第2話 尼将軍

文字数 3,034文字

私が、後宮の外に出ることは簡単だ。

なぜならば、他の人間には、私の姿が見えないからだ。

問題がひとつある。それは、私に、都の土地勘がないということだ。

どこをどう行けば、【尼将軍】が入っている獄舎に

たどり着けるのかやどこで処刑されるのかがわからない。

都の獄舎は、2か所に置かれている。

左京に置かれた獄舎を【左獄】右京に置かれた獄舎を【右獄】と言い分けている。

貴王女は、頭をひねりにひねって一計を案じた。

近頃、よく、王太子妃の居所の近くで姿を見かける

若い参議のあとを私に追いかけさせるという計画だ。

貴王女付の女儒の調べによれば、

その若い参議が、囚獄司の役人と話し込んでいるところを見かけたという。

何を話しているのか聞き耳をたてたところ、

捕らわれた蝦夷の様子を聞いていたというではないか?

その若い参議の正体は、すぐにわかった。

名前は、蓬莱鷹羽といい、木蓮王太子妃の兄にあたるお方だという。

今さらながら、木蓮王太子妃が、

田村宮の元主、今は亡き蓬莱卿の一族だったことを知った。

蓬莱卿は、火武大王を即位させた立役者だというし、

孫娘を王太子妃に迎えるのは当然とも言えるか?

木蓮王太子妃は、どんなお方なのかというと、

一言では説明できないつかみどころのない女性だ。

ある時は、気位が高くてとっつきにくいと思えば、

またある時は、穏やかでお優しい。

いわゆる、気まぐれな性格ってところかな? 

口の悪い古参の命婦たちの間では、狐憑きなんじゃないかと噂されている。

そんな木蓮王太子妃なんだけれど、なぜだか、夫婦仲は良いらしく、

遷都以来、王子が足繁く王太子妃の居所へ通う姿が目撃されている。

王子にとって、王太子妃は、寵愛していた竜華が宮外へ追放されてから、

心にぽっかりと空いた穴を埋める存在なのかもしれない。

王子も、癇癪持ちで風変わりな面をお持ちだと聞くし、

案外、似たもの夫婦で気が合うのかもしれない。

王子の貴王女に対する態度はどうかというと、

どこか、遠慮があるといった感じ。

さすがに、皇族の血筋を継ぐお方であって

他の妃とは格が違うと恐れをなしているのかもしれない。

貴王女の居所を訪れたのは、たった1度きり。

それも、泊ることなく数時間でそそくさと帰られた。

周囲は、懐妊を期待しているけどその余地はまるでなし。
 
人によって、正義は違う。闇天誄にとって、

正義が、朝廷に反逆する蝦夷を先導することならば、

貴王女たちにとって、正義は、大王をお支えすることだ。

あの時、命を奪わずにみすみす逃してしまったことが、

今となっては悔やまれて仕方がない。

たとえ、敵を倒す時でも、むやみに殺生はしないというのが、

新しい頭となったウーの基本方針だ。

だから、ウーは、闇天誄のことを聞いているはずだけど、

あえて、何かしようとはしないのだろう。

蝦夷が都に護送されてから1週間後。

私は、王太子妃の居所を後にした蓬莱鷹羽を尾行した。

蓬莱鷹羽は、用心深い若者で辺りを慎重にうかがいながら歩いている。

私は、見えるはずないことはわかっているのだけれど、

蓬莱鷹羽がふり返る度に、あわてて、物陰に隠れた。

狙い通り、彼が向かったのは獄舎だった。

蓬莱鷹羽は、速足で、門をくぐると、まっすぐ、獄舎へ向かった。

それから、獄舎の役人に声をかけて立ち話をはじめた。

「尼将軍がここにいると聞いたが、これで、会わせてくれまいか? 」

 蓬莱鷹羽が、獄舎の役人に詰め寄ると袖の下を手渡した。

「そういうことされては困ります。上の者から、

誰も通すなと言われています。どうか、お引き取りを」

 獄舎の役人が、きっぱりと袖の下を拒んだ。

「我は、やんごとなきお方のために、

尼将軍と面会しに参った。ことわったりしたら、

後々、面倒なことになるぞ。それでも良いのか? 」

「それは困ります。わかりました。どうぞ、中へお入りください」

 蓬莱鷹羽は、勝ち誇った顔で獄舎の中へ入って行った。

私もあわてて、蓬莱鷹羽を追いかけた。

獄舎のあちこちから、うめき声やわめき声が聞こえた。

何日も風呂に入っていないような汗臭い饐えた匂いが、辺りに充満していた。

こんな場所、1日だって耐えられない。

今や、賊の仲間になったとはいえ、

女人の闇天誄には、こんな劣悪な環境は耐えられないのではないか? 

