第19話

文字数 1,838文字

 彩音の部屋と大学、アルバイト先の店。
ほとんどその三つに通って、冬を過ごした。
大きな問題が起きないよう。起こさないよう慎重に事を運んだ。
就職活動もそれほど大きくない会社で体裁だけ守る形で切り上げていた。
年が切り替わると授業もなくなり、卒業論文もまだ時間はあるだろうと高を括った。
どれもこれも、多数派の一部になるための努力であった。


「今年は祥貴さんも故郷へ帰るのでしょ。
 私も数日帰ることになりましたから。」


「そうか。では、戻ったら連絡を入れておいておくれ。」


「何か土産を買って帰りますね。餅なんてどうですか。
 向こうでは、雑煮にあんころ餅を入れるのですよ。」


「甘い餅は好かないな。」


「そうおっしゃらず、食べてみてくださいな。」





   ***





 姉に借りたキャリーバッグに数日分の服を詰め込み、母に渡された土産をもって外に出る。
外には、将大がすでに車で待機していた。
後ろの席にバッグを置いて、土産物は持ったまま助手席に乗り込んだ。



「おう、今日は頼むな。」


「二時間ばかしで着くだろうから、昼前には着くさ。途中で何か食っていくか。」


「ああ、そうだな。」


 無機質で真っすぐな道路をひたすら走っていく。
人の気配が次第に少なくなり、灰色の景色は緑に変わっていった。
途中で休憩を取り、昼食を取った。


「ついて早々にやることがなくなるぞ。今のうちに考えておけよ。」


「都会に浸った人間には無理な話だ。お前が誘ったんだから、何か考えておくべきだろ。」


「何もないものはない。釣りでもいくか。」


「全部やっても時間は余るからな。断るものなんてないさ。
 あと、いつでもいいが、どこかで車を貸してくれないか。
 久しぶりに叔母の家に顔を見せに行きたくてな。」


「そうだな。お前は中学ぶりだからな。いつでもいいから言ってくれ。」




  ***




 自然の景色に懐かしさなど感じない。都会の真ん中に生えていようが、
海の傍に生えていようがその名前を知ろうしたことはない。
高速を降りるその時まで、都会の枠を感じ続けていた。
出口を降りると、すぐ傍にこの町唯一のガソリンスタンドが現れ、懐かしさ滲み出ている。
海につながる大きな川の上を通り、三又に分かれた細い道に入る。
アルミの柵で囲われた白い駐車場に車を停めた。
家に上がり、数日間世話になることを謝して土産の袋を渡した。


「少し疲れたな。悪いが部屋で休んでくるよ。」


「ああ、すまないな。俺も適当に過ごしているよ。」


「車を使うなら、鍵を渡しておくが。」


「いや、少し歩いて周ってくる。昔の駄菓子屋にでも行ってみるよ。」


部屋に荷物を置いて、外にでた。
数年間の記憶の変換をすり合わせるように町を歩いた。
懐かしい風景も匂いも、透明な壁越しで見ているようだった。
良くも悪くも、この町はもう私の影を消していた。
駄菓子屋が見えても、変わらない店の風貌に、ただ無機物の様相を呈している。
私の心を躍らせる駄菓子も見つからない。
駄菓子に喜ぶ年齢では無くなっただけなのかは、わからない。
然し、私は、私の心がもうここ無いことを喜ぶことができた。




   ***




 将大の家に戻ると、仮眠を終えて本を開いていた。


「戻ったか。久しぶりの町はどうだ。」


「存外、ただの町でしかなかったな。」


「少しくらい郷愁の心を持ってもいいだろうに。お前の故郷嫌いは相変わらずだな。」


「まぁ、そうだが。そうはっきり言ってくれるな。」


「俺もそんなに好んではないさ。祖母ですら口をきいていないからな。
 それより、焼き鳥でも食い行こう。こっちの焼き鳥は久しぶりだろう。」


「ああ、行こう行こう。あと、明日の午前中に車を借りてもいいか。
 なるべく早く行っておこうと思ってな。」


「ああ、もちろんだ。その方がいい。時間はたっぷりあるからな、ゆっくりしてこい。」


 将大に車を借りられることが、より私を記憶の彼女に近づけた。
彼女はなんて言うだろうか。あやふやな約束なぞ、覚えていないだろうか。
忘れていても、覚えていて怒っていても、悲しくも嬉しくもある。言い知れない高揚感が湧いて出る。
私の記憶は、目を赤く腫らした姿のままで留まっている。
ドラム缶で炊かれた火に照らされた姿で留まっている。
あの無邪気は、とうに無くなっているかもしれない。
私の他人対する無頓着な視線を向けてくるかもしれない。
この町のように、私の影が彼女の中から消え去っていると考えるだけでも腹の底が不安定になる。
許す許さないではない、ただ、記憶の彼女で在ってほしい。
それだけを願って、私は時を待った。

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