第32話 優しい缶詰の作り方

文字数 3,387文字

 長旅で痛んだ鎧の修繕をするため、鉱山都市を訪れた。この街は西の鉄鉱山で栄え、鍛冶師や鋳物師、細工師の工房が軒を並べている。俺が以前使っていた剣もここで作られたものだ。海や雪原など、鎧が邪魔になる戦場が続いたが、俺が最後に帰る場所は迷宮だ。状況に応じて装備や戦法を合わせることはあっても、流儀まで変える必要はない。修繕のみを依頼し、鎧を預けた。

 腰に佩く骨剣は鍛冶屋に預けられる物でもない。魔術師の知り合いでもいれば、手入れを頼めるのだろうか。刃こぼれもせず切れ味も変わらないが、次また神と対峙することがあれば、無事だとも限らない。神気をまとう武器に頼らず、鋼の剣でも神を斬る修練を積むべきだろう。

 宿を取ったあと、俺は物見がてら街を歩くことにした。雛神様の望みでもある。人が集まる所には物も集まる。海から遠く離れ、作物の育ちにくい土地だというのに、魚料理を出す店や、新鮮な野菜、果物を商う者がいる。そんな中やはり目を引くのは、細工物を商う店だ。王侯貴族に納めるような、見事な細工の施された剣に鎧。貴婦人の胸元を飾るに相応しい銀細工。雛神様が見惚れているのは、紅玉があしらわれた蜘蛛の細工物だ。

『脚がたくさんあってステキじゃない。絡めぐあいも官能的だし』

 俺には分かりかねるが、そういうものだろうか。細工は見事だが人間の御婦人方には不評なのか、棚の隅で埃を被っている。銀の品にしては手頃な値が付けられたそれを、俺は買い求め胸に飾った。

 喜ぶ雛神様の思念を受けながら、市場の散策を続けると、奇妙な品が売られているのが目に付いた。金属で作られた、丈の低い円柱。ただの鉄無垢の柱ではなく、筒を細工し、上下を閉じたもののようだ。中に何かを詰めているのか、振るとちゃぷちゃぷと微かな水音がする。

「珍しいでしょ。中には豆の煮ものが入れてあります」

 枯葉色の髪をぼさぼさに乱した娘が、得意げに言う。彼女が細工し商う品らしい。

「缶詰って言いましてね、瓶詰より丈夫で長く保管が効くんですよ」

 瓶詰のジャムなら見たことがあるし、漬け物を瓶に保存するのも珍しくはない。だが、鉄を使っては中身の味が変わってしまうのではないか?

「そこはもう、いろいろと試行錯誤しましたよ。今のところ中に入れられる物も限られてるし、物の出来不出来もありますが、おおよそ一年は持つ品を作れるまでになりましたよ」

 俺は説明を聞きながら、軽く叩いたり握ったりしてみた。かなり丈夫だ。話が確かなら、迷宮に貯蔵する兵糧として重宝するだろう。狩りや買い出しに出る手間も減らせるかもしれない。だが、それほど丈夫なものだとしたら、どうやって中のものを取り出すのか。

「そこはまだ試行錯誤中でしてね。今のところはこう! してるんですが――」

 娘は売り場の台に缶詰を載せ、手斧を叩き付ける。潰れた筒から煮豆が溢れ、台上に広がった。

「どうです? まだ買い手が付かないんで、今なら大口でも優先的に納めさせて頂きますよ?」

 煮豆の汁まみれでほほ笑む娘を前に、俺は首を振って立ち去った。


 世情を伺うのに一番適した場所が酒場だ。その土地の出来事を、手っ取り早く知ることができる。耳寄りな話がなければ、明日は鉱山ギルドに顔を出すのも良いかもしれない。耳にした噂話は、金を独り占めにする地底の竜の王や、親切にされた礼に鉱脈を教える妖精。今でも生き埋めになった鉱夫の声が響き続ける廃坑など。酒の入った男たちの言うことだ。話半分に聞くべき与太話も多いのだろう。そんな昔からの言い伝えではなく、最近新しく話題になっているのは、気味の悪い姿の魔物の話だという。

 蟹のようでも、茸のようでもあるそれは、主に夜間、人気のない場所で見掛けられる。人が求める鉄とは別の鉱物を掘り起こしているのではないかという話だが、縄張りを荒らされると怒って夜に人を攫う。日が落ちてから、人の声を真似するそれに呼び掛けられた者までおり、棲家が近いとされる坑道では、気味悪がって作業を渋る者が出ているという。

