第40話 イドラの娘 参

文字数 2,976文字

「お恥ずかしい話だけど、今はこの有様なんだよ」
「そんな……この前来たときは厩舎の拡張の話も出ていたのに」

 檻はどれも空で、厩舎の中にも動物の姿はなかった。ナイクスは檻を掴んで呆然としている。俺の感じていた違和感の正体は、たくさん飼われているという獣の声や気配が無く、誰も世話をしている様子がないということだった。

「ここの研究はオルドゴル師一人で成り立っていたからね。師が亡くなられた時点で、援助を打ち切る支援者も多かったし、研究動物の餌代もままならない。珍しい動物から貰われていったよ。ボクだけじゃ、世話もままならないしね。珍しい植物もあったけど、師でなければ管理の難しいものも多かったから……」

 ポリアナは温室の前でしゃがみ込み呟きを漏らす。中の植物はまばらで、枯れてしまっているものも多く見られた。ヨランダが出資者に輿入れすれば、あるいは研究も何らかの形で続いたかも知れない。だが求婚者の一人が死んだ今となっては、それも難しいだろう。

「まだやれることはありますよ! ポリアナさんもオルドゴル師の一番弟子な訳だし、ゴウザンゼ師に掛け合って、繋ぎの間だけでも資金を工面して貰えれば――そういえば、ムニョス博士のところも何かのトラブルで手が足りなくなったって聞きましたし、出向して勉強を積むとか!!」

 ふさぎ込むポリアナを見かねたのか、ナイクスは手を引き立ち上がらせた。空気が読めていないのかもしれないが、気持ちだけは伝わったらしい。気弱げな微笑みを見せたポリアナに、俺も頷いてみせる。だが、ムニョスのところは避けたほうが良いように思う。


 何か算段を思い付いたのか、早速とばかりにナイクスは飛び出していったが、俺はまだこの研究施設を離れる訳にはいかない。もう一人の出資者・エイルワースは屋敷を離れるそぶりを見せず、邸内には女しか残されていない。消えた剣歯虎の行方も、ベルタイグを襲ったものの正体も分からないままだ。

 きっと何かを見落としている。ポリアナと別れ、俺は一人で捜索を続けた。
 そもそもここでは何の研究していた? 瓶に詰められた標本の列を前に思考を巡らせる。

『おそらく掛け合わせね。この標本、混じりものだわ』

 雛神様は、ナイクスが感心していた標本のいくつかは、この世界の生き物と異界の魔物の掛け合わせだと指摘された。強い苗や珍しい色の花を選び育てることや、足の速い馬の血統を作り上げることは既になされている。だが、異なった動物をいくら集めてみても、掛け合わせることはできないはずだ。近い種類の馬とロバを番わせ、ラバを産ませるのがせいぜいのはず。

『だから魔物も集めてるんでしょう。深きものは人や魚と番うし、食屍鬼は攫った子を己の血脈に染めたりもする』

 深きものが別種と番えるのは、ダゴンがそう望むからだとも聞く。オルドゴル師は、人の力でそれを為す方法を探していたというのだろうか。

 妙な胸騒ぎを抱えたまま、ポリアナを探し邸内を駆ける。突然の俺の再来にに、一人厨房で酒を飲んでいたリデルはむせかえりながらも応えた。

「えほッ! ヨ、ヨランダさんのところじゃな、い?」

 別棟のヨランダの部屋へ走る足で、残る使用人の無事を確認する。エイルワースの部屋にも立ち寄ったが、もぬけの殻だった。

 ヨランダの寝起きする部屋は別棟の塔にある。扉を開けると、ちょうど階段を下りてくるポリアナと鉢合わせした。慌てた様子の助手を押し退けるようにして階段を上り、一つだけあった扉を押し開けるた。奇妙なほど生活臭のない部屋にの中央に寝台が据えられている。シーツの上あったのは乱れた衣服と、散らばる風鳥の羽根。それに、今朝ベルタイグの部屋で見たものと同じ、萎び歪んだ木乃伊だった。

『これは洒落者の着ていた服ね』
「この研究はもう終わりです。……ボクをここから連れ出してくれませんか?」

 背後から思い詰めた様子の声がした。

「出資は最後に残った二人の分を合わせてやっと、最低限の研究を維持できる額だったから。どちらか一人は選べなかったんだ……一人分ではすぐにでも破綻しちゃう」

 だから自らの手で全て終わらせたのか。
 振り向くと、泣き出しそうな表情のポリアナが立っていた。

「あなたも、この姿じゃないとダメなのかな……?」

 着ているものは薄汚れた白衣のまま、その姿を白く透き通るような美姫のものに変える。
 公に資金を集めている研究では、安易に人の身を実験に用いる訳にはいかない。オルドゴルは情報秘匿の意味も兼ねて、たった一人の助手の身体に施術を繰り返していたのだろう。

「それとも、あなたの中に雛神がいる限り、相手をして貰えないのかな?」

 抜き打ちの剣は、ヨランダの硬質化し手甲となった腕で弾かれた。
 寝台に押し倒された俺は、ヨランダの膝から生えた獣の牙に腿を貫かれ、脇から伸びた触腕に両腕を絡め捕られる。

「あいつらにしたように、搾り取るしかできないわけじゃないよ。雛神だけ食べ尽してボクのものにしたあと、元の身体に戻してあげる」

 鉤爪に変えた両手で俺を寝台に縫い付けると、ヨランダは泣き出しそうな表情を浮かべ耳元で囁いた。
 無言の否やを返す俺に、ヨランダは顔を歪めて嗚咽を漏らす。

「どうしてダメなの? 好みの顔になってあげるし、もっと綺麗な姿にだって――」
「――――――――」

 苦しい息の下漏らした俺の返答に、ヨランダは虚を衝かれた表情を見せ、腕からわずかに力が抜ける。触腕を絡めたままの右手で剣を逆手に返し、ヨランダの脇腹からゆっくりと刃を突き入れた。


 ポリアナの白衣の内側には、血判状が収められていた。互いに知らぬ内とはいえ、魔女の釜の契約により引き寄せられていた訳だ。

『身のほど知らずね。あたしの騎士に手を出さずに、あの若い学者とここを出ていれば、どこか違う場所でやり直せたかも知れないのに』

 ポリアナにその気があれば、いつでも逃げ出せていたはずだ。そうしなかったのは、自らの身体を使った研究に未練があったのか、いつの間にか役割に縛られていたからか。どちらにせよ、彼女は己の意志で、やり直しではなく終わりを選んだのだろう。

 俺はナイクスが戻る前にポリアナの遺体を埋葬した。二人の出資者を襲ったのはやはり危険な実験動物だったが、それも始末したと。ポリアナの生死は不明だが、襲われたのでなければ、責任を感じて姿を消したのかもしれない。そう偽りを告げると、

「……残念ですね。でも、彼女ほどの能力があれば、生きていればきっとどこかで成功するでしょう!」

 沈んだ表情を振り払い、ナイクスは笑って見せた。この男なら遺された資料を研究し、いずれここで本当に起こったことを突き止めるだろう。それで構わない。必要なのは、彼が真実を受け止める強さを持つまでの時間だ。

『それよりあの時なんて返事したの? 聞かせなさいよー』

 雛神様の思考は笑みを含んでいる。聞えなかったはずはないのだから、俺をからかうつもりなのだろう。

『まあいいわ。あんたはあたしの騎士だし、そのことだけ忘れずにいれば良いんだから』

 無言を貫く俺に、雛神様は笑って見せた。
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