第16話 海辺の洞窟

文字数 2,728文字

それから3日後。九品親王が、明星の居所を一緒に訪れようと貴王女を誘いに来た。

明星のことを知れば、貴王女も理解を示すと思ったらしい。

 道中、明星が、お2人に話した身の上話によれば、

明星は、地方の下級役人の子息であったけれど、

役人になりたくないがために家を飛び出して、

今は、医師を手伝いながら医術を学んでいるという。

話す内に、かつて、九品親王に仕えていた教師が、

明星の叔父だということが判明したのだった。

「君が、以前、我に仕えていた教師の甥だとは知らなかった。世の中狭いのう」

 九品親王がしみじみと言った。

「親王様と出会ったのも、偶然ではなくて必然だったと思います。

我は、この縁を大切にして参る所存にてございます」

 明星がごまをすった。この男、抜け目ないと思った。

「して、君の居所を見せてもらおうか」

 九品親王がまんざらでもない風に言った。

 てっきり、掘っ建て小屋か何かに住んでいるかと思っていたが、

行ってみたら、驚いたことに、海辺の洞窟だった。

一瞬、動きが止まったところからして、

九品親王にとっても、予期せぬことだったに違いない。

「どうぞ、中にお入りください」

 一方、明星は何食わぬ顔で、2人を洞窟の中へ招き入れた。

 潮の香りが洞窟の中へ漂ってきている。

時々、波の音もかすかに聞こえる。

私は幼いころ、砂浜で遊んだ幼い日々を思い出して感傷にひたった。

「真っ暗で、何もみえぬではないか? 」

 貴王女が不満気に言った。

「これならどうですか? 」

 明星が、ロウソクの灯りを灯すと、洞窟の中の全貌が明らかとなった。

壁一面に、所狭しと処方箋が貼られている。

天井には、束ねた薬草が吊り下げられており、

中央に置かれた木の机には、何かが入った大量の薬瓶がズラッと置かれていた。

「この中には、いったい、何が入っておる? 」

 九品親王が、薬瓶のひとつを手に取ると訊ねた。

「ここにあるのは、生薬の原料となる虫の類です。

左から、蛇の抜け殻・庶虫・カマキリの卵・セミの抜け殻。あとは‥ 」

 明星が自慢気に、薬剤を披露した。

「もう、けっこう。耳にするだけでも身の毛がよだつ」

 九品親王があわてて、明星の説明を遮った。

「まさか、鳰海姫に処方した薬もこの中にあるのか? 」

 貴王女が、明星に訊ねた。

「いかにも」

 明星が即答すると、九品親王と貴王女が互いの顔を見合わせた。

「洞窟といえば、暗くてジメジメしていて虫は出るし、

人間には、住みにくいのではないのか? 」

 九品親王がふと言った。

「ここで暮らす方が、誰に気兼ねすることなく楽なんです」

 明星が苦笑いして言った。

「生薬として用いられているぐらいじゃ。

いざとなれば、食せるのではないか? 」

 九品親王が前のめりの姿勢で言った。

「虫を食うのは、勇気が入ります。病でもない限り、凡人には無理です」

 明星が言った。

「民に寄り添うというのは、ただ、民間で暮らせば良いというものじゃないんだな。

勉強になった。礼を申す」

 九品親王がそう告げると、あろうことか、身分が下の者に頭を下げた。

「なぜ、頭をお下げになったのですか? 

あれでは、誰が、主なのかわかりませんよ。

もしかしたら、あの者は、あなたを軽んじるかもしれませぬ。

お供させるのは、今一度、お考え直しくだされ」

 2人だけになると、貴王女が、九品親王に言い迫った。

「思い出したんじゃが、あの者の叔父とは、

常に、師弟の関係を保っていた。そうでなくては、学問は身に着かぬ。

明星は、単なる従者ではなく良き相談相手となろう」

 九品親王が言った。

「ゴホゴホ」

 突然、貴王女がせき込んだ。

「どうかしたんですか? 」

 私が、貴王女に訊ねた。

「何か、焦げ臭くないか? 」

 貴王女が言った。

 言われてみれば、さっきから、何かを燃やしている時のような煙たさを感じる。

「火事だ! 」

 突然、九品親王がさけんだ。

 気がつくと、白い煙が辺りに充満していた。

私たちは、壁づたいに外へ逃げ出した。

すぐに、白い煙が発生した原因がわかった。

何者かが、洞窟の前で焚火をしたらしく、

その焚火の煙が、風に乗って洞窟の中へ入って来たようだ。

「いったい、誰が、こんなところで? 」

 九品親王が、焚火の跡を確認すると言った。

「何か聞こえて来ませんか? 」

 貴王女が、周囲を見回しながら言った。

 風に乗って、お経の声が聞こえた。

お経が聞こえた方角をみると、

胸に奇妙な形をした首飾りをぶら下げた一団の姿がみえた。

「あれのことですか? 無死教の優婆塞らがお経を唱えながら、

各戸の前に立ち食物や金銭を鉢に受けてまわっているのですよ」

 明星が忌々し気に言った。

 以前、この地で暮らしていた時にはみたことがない集団だ。

いつから、活動しているのだろうか?

「無死とな? 」

 九品親王が後ずさりした。ネーミングからして、何かありそうな予感がする。

「無死というのは、死のない世界のことをさすそうな。

つまり、不老不死や無病息災を叶える教えということです。

無死を虫にあてはめて、虫を祀っているようです。

中には、虫を食う者もいるとかいないとか‥‥ 」

 明星が神妙な面持ちで言った。

彼らが身に着けている奇妙な形をした首飾りは、

どうやら、虫を珠にみたてものらしい。

「たった今、君は、虫を食う者などおらぬと言ったではないか? 」

 九品親王が反論した。

「凡人には食えぬと申し上げました。

あの者らは、強い信仰心により、虫に対する恐れや嫌悪感を克服したんですよ」

 明星が言い訳した。

「虫を祀るなどとあやしげな教えを広めているのは、どこの誰なんじゃ? 」

 貴王女が、明星に訊ねた。

「狗浄寺にいる若僧だと聞いています。

なんでも、神通力が使えるそうで、

これまで、何度も、重い病にかかった者を救ったそうな」

 明星が答えた。

 その日の夜。布団に入った瞬間、

廊下の床を這いずりまわる不気味な気配を感じた。

どうにも気になって、廊下に出てみた。

すると、黒い影が、サッと角を曲がるのがみえた。

「菊理。そこで何をしておる? 」

 部屋の中から、貴王女の声が聞こえた。

「何かが、廊下を走り去る気配がしたのですが気のせいだったようです」

 私は、部屋の中に戻ると言った。

 目を閉じた途端、スーッと意識が遠のいた。

次の瞬間、まばゆい光りを放つ白い影が近づいて来た。

「菊理」

 なつかしい声が聞こえた。

 温かい光り。何だか、ホッとする。

「私に何かご用ですか? 」

 私が訊ねた。

「邪悪なものが迫っている」

 白い影が答えた。

「邪悪なものとは、いったい、何のことですか? 」

 私が即座に訊ねた。
 
「この屋敷の中におられる高貴なお方に、危険が迫っている。

あなたの手でお守りいたせ」

 その時、目の前に、光り輝く剣が浮かび上がった。
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