第25話 勇ましき王女
文字数 3,200文字
「間に合ったか。危うく、あなたと最後の別れをせずに参るところじゃった。
あなたには、苦労かけた。朕亡き後は、あなたの自由じゃ」
どこからともなく、大王の声が聞こえた。
「さらばじゃ! 」
日高兎の声が、部屋中に響き渡ると同時に、
月光の柱が、まるで、満月に吸収されるようかのようにパッと消えた。
そして、まるで、何事もなかったように、静寂が訪れた。
「大王様! 大王様! 」
駆けつけた人たちが代わる代わるに、
布団の上に冷たくなった大王様のおからだにすがりつき声を上げた。
どうやって、部屋に戻ったのか覚えていない。
気がつくと、布団の上にいた。とても眠る気分にはなれなかった。
貴王女の姿がみえないことから、居所の外に飛び出すと、
貴王女が、庭先に立って満月を眺めていた。
「あなたも悲しかっただろう」
貴王女が、私の方をみると言った。
「そうですね。何せ、突然だったもので」
私はそう言うと、唇をかんだ。
「もし、ふいの事故か何かで命を落とされたとすれば、
お別れなどできなかった。
悲しいけれど、最後に、話ができたことを思えば救いとなろう」
貴王女が、私の肩に手を置くと言った。
大王の崩御で、伯奇のことは、すっかり忘れていた。
あの後、どうなったのだろう? 気になっていたところ、
きよがあわてた様子で、貴王女の居所へやって来た。
「なんじゃ? 」
貴王女が、書物から顔を上げると言った。
「後宮が、大変なことになるかもしれません! 」
きよが、貴王女に詰め寄った。
「大変になるとは、どういうわけじゃ? 」
貴王女が、きよに訊ねた。
きよは何でも、大げさに騒ぎすぎるところがある。
こないだも、「准母」となられた鳰海姫が、
内侍司の尚侍と危うく、ケンカしそうになった時、
よせば良いのに、仲裁役を名乗り出て余計な騒ぎを巻き起こしたばかりだ。
とにかく、周辺で、ひとたび、いさかいが起きたら、
居ても立っても居られないようだ。
一方、貴王女は、父である火武大王を失った悲しみを忘れようと努めていた。
自らに、1日数時間の読書や食後の軽い体操などいろんなノルマを課していた。
サカ王女の動向はあまり、届かないがなぜか、
きよを巻き込む騒動だけは、逐一、耳に届いた。
「竜華がいたのですよ!
あろうことか、大王様より、後宮に居所を賜ったそうです」
きよが忌々し気に言った。
「それは、いったい、どういうわけじゃ?
竜華は、後宮には入れぬはずじゃ」
貴王女が、竜華と聞いて動揺をみせた。
「先代がお隠れになってすぐ、
先代が禁じたことをおやりになるとは、
竜華はどこまで、大王様を惑わせば気が済むのでしょうか?
宮人は皆、戦々恐々としていますよ。
なぜって、あの者の機嫌を損ねたら、
平穏な日常を失うはめになりますからねえ」
きよが興奮気味に話した。
「さぞかし、母様は、気をもんでおられることじゃろ」
貴王女が、こんな時でも、母のことを心配した。
「それがそうでもないようですよ。
あらかじめ、心の準備はできておられたご様子です。
こちらとしてもただ、手をこまねいているわけにも参りませんから。
宮様や貴王女を竜華の魔の手から、
お守りするためならば命を落とす覚悟です」
きよが鼻息荒くすると言った。
「波風立てぬ方が賢明じゃ」
貴王女が、きよをなだめた。
「何か仕掛けて来るかもしれません。
早くも、准母に取り入っている様子ですし、
うかうかしていられませんよ」
きよがそう言うと、勇み足で部屋をあとにした。
「いったい、竜華は、何をするつもりで戻ったのじゃ」
貴王女が不安を露わにした。
私は、少しでも、貴王女の不安を和らげようと偵察にくり出した。
幸い、私の姿は、他の者たちにはみえない。
自由にどこでも歩きまわれる。立ち聞きしたってへっちゃら。
大手を振って歩いている時だった。
消息が気がかりだった伯奇が、
朝堂から出て来た九品親王のあとから歩いて来るのがみえた。
