第24話

文字数 1,550文字

 いつもより少し早く大学へ向かった。
ただの授業の試験に緊張していた。単位を落とす気は毛頭なかった。
明日がもうすぐそこにあることが、心を締め付ける原因だった。
何もしなくても消費されていく時間が、私を前に前に運んでいる。

 作業と変わりない大学の試験は、暗い好奇心の思考を僅かに止めてくれた。
然し、試験の終わりは、いよいよ再会が明日に迫っていることを大きく叫び、私を引き戻した。
最終日は午前中で終わったが、酒を飲む気にもならず、ゆっくりと帰った。
どこにも立ち寄る気にはならない。本を開いてもただの模様にしか見えない。
ただ様子を見に行くだけだと思うたびに、思考の渦の始発点に戻った。


 部屋には先に彩音が帰って来ていた。


「おかえりなさい。どうでしたか。」


「ああ、問題ないよ。あとは論文をちまちま書くだけさ。」


「どんな論文を書くのですか。」


「故郷の方言についてね。」


「あら、意外ですね。もっと文学的な方面かと思ってました。」


「物語を詮索するのは好きじゃなくてね。言葉も嫌いじゃなから言語学の方にしたのだよ。」


「どちらにしても興味ありますわ。完成したら読ませてくださいね。」


「かまわないが、卒業のために書くのだから、そう大した物ではないさ。」


「そう卑下しなくともよろしいのに。」


「そんなことより、準備はもうできたのか。」


「ええ、1週間ほどで戻ってこられると思いますから。」

 彼女の祖父の体調が優れず、再び実家に帰ることになっていた。


「折角の二人そろっての長期休みですのに、なんだか申し訳ないですね。」


「気にすることはないさ。これから授業もほとんど無いし、休みだって1ヶ月以上もあるのだから。戻ってからまた、旅行の計画でも立てればいいさ。」


「それもそうですね。また、お土産を沢山買ってきますね。」


「もう、餅はいらないぞ。」


そう言うと彼女は優しく笑った。




   ***




 彩音は明け方には準備を整えて出て行った。
私はどうにか片側の瞼だけは持ち上げて見送った。
再び目を覚ますと10時を周っており、陽菜からの連絡が来ていた。

(お昼過ぎからならいつでもいいよ。家出るときには連絡してね。)

 私は端的に返事を返して、支度を始めた。
シャワー浴びていると少し震えていたが、その一切を風呂場の寒さのせいに押し付けた。
食欲は無く、昼食を取らずに部屋を出た。
口元が隠れるように深くマフラーを巻く、それでも震えは止まらなかった。
電車に乗ると液晶の画面にも文庫本の項にもただの模様しか現れない。
連絡していないことを思い出して、慌てて送信ボタンを押した。


(今電車に乗った。30分ほどでつくかな。)


(わかった。駅まで行った方がいい?)


(いや、住所を調べて向かうよ。)


(わかった。じゃあ、待ってる。)


 地下鉄の駅から真っすぐ歩いた。
大通りに面した飲み屋が連なるこの道を外れるまでは、まだ見えてこない。
そういう少しの安心感を足掛けに歩みを進めた。
しばらく歩くとコンビニが飲み屋街の終わりを告げた。
左に曲がり、住宅街に入ると、クリーム色と濃い灰色のアパートが突如として現れた。
入り口の前で、立ち止まる。もうすぐそこだ。
アルコールを入れた時よりも、血が波打っていた。

 私は、震える手で502を入力して、インターホンを鳴らした。
インターホンから聞こえた彼女の声から、数年の月日が一気に流れ込んできた。
文面から聞こえる彼女の声は、昔のまま止まっていたため、その変化を予想していなかった。
どこか稚なさが残る、透明で悪意の気配がない音。
何の抵抗もできずに、私に染み込んできてしまう。
私は囚われないように平静を装って、5階に上がった。
扉に手をかけた瞬間、向こうから押し開かれた。
いつもより甘い匂いと僅かな化粧品の匂いが舞った。


「遅かったね。ちょっと怒ってるから。」
 

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