第33話 悪徳と堕落について

文字数 3,238文字

「流れ者の傭兵さんね。ご一緒していいかしら?」

 思うような成果を出せず、明日の捜索に思いを巡らせながら食事を摂っている最中、その女は俺に話し掛けてきた。酒場はほどよく混んでいたが、満席というほどでもない。それなのに、女はカウンターで店主と言葉を交わした後、わざわざ店の隅に座る俺の元に近付いてきた。何か思う所があるのだろう。警戒を怠らず、目顔で卓の向かいの席を指し同意した。

 旅姿の若い女だ。外套の中に剣を佩いている様子はないが、懐にナイフ程度は忍ばせているだろう。少しくすんだ金の髪に碧の瞳。落ち着いた物腰や佇まいは聖職者のようにも思えたが、整った顔立ちに浮かべた微笑みには、どこか淫蕩な色がこびり付いている。

「面白い依頼を受けているそうね。一杯奢るわ。差支えなければ、お話を聞かせて貰いたいのだけれど」

 女は退屈凌ぎをしたいだけで、俺の仕事の邪魔をする気はないという。

『男漁りなら他をあたりなさいよ!』

 酒場の中には、女に物欲し気な視線を絡める者だけでなく、明け透けに声を掛ける者もいた。それをあしらってここに座ったということは、今回の依頼に無関係ではないのだろう。食事を切り上げた俺は、女の様子を伺いつつ話を始めた。


 依頼主はこの街のイホウンデー神殿。三日前、新たに赴任するはずだった巫女が攫われたという。辺境を荒らしまわっている、マテンズ一家の仕業と見られ、同行していた信徒達は皆殺しにされ、金品や食料は根こそぎ奪われていた。警吏は十年以上も一家を捕縛できずにおり、その対処のために神殿が護衛官を派遣したのだが、道中で待ち伏せを受けたのだ。

 警吏は端からあてにならず、神殿も予想外の事態に人手が足りない。ただ一人、屍体の確認されなかった巫女メルイの捜索と保護が最優先だと、流れ者の俺に話が回って来たという訳だ。


「へえ。賊を十年以上野放しにしておくなんて。田舎の警吏だけあって、やる気がないのかしら?」

 ワインの盃を傾けながら、女は皮肉っぽく口元を歪めた。
 それもあるだろうが、マテンズ一家は廃坑を根城にし、何年もかけて隧道を広げ、地下を自由に這いまわっている。幾度も編成された討伐隊も、奇襲や罠の数々に退散を余儀なくされ、近頃は街の守りに徹していると聞く。イホウンデーの神殿が巫女と護衛官を呼び寄せたのも、信徒達の安全を確保するためだった。

 俺が鋼殻騎士団の者と聞き、迷宮での戦闘経験も買われての依頼だったが、母神様の住まう迷宮に罠は少ない。あるとすれば、羽化しまだ成長途中の姉神様が自らを守るために仕掛ける物だが、俺はまだそこまで深い階層に辿り着いていない。

 俺は一人仕掛けられた罠を切り抜け、異様なほど静まり返った隧道を進んだ。一家の根城を突き止め、踏み込んだ俺が見たものは、奇形の屍体の山だった。首魁と思しき体の大きな男は、首を斬り取られ汚れた寝台に横たわっていた。歪んだ身体と似通った容貌を持つ男達の屍体には、奇妙なことに、互いに斬り合った形跡や、獣に喰いちぎられた様な傷痕が見られた。

 マテンズ一家は外との交わりを絶ち、近親相姦を繰り返していたと聞く。恐らく全て血族だったのだろう。初代が始めたイゴーロナク信仰は、歪みながらも続けられていたらしく、イゴーロナクを形どった、掌に口を持つ肥大した男の像や、顎の紋章が祀られていた。

 動くものの姿はなく、屍体の中に巫女らしい者の姿もなかった。屍体の検分だけに時間を取られ、隧道から続いていた山上の廃砦から外に出る頃にはもう夜になっていた。神殿にマテンズ一家の壊滅と、肝心の巫女の生死については、満足な情報を得ることができなかったと報告し、今に至っている。

