第9話

文字数 708文字

高校に進学すると同時に故郷を離れた。
母と姉とともに名古屋に移った。
私にとって故郷は、幼少期を過ごした場所でしかない。
実家が残っているわけでもない。
同郷の友人はいるが、「故郷の友」という枠は
とうに薄れている。
故郷の住人は嫌いだった。
故郷を捨てて、月日が経つごとにそれを確信していった。
町全体がまるで友人かのごとき仮面を張り付けて
近づいてくる。
その仮面から発せられる言葉の流れに沿うように
腹の底の黒雲が纏わりついている。
山と海に囲まれた美しい町だった。
棲む人間の恐ろしさを引き立てるためのように。


 父と顔を合わせなくなったのは、中学二年の終わりからだった。
思春期だとか反抗期だとか、そんなものは私には訪れなかった。
ただ、隣町に女を作り、仕事もろくにせず、家のことなど
最初からなかったかのように手放していったのだ。
母の電話の声や食卓の眺めからも家計がひっ迫していることは
明らかだった。
母は、精一杯、私の学校や友人間での体裁を守ってくれた。
黒い人間が取り囲むこの町で、私の味方は母のみであった。


父を経由して往来していた叔母の家には、次第に寄り付かなくなってしまった。
祖母や祖父は、父と縁を切ると憤り、私や母に謝罪の限りを尽くした。
そんなものを受け取っても何も変わらないことは、誰にでもわかることであったが
母は笑顔で受け取った。
その時だけは、母も仮面をつけていた。


 正式に離婚の話を聞かされ、受験校も決まったころ
姉だけが先に母方の実家に離れていった。
母と二人で暮らし始めてすぐに、父から連絡があった。


「祥貴、お父さんが話がしたいって言っているけど。」


私は、心底、興味を失ったように了承した。
感情はあったが、判別を諦めていた。
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