影からの矢でさらに二人が倒れ、後詰めの騎士は周囲を警戒する。ヘッケンによる、同輩たる俺への別れの挨拶代わりだろう。

 追ってくる神聖騎士はいない。いまさら一人増えたところでと、高を括っているのだろう。数では大きく後れを取っているが、ベルカほどの手練れがそう何人もいるとも思えない。浅い階層にも戦闘の跡は見られるが、鋼殻の騎士が戦場に選ぶのは、まだ奥の階層のはずだ。

 少し進むと手が回らないのか、運び出されるず横たえられたままの屍体が目に付くようになった。そのほとんどは神聖騎士の物だったが、中には見覚えのある同輩の姿も含まれている。お守りしていた雛神様も確実に殺されてはいるが、遺体を粗末に扱う様子はない。王命による討伐のはずだが、ベルカは戦場の礼を守って戦っている。堂々正攻法で母神様の玉座に辿り着き、剣で交渉するつもりらしい。

『魔術で迷宮ごと埋めようとするような、馬鹿をしてくれなくて良かったわ』

 考えたくもない。そこまで礼を弁えぬ愚行を犯せば、母神様の怒りに触れ、百ばかりの神聖騎士だけでは足りず、巻き添えで鋼殻の騎士も神罰を受けるはめになっていただろう。

 下層に進むにつれ自然の地形を残した、母神様が造った本来の迷宮が姿を現す。上層と違い明かりを取り入れる縦穴が無いため、代わりに角灯や発光苔の数が多くなる。修練の為として、手先の器用な騎士や魔術の心得のある者が、危険な罠を仕掛けた場所も多く、まれにだがそれで命を落とす者もいる。

 何度も挑んでいる俺には初見の罠は少ないが、ここからは注意が必要だ。だが、神聖騎士がそのほとんどを起動させた後らしく、避けるほどの罠も残されていない。

「アインか。遅かったな」

 巨大な戦斧を肩に、壁にもたれ休みを取っていたユザノフが俺に声を掛ける。神聖騎士の数を減らすことを優先し、この場所に誘き寄せ戦ったのだという。

「修練としては悪くないと思って戦ったが、相手の団長は馬鹿に腕の立つ男だったな。キークに何もさせないまま斬り伏せやがった。おまけにどんな強運持ちか、罠もすり抜けやがる。俺には残りの奴らを、ここで相手するので手一杯だった。あの男ならいまごろ、母神様の玉座にまで辿り着いてるんじゃないか」

 禿頭を撫でおろし、ユザノフは自嘲を漏らした。

 神聖騎士団が仕掛けたのは殲滅戦でなく、鋼殻騎士団を取り込むための交渉だということだ。ベルカが母神様の元に辿り着き、機嫌を損ねることなく話を付けられるのなら、あるいは傭兵としての俺達の雇い主が、国に代わるだけなのかも知れない。
 だがゴウザンゼの考えでは、人の――国王の上に神を置くことはありえない。そのことを知って、母神様が提案を受け入れる可能性も皆無だろう。神が人の望みに耳を傾けることがあるとすれば、それは交渉の結果ではなく、神自身の気まぐれでしかないのだから。

 どこか複雑なユザノフの表情の理由は、俺とほぼ変わらない思考を経た結果だろう。入団の儀式の際、雛神様を賜る折に拝謁を許されて以降、俺が自力で玉座の間に辿り着いたことはない。それはユザノフも同じだ。己の力で辿り着けるとすれば、それは代替わりを挑む時だ。

「なあ、アイン。お前と剣を交えたのは、いつ以来だったかな」

 ゆらりと壁から身を起こし、ユザノフが戦斧を構える。

『馬鹿なの? こんな時に!』

 こんな時だからなのかも知れない。礼を返し俺も骨剣を抜く。

『貴女はどうなの? 万が一にでも母様が弑されることがあれば。どさくさのうちに、姉様達の誰かが玉座に収まるかもしれない。貴女はそれで納得できる?』
『…………』

 雛神様の煩悶が伝わる。神聖騎士団の迷宮討伐を知った直後に、騎士である俺の敗北。立て続けに起こった出来事に対処するのに頭が一杯であられたのだろうが、雛神様としての存在意義を忘れた訳ではないはずだ。迷わずに、ただひと声命じて貰えればそれでいい。

『母様の玉座に行くのは、あんたでも神聖騎士でもないわ。あたしと、あたしの騎士アインよ!』

 猛々しく笑うと、ユザノフは突進し戦斧を振るった。並みの剣なら受けることも敵わずへし折られていただろう。
 だが、俺が手にするのはツァトゥグァの神気を帯びた骨剣。重い一撃を真っ向受け止める。

「お前がイザークを倒した時から、この日が来るのを楽しみにしていたぞ!」

 歯を剥き出しにして笑うユザノフ。迷宮での古さで言えばイザークと並ぶ。ユザノフも彼と決着を付けたかったに違いない。友であり敵でもある鋼殻の騎士とは、なんと業の深い存在なのだろう。

 まだ身体が回復し切っていない。力負けし押し切られる前に、斧の刃を剣で滑らせ後ろに飛んだ。
 追い打ちのユザノフの戦斧は俺の頭上際どくをかすめる。
 大振りだ。振り切った隙に斬り込もうとするも、横合いから矢を受けた。
 ユザノフの戦斧が壁を打ち発動させた罠だ。彼は罠の位置を知り尽くし、それを戦いに組み込むこともできる。

『こざかしい! さすがに古株ね』
『ありがとう。誉め言葉ね』

 矢傷を受けた俺に、振り下ろされる戦斧をかわす余裕はない。再び骨剣で際どく受け止める。
 ユザノフも連戦で疲弊しているはず。それでもじりじりと押し込められてゆくのは地力の差か。

「力比べでなら迷宮の誰にも、一本も取らせたことはないぞ?」

 ユザノフは膝を付いた俺に蹴りを入れた。
 破城槌の勢いで岩壁に叩き付けられる。

「お前の力はこんなものか、アイン!!」

 叫びと共に大上段から振り下ろされる戦斧。
 見誤るな。正確に。同じ箇所を。

 下段から跳ね上げた骨剣は戦斧の刃を打ち砕き、そのままユザノフの前頭部を斬り落とした。
 同じ個所への三度の斬撃で砕けたのは、俺の持つのが神気を帯びた骨剣だからこそだ。並の剣での勝負なら勝ち目はなかったかもしれない。

『でも、その剣を手に入れたのはあんたの力よ』
『ユザノフ……ユザノフ……』

 ユザノフの雛神様は身体から抜け出すことなく、倒れた自らの騎士に呼び掛け続けている。必定とはいえ、雛神様と騎士との別れの光景は、何度見ても慣れるものではない。

『あんたはどこかに隠れてなさい。生きて戻れたら、あんたの騎士も弔ってあげるわ』

 雛神様はぶっきら棒に言い残す。
 残念だが、今の俺には友の墓を作る時間の猶予はない。
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