「あらあら。とんだ無駄足だったわけね。あなたより先にその巫女を助けた勇者がいたのかしら?」

 あるいはとも考えたが、それなら今もって神殿に連絡が入らないのも解せない。

「そうね。それじゃあ、こんなことがあったんじゃないかしら」

 俺の話に薄い笑みを受かべ耳を傾けていた女は、指を立てて話し始める。

「男は殺し女は犯す。賊の考えることなんて同じようなもの。その巫女もその場で慰みものにされたんでしょうね。巫女にとって不幸だったのは、なまじ身体を鍛えていたこと。壊れることなく犯し続けることのできる巫女を気に入った賊は、そのまま連れ帰った」

 ワインで唇を湿し、ちろりと舌で舐め取る。

「巫女を気に入り、自分だけのものとして扱う首領を妬み、子供たちが寝首をかいた。もともと道徳とは無縁のけだものども。あとは血に酔い色と欲に目が眩んで殺し合い――ってところ。どう?」

 女は、自らの話す凌辱と殺戮の光景に欲情したかのように、目元を潤ませた。
 メルイも戦巫女としての修練を積んでいたという。経緯や手段を措くとすれば、残る可能性は概ねはそんな所だろう。だが、それだけでは現状を説明するには足りない。

『都合の良すぎる話ね。それならどうして巫女は姿を現さないの?』
「繰り返される凌辱の中で、巫女は何度も神に祈ったでしょうね。でも、全てを捧げ仕えたイホウンデーは奇跡を起こさない。やがて諦め死を願い、それでも痛みの度に変節し、下賤な賊に媚びへつらい、浅ましく生にしがみ付く。神に失望し己に絶望し世界を憎悪した時、ふと天啓を得たとしたら? 信じていたのとは別の神、イゴーロナクの声を聞いたとしたら?」

 女は――いや、かつてイホウンデーの巫女だったメルイは、碧い瞳を妖しく輝かせた。

『イゴーロナクの信者の群れの中で、なんでただ一人の異端が託宣を受けるっての?』

 雛神様の声に、メルイは馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「あら、神の端くれなのにそんなことも分からないの? 悪徳と堕落の神イゴーロナク。凌辱と殺戮に満ちたマテンズの屑どもの日常より、敬虔なイホウンデーの信者として、清廉に生きてきたわたしの堕落の方が、より尊く価値のある捧げものに決まってるじゃない!!」

 抜き打ちで放った剣は、メルイの左掌に現れた牙持つ顎に、文字通り食い止められた。
 同時にメルイが右手投げたナイフを、胸に食い込む前に左手で掴み止める。

「あらあら。わたしの始末まで依頼の内だったのかしら?」

 俺が剣を抜いたのは、目の前の女から滲み出る悪意と殺意に反応せざるを得なかったからだ。
 メルイは俺の左手を振り払うと同時にテーブルを蹴倒し、套から取り出した煙玉を撒く。店内の混乱に乗じて、イゴーロナクの巫女は酒場から姿を消した。


 俺は朝を待たずにイホウンデー神殿へ向かった。酒場での一件を全て報告する。随分待たされた末、戻った司祭に手渡されたのは、約束の三倍の量の報酬だった。

『ちょっと、巫女を追わなくていいの?』
「貴方はマテンズ一家の根城に押し入り、メルイを見付けた。傷付き衰弱したメルイは貴方に協力し賊を討ち果たしたが、受けた傷がもとで帰らぬ者となってしまった――いいですね?」

 もう係るなということだ。司祭は俺から目をそらし、信徒達に慌ただしく指示を出している。メルイを捕縛――いや、討伐する算段か。

『あの女、文字通り信じた神に見捨てられたわけね。信徒一人救えないなら、えらそうに神殿なんか構えなきゃいいのに』

 悪徳と堕落は、美徳と献身の裏に分かち難く存在する物なのだろう。
 マテンズ一家を犠牲に生まれた新しいイゴーロナクの巫女は、自らその身を捧げたイホウンデー神殿の欺瞞を確認する為に、安全のため身を隠すのではなく、危険を冒して俺との接触を選んだに違いない。

 この辺境の街は、依然脅威に晒され続けるのかもしれないが、その対処は俺の役目ではない。選んだのは巫女であり、彼女の仕えた神殿だ。
 肉体的なものではない深い疲労を覚え、俺は未明の通りを宿へと足を向けた。
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