九品親王は、伯奇のことを全然、気にしていない様子で、
同僚らしき官人と談笑している。私はとっさに、木の影に身を隠した。
九品親王は、私のすぐ横を通り過ぎようとした。
その時、誰かが、私の肩をたたいた。ふり返ると、賢驥が立っていた。
「あれは、いったい、どういうこと? 」
私が訊ねた。
「どうもこうもないよ。みての通りさ。
どういうわけか、伯奇が、九品親王につきまとっているんだ。
そのせいで、父様は、ウッウッ」
賢驥がしゃくり上げた。
「何かあったの? 」
「父様は、丑野万歳という都のお方に伯奇の絵をお返しする際、
絵の中に伯奇がいないことがわかり、
贋作を差し出した疑いをかけられ投獄されたんです」
「あなたの父君は、何をしている人なの? 」
「父は、周防国で画工として働いていました。
その腕を見込まれて、丑野様が所有されていた
伯奇の絵の模写を命ぜられました。
模写した絵は、役所に届けたそうな。褒美を賜りたいとのことで、
父は、実物の絵を返却する役目を仰せつかり都へ向かいましたが、
父が捕らえられたという知らせが届いたんです」
賢驥が切々と事情を話した。
「早く、捕まえないと」
私が言った時には、伯奇は姿を消していた。
出たり消えたり、これでは、いつまでたっても、捕まえられないじゃないの!
「うわ~ん! 」
賢驥が、人目もはばからず泣き出した。
その近くを通りかかった宮人たちが、その声にふり返った。
この分だと、賢驥が忍び込んだのが知られるのも時間の問題だ。
騒ぎになる前に、何とかしなくちゃ!
「ちょっと、こっちへ」
私は、賢驥を貴王女の居所へ連れて行った。
「その童子はいかがしたのじゃ? 」
貴王女が、私に訊ねた。
「この子が、伯奇を追っている賢驥です。
朝堂の近くにいるのをみつけて連れて来ました。
あんな場所に、いたら、父君同様、投獄されるかもしれませんから」
私が事情を話した。
「とりあえず、そこへ、座りなさい」
貴王女が、賢驥を手招きすると言った。
「失礼します」
賢驥がおずおずと、貴王女の御前に座った。
「年はいくつじゃ? 」
「9歳です」
「どこで寝泊まりしておる? 」
「野宿しています」
「さようか。後宮にいては目立つ。
ひとまず、蓬莱文月の邸に泊めてもらうが良い」
貴王女はそう言うと、きよを呼んだ。
賢驥は、きよに連れられて蓬莱文月の元へ向かった。
「さあて、どうやって、伯奇を捕まえるのじゃ? 」
貴王女が言った。
「どうやら、伯奇は、九品親王が好きみたいです」
私が言った。
「九品親王とな? 」
貴王女が嫌な顔をした。
「九品親王の元へ行けば、伯奇は必ず、現れるはずです」
「あなただけ、参るが良い。悪いが、我は行けぬ」
「行くのは簡単ですが、
もしかしたら、九品親王の助けが必要になるかもしれません。
その時は、あなた様の出番です」
「行けぬというのが聞こえなかったか? 」
「なれど‥‥ 」
私は、貴王女によって居所の外へ追い出された。
よほど、九品親王とかかわりを持ちたくないらしい。
こうなったら、私だけでも、伯奇を捕まえるために九品親王の元へ行かないと。
早く、元に戻さなければ、賢驥の父親が処罰されてしまう。
「菊理。貴王女はおるか? 」
気がつくと、きよが、目の前に立っていた。
「おりますよ。何かご用ですか? 」
私が訊ねた。
「九品親王が、謀反の疑いで連行されたのじゃ」
きよが青白い顔で答えた。
「それは、本当か? 」
背後から、貴王女が近づいて来た。
「はい、間違えありません。その話題で、後宮が騒然となっています!
護王様に話をお聞きに行かれるのでしたらお供いたします」
きよがそう言うと頭を下げた。
「ついて参るが良い。菊理、あなたもだ」
貴王女が、裳の裾をひるがえすと言った。
なんだか、貴王女が、鬼麻呂を倒した時と同じ
あの勇ましい姫に戻った気がした。
伯奇の次は、な、なんと、九品親王の謀反!?
