第7話 女童

文字数 1,903文字

間もなくして、常世は、女童として王太子妃の居所へ上がることになった。

正気に戻った王太子妃は、常世を温かくお迎えになったので一安心といったところだ。

 侍女と言っても、まだ、ひよっこの見習いなことから、

できることと言ったら、傍にいて、

ご所望があれば、お話し相手をすることぐらいしかない。

ところが、王太子妃は、1日の大半を御簾の中で過ごされるため

お目にかかることはほとんどない。

 御簾からお出になるのは、外出やお風呂に入られる時ぐらい。

それも、外出するのは皇室の行事の時ぐらいで、

長く歩かれることがないから体力はないと思われる。

お風呂も、1週間に1度しかお入りにならず

お香を焚いて体臭をごまかされている。

本来、高貴な女性というものは、こういうものらしい。

何かと口実をみつけてはお出かけになりたがり、

お風呂好きな貴王女とはタイプが異なることから、

最初は、調子がつかめなかった。

一方、常世は、王太子妃のお付きの宮人たちにかわいがられていることもあり、

ちっとも、気にならないようだ。

あの日以来、王太子妃の身に霊障は現れていない。

そのせいか、王太子妃は、穏やかな表情をなされている気がする。

このまま 何事も起こらなければ、

私たちもお役目放免となって、私は、本来の主である貴王女の元に戻るだけ。

一方、常世は、引き続き、王太子妃にお仕えすることになる。

そんなある日のこと。神馬孝政と名乗る強面の官人が、

王太子妃の居所を訪ねて来た。

この時、ちょうど、蓬莱鷹羽が、妹の様子を見に来ていた。

「乳母様。あのお方は、どなたなんですか? 」

 常世が、乳母にそれとなく質問した。

「あの方は、今は亡き、大王様の腹心であった神馬卿のご子息の孝政様だ。

昔から、神馬家と蓬莱家は、犬猿の仲と言われており、

木蓮様が、王太子妃におなりになったことを祝して開かれた宴も、

仮病を使って欠席したと噂されている」

 乳母が声を潜めた。

「君。何用で訪ねて参った? 

祝いの意を告げるにしては、手ぶらというのはどういうわけだ? 」

 蓬莱鷹羽が、神馬卿に気づくなり言い放った。

「我はただ、王太子妃に呼ばれて参っただけだ」

 神馬卿が、ぶっきらぼうに言い返した。

「これは、いったい、どういうことですか? 

なぜ、こんな奴‥‥ いや。神馬卿に何用なんですか? 」

 蓬莱鷹羽が、御簾の向こうに問いかけた。

「御簾をお上げせよ」

 王太子妃付の命婦が、御簾の脇に控えていた侍女に告げると、

侍女が、御簾をお手元が見える高さまで上げた。

「君こそ、こんな所で油を売っていて良いのか? 

参議になったとは言え、まだ、新人だろう? 

新人は、上司のごますりが仕事ではないのか? 」

 神馬卿が、蓬莱鷹羽に嫌味を言った。

「あれをここへ」

 王太子妃付の命婦に従い、

王太子妃付の采女たちが、部屋の奥から、

唐由来の弦楽器筝を運んできた。

「これが、その筝という唐由来の弦楽器でございますか? 」

 神馬卿が、差し出された筝に目の色を変えた。

「姉君の子女のいとど姫がめでたく、

春宮坊の御巫になられたとお聞きしました。

どうぞ、祝いの品としてお受け取りくだされ」

 乳母が、神馬卿に告げた。

「姉君と聞いて、一瞬、誰のことなのかわかりませんでした。

姉と申しましても、いとどの母にあたるひをむしとは、

血の繋がりのない赤の他人なんですよ。

父が生前、身内に承諾も得ずどこの馬の骨かわからぬ娘を養女にしたんですがね。

名誉職をあっさり捨てたと思えば、子連れで出戻って来たもので、

一族の恥さらしも良いところです。はっはっは」

 神馬卿は、義姉のことをこき下ろすと高笑いした。

「おそれ多くも、大王様の血を引く王女をお産みになった

お方のこと侮辱するとは、君、気は確かか? 」

 蓬莱鷹羽が、神馬卿を批判した。

「正気ではないのは、あの親子の方だ。

王子の妃になりそこねただけでなく神職になり下がるとはありえぬ。

何が御巫だ! 王子の妃の方がずっと良い! 」

 神馬卿が忌々し気に言った。

「おそれながら、この者に、この筝の価値がわかるとは思いません。

ここは、やはり、この筝を弾きこなせる者に献じた方がよろしいかと存じます。

かく言う、我こそが、この筝を弾きこなせる者でございます」

 蓬莱鷹羽が、乳母に言った。

「申し訳ござらぬ。筝は、兄君へ献じることにいたします。

よって、いとど姫には、日を改めて巫女装束を送ります」

 突然、乳母が、筝を後ろ手に隠すと頭を下げた。

「この私も異存はございません」

 蓬莱鷹羽が咳払いをすると言った。

「さようですか。これにて、失礼します。せっかくですから、

王太子殿に顔を出してから帰ることにいたします」

 神馬卿が席を立つと言った。

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