『お互い欲しいものが被ってないなら争うまでもないんじゃない? 人間が仕事しない夜の間も、鉱山の権利を主張するなら別だけど』

 雛神様は俺の物でもある右手で、胸元の蜘蛛の細工物を弄り気のない様子。確かに、人間の都合だけで、土地に線を引けるものではない。

 翌朝になって、事態は急変していた。鉱山主の息子、エイリークが姿を消した。鉱山の魔物に攫われたのだと、騒ぎになっている。

『仕事になるかしらね?』

 手早く支度を済ませ鉱山ギルドに顔を出すと、山狩りを始めるつもりだと歓迎された。エイリークを見付ければ報償も出すという。そちらも大事だが、俺の興味は魔物に向いている。その異形の手ごたえはどの程度のものなのか。

『ユゴスよりのものでしょうね。何代か前の母神様のころに、迷宮の近くに棲みついて、小競り合いもあったみたい』

 雛神様の記憶では、剣が利かない相手でもないが、存外知恵が回り、おかしな道具を使うので気を付けるようにと注意された。鎧はまだ仕上がっていないが、出遅れる訳にもいかない。俺は剣だけを腰に鉱山へ向かった。


 昨晩酒場で聞いた、日が落ちると魔物が出る場所へと向かう。先に山に入った鉱夫達は魔物が怖いのか、こちらへは来ないようだ。まだ魔物に攫われたと決まった訳でもない。土地鑑のない坑道周りは彼らに任せ、俺は一人で探ることにした。

 人跡まれな場所という訳ではない。人が住まう地との境界だからこそ、異形と出会うのだろう。人の通った痕跡を辿るうち、木立の中にぽつりと建つ山小屋を見付けた。人のものだけでなく、何とも知れぬ獣の足跡が付いている。奇妙な形だが、蹄でもない。足音を潜め近づくと、戸を開け外へ出ようとする娘と鉢合わせした。娘は俺の姿に目を丸くした後、慌てて扉を閉めた。

『どこかで見た顔ね』

 昨日市場で缶詰を売っていた娘だ。俺はとっさに駆け寄り木戸を蹴破った。中には怯えた顔の娘と、頭を割られた若い男の屍体があった。

『あ、違います、誤解です。ウィルマは何もやってません! あなたが考えてるようなことじゃあないんです!』

 剣を抜くと、奇妙な金属質の声が響いた。娘のものではない。

『缶詰?』

 娘が売っていた缶詰より、数倍大きな物が床に据えられている。声を出しているのは、それに繋がった装置のようだ。


 娘と缶詰の話によると、これはユゴスよりのものの仕出かしたことらしい。ウィルマは以前からミ=ゴ達と親交があり、人々の目から彼らの痕跡を隠す手助けをする代わりに、彼らの持つ異界の技術の手ほどきを受けていたという。

『父はぼくとウィルマの仲に反対していました。けれど、この形でなら一緒にいられるからと、ミ=ゴに手術を頼んだんです』

 缶の中にはエイリークの脳髄が、生きたまま詰まっているらしい。身体が朽ちても、霊体で生き続ける魔術師も存在する。似たような物か。だが、本当にこれで良いのか?

「わたし達には、こうするしか方法がなかったから……」

 ウィルマが愛おし気に撫でるのは、屍体ではなく金属の筒のほう。俺は溜息を一つ吐くと、エイリークの屍体を担ぎ、山小屋を後にした。


 その後、発見された遺体から、エイリークは崖から足を踏み外し、命を落としたものとされた。だが、綺麗に割れた頭部と、失われた脳髄を疑問視する者は少なくなかった。惨いようだが、岩で潰すか獣に喰われたよう細工をしておくべきだったかもしれない。鉱山主は大規模な討伐隊を募り、魔物狩りに出る予定だという。

 街を去る前に、俺はもう一度山小屋に立ち寄ってみた。ウィルマの姿はなく、床に据えられる缶詰は二つに増えていた。触れ合う身体を捨ててでも、一緒にいたかったということだろう。二つの脳缶は、幾本もの管で繋がれていた。
 それが尊いことだと言うつもりはない。この二人には、こうする以外方法が無かったというだけの話だ。

『ケンカをしたら大変よ。離れて頭を冷やすこともできないんだから』

 離れられないのも、そう悪くはないだろう。俺は胸元に左手をやり、蜘蛛の銀細工にそっと触れた。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み