思わぬ展開に、私の心臓は、忙しくうるさく高鳴った!
完
あなたには、苦労かけた。朕亡き後は、あなたの自由じゃ」
どこからともなく、大王の声が聞こえた。
「さらばじゃ! 」
日高兎の声が、部屋中に響き渡ると同時に、
月光の柱が、まるで、満月に吸収されるようかのようにパッと消えた。
そして、まるで、何事もなかったように、静寂が訪れた。
「大王様! 大王様! 」
駆けつけた人たちが代わる代わるに、
布団の上に冷たくなった大王様のおからだにすがりつき声を上げた。
どうやって、部屋に戻ったのか覚えていない。
気がつくと、布団の上にいた。とても眠る気分にはなれなかった。
貴王女の姿がみえないことから、居所の外に飛び出すと、
貴王女が、庭先に立って満月を眺めていた。
「あなたも悲しかっただろう」
貴王女が、私の方をみると言った。
「そうですね。何せ、突然だったもので」
私はそう言うと、唇をかんだ。
「もし、ふいの事故か何かで命を落とされたとすれば、
お別れなどできなかった。
悲しいけれど、最後に、話ができたことを思えば救いとなろう」
貴王女が、私の肩に手を置くと言った。
大王の崩御で、伯奇のことは、すっかり忘れていた。
あの後、どうなったのだろう? 気になっていたところ、
きよがあわてた様子で、貴王女の居所へやって来た。
「なんじゃ? 」
貴王女が、書物から顔を上げると言った。
「後宮が、大変なことになるかもしれません! 」
きよが、貴王女に詰め寄った。
「大変になるとは、どういうわけじゃ? 」
貴王女が、きよに訊ねた。
きよは何でも、大げさに騒ぎすぎるところがある。
こないだも、「准母」となられた鳰海姫が、
内侍司の尚侍と危うく、ケンカしそうになった時、
よせば良いのに、仲裁役を名乗り出て余計な騒ぎを巻き起こしたばかりだ。
とにかく、周辺で、ひとたび、いさかいが起きたら、
居ても立っても居られないようだ。
一方、貴王女は、父である火武大王を失った悲しみを忘れようと努めていた。
自らに、1日数時間の読書や食後の軽い体操などいろんなノルマを課していた。
サカ王女の動向はあまり、届かないがなぜか、
きよを巻き込む騒動だけは、逐一、耳に届いた。
「竜華がいたのですよ!
あろうことか、大王様より、後宮に居所を賜ったそうです」
きよが忌々し気に言った。
「それは、いったい、どういうわけじゃ?
竜華は、後宮には入れぬはずじゃ」
貴王女が、竜華と聞いて動揺をみせた。
「先代がお隠れになってすぐ、
先代が禁じたことをおやりになるとは、
竜華はどこまで、大王様を惑わせば気が済むのでしょうか?
宮人は皆、戦々恐々としていますよ。
なぜって、あの者の機嫌を損ねたら、
平穏な日常を失うはめになりますからねえ」
きよが興奮気味に話した。
「さぞかし、母様は、気をもんでおられることじゃろ」
貴王女が、こんな時でも、母のことを心配した。
「それがそうでもないようですよ。
あらかじめ、心の準備はできておられたご様子です。
こちらとしてもただ、手をこまねいているわけにも参りませんから。
宮様や貴王女を竜華の魔の手から、
お守りするためならば命を落とす覚悟です」
きよが鼻息荒くすると言った。
「波風立てぬ方が賢明じゃ」
貴王女が、きよをなだめた。
「何か仕掛けて来るかもしれません。
早くも、准母に取り入っている様子ですし、
うかうかしていられませんよ」
きよがそう言うと、勇み足で部屋をあとにした。
「いったい、竜華は、何をするつもりで戻ったのじゃ」
貴王女が不安を露わにした。
私は、少しでも、貴王女の不安を和らげようと偵察にくり出した。
幸い、私の姿は、他の者たちにはみえない。
自由にどこでも歩きまわれる。立ち聞きしたってへっちゃら。
大手を振って歩いている時だった。
消息が気がかりだった伯奇が、
朝堂から出て来た九品親王のあとから歩いて来るのがみえた。
九品親王は、伯奇のことを全然、気にしていない様子で、