死刑になる前に、病気にかかって命を落としかねない。

「水をくれ! 」

「我は無実なんだ! ここから、出してください! 」

「あんた、何者なんだい? 

あんたみたいな高貴な身なりをしたお方が来るところじゃねえ。

とっとと、出て行きやがれ! 」

 両側から、矢継ぎ早にヤジが飛んだ。

「尼将軍! 尼将軍はどこにいるんだ? 」

 蓬莱鷹羽がさけんだ。

「そんなやつは、ここにはいねぇよ」

 どこからともなく、野太い声が聞こえた。

「尼将軍がここにいると聞いた。

いないということは、いったい、どこへ、移されたんだ? 」

 蓬莱鷹羽は、【尼将軍】はいないと言った囚人を捜し出すと詰め寄った。

「あの人は、河内国へ移された。死刑執行は明日だそうな」

 その囚人が答えた。

「なんと! 河内国で処刑されるとな? こうしてはいられない。

急いで、止めなければ」

 蓬莱鷹羽はそう言うと、獄舎の外へ飛び出した。

 蓬莱鷹羽が、足早に門をくぐろうとした時、

出合頭に、長身の武官と危うくぶつかりそうになった。

「急いでいたもので失礼」

 蓬莱鷹羽が、平謝りして立ち去ろうとした時、

その長身の武官が、蓬莱鷹羽の腕をつかんで引き留めた。

「尼将軍のことを調べているというのは、君であるか? 」

「さようだ」

「その顔に見覚えがある。君、王太子妃の兄君ではござらんか? 」

 突然、その長身の武官の態度が変わった。

「いかにも、その通りである。我は、蓬莱鷹羽と申す。君は何者だ? 」

 蓬莱鷹羽が咳払いして訊ねた。

「紫灯聖阿と申します。お見知りおきを」

 紫灯将軍が答えた。

「ほお。君が、あの尼将軍を降参させたという強者であったか? 」

 蓬莱鷹羽が、紫灯将軍を感心したように見上げた。

「尼将軍の身柄は、河内国へ移されました。

朝廷に、死刑を待ってもらうよう訴えたのですが時間の無駄でした。

明日にも、執行されるでしょう。

なぜまた、尼将軍についてお調べなんですか? 

あの者は、過去は知りませんが、今や、蝦夷の頭です。

王太子妃の兄君が関わり合いになる相手ではありませんよ」

 紫灯将軍が苦言を呈した。

「なぜ、死刑を待つよう訴えた? 

もしかして、賊の頭に情が移ったとでも? 

尼だというし、もしかして、惚れたのか? 」

 蓬莱鷹羽が、紫灯将軍をからかった。

「いえ、断じて、惚れてはおりません。

ただ、あの者の申すことにも一理あると思っただけです。

ただちに、東征を中止にするべきです。

このままでは、この国は滅びてしまいます。

あの者ならば、悔い改めて世の役に立とうとするかもしれません。

死刑ではなく、遠島にするべきです」

 紫灯将軍が神妙な面持ちで言った。

「ここだけの話にしてほしいのだが、やんごとなきお方のために、

どうしても、最後に、尼将軍に会いたい。何とかしてもらえないか? 」

 蓬莱鷹羽が頭を下げると言った。

「そのやんごとなきお方というのは、どなたのことなのですか? 

こちらとしても、もし、手引きしたことが朝廷にばれたら、命がありません。

どなたなのか知っておく必要がございます」

 紫灯将軍が告げた。

「王太子妃だ。申し分ない相手ではないか? 

君を死なせたりしない。約束する」

 すると、蓬莱鷹羽が、紫灯将軍に耳打ちした。

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