同僚らしき官人と談笑している。私はとっさに、木の影に身を隠した。
九品親王は、私のすぐ横を通り過ぎようとした。
その時、誰かが、私の肩をたたいた。ふり返ると、賢驥が立っていた。
「あれは、いったい、どういうこと? 」
私が訊ねた。
「どうもこうもないよ。みての通りさ。
どういうわけか、伯奇が、九品親王につきまとっているんだ。
そのせいで、父様は、ウッウッ」
賢驥がしゃくり上げた。
「何かあったの? 」
「父様は、丑野万歳という都のお方に伯奇の絵をお返しする際、
絵の中に伯奇がいないことがわかり、
贋作を差し出した疑いをかけられ投獄されたんです」
「あなたの父君は、何をしている人なの? 」
「父は、周防国で画工として働いていました。
その腕を見込まれて、丑野様が所有されていた
伯奇の絵の模写を命ぜられました。
模写した絵は、役所に届けたそうな。褒美を賜りたいとのことで、
父は、実物の絵を返却する役目を仰せつかり都へ向かいましたが、
父が捕らえられたという知らせが届いたんです」
賢驥が切々と事情を話した。
「早く、捕まえないと」
私が言った時には、伯奇は姿を消していた。
出たり消えたり、これでは、いつまでたっても、捕まえられないじゃないの!
「うわ~ん! 」
賢驥が、人目もはばからず泣き出した。
その近くを通りかかった宮人たちが、その声にふり返った。
この分だと、賢驥が忍び込んだのが知られるのも時間の問題だ。
騒ぎになる前に、何とかしなくちゃ!
「ちょっと、こっちへ」
私は、賢驥を貴王女の居所へ連れて行った。
「その童子はいかがしたのじゃ? 」
貴王女が、私に訊ねた。
「この子が、伯奇を追っている賢驥です。
朝堂の近くにいるのをみつけて連れて来ました。
あんな場所に、いたら、父君同様、投獄されるかもしれませんから」
私が事情を話した。
「とりあえず、そこへ、座りなさい」
貴王女が、賢驥を手招きすると言った。
「失礼します」
賢驥がおずおずと、貴王女の御前に座った。
「年はいくつじゃ? 」
「9歳です」
「どこで寝泊まりしておる? 」
「野宿しています」
「さようか。後宮にいては目立つ。
ひとまず、蓬莱文月の邸に泊めてもらうが良い」
貴王女はそう言うと、きよを呼んだ。
賢驥は、きよに連れられて蓬莱文月の元へ向かった。
「さあて、どうやって、伯奇を捕まえるのじゃ? 」
貴王女が言った。
「どうやら、伯奇は、九品親王が好きみたいです」
私が言った。
「九品親王とな? 」
貴王女が嫌な顔をした。
「九品親王の元へ行けば、伯奇は必ず、現れるはずです」
「あなただけ、参るが良い。悪いが、我は行けぬ」
「行くのは簡単ですが、
もしかしたら、九品親王の助けが必要になるかもしれません。
その時は、あなた様の出番です」
「行けぬというのが聞こえなかったか? 」
「なれど‥‥ 」
私は、貴王女によって居所の外へ追い出された。
よほど、九品親王とかかわりを持ちたくないらしい。
こうなったら、私だけでも、伯奇を捕まえるために九品親王の元へ行かないと。
早く、元に戻さなければ、賢驥の父親が処罰されてしまう。
「菊理。貴王女はおるか? 」
気がつくと、きよが、目の前に立っていた。
「おりますよ。何かご用ですか? 」
私が訊ねた。
「九品親王が、謀反の疑いで連行されたのじゃ」
きよが青白い顔で答えた。
「それは、本当か? 」
背後から、貴王女が近づいて来た。
「はい、間違えありません。その話題で、後宮が騒然となっています!
護王様に話をお聞きに行かれるのでしたらお供いたします」
きよがそう言うと頭を下げた。
「ついて参るが良い。菊理、あなたもだ」
貴王女が、裳の裾をひるがえすと言った。
なんだか、貴王女が、鬼麻呂を倒した時と同じ
あの勇ましい姫に戻った気がした。
伯奇の次は、な、なんと、九品親王の謀反!?
思わぬ展開に、私の心臓は、忙しくうるさく高鳴った!
完