第23話 みしらぬ童子

文字数 3,378文字

「何をする気ですか? 」

 私は、密が、大王のおからだに蜘蛛の糸を垂らしたのをみてあわてた。

「こうすることしか、今は他に方法がないんじゃ」

 密はそう言うと、蜘蛛の糸を器用に操って

大王の両手にからめると強引に、大王の首から引き離した。

その直後、「あなたにはできないだろう?」的にふり向いた。

「ええ~い」

 私はやみくもに、大王の頭上に向かって剣をふりまわした。

無駄なことだとはわかっているけれど、何もせずにはいられない状況だった。

「ぎゃん! 」

 驚いたことに、何かが剣に触れた感触が両手にビシビシ伝わって来た。

私は、みえない何かに押し返されるようにしてその場に尻もちをついた。

もしかして、今のは、夢魔? 私は注意深く、大王の周囲をみまわした。

「逃がすものか! 」

 密が、空間に向かって蜘蛛の糸を放った。

すると、みるみるうちに、得体のしれない生物が姿を現した。

「あなたは何者? 」

 私は思わず、さけんだ。

「幻蛛ごときに、捕まるとは、わしも衰えたもんじゃのう」

 その得体のしれない生物が、「よっこいしょ」と言い立ち上がった。

「正体を明かせ。いったい、何の目的で、大王様に悪夢をみせて苦しめた? 」

 密がわめいた。

「何の話をしておる? 我はただ、この者の夢を食っていただけじゃ」

 その得体のしれない生物がしわがれ声で反論した。

「もしかして、あなたも、幻獣なんですか? 

私は、幻兎の菊理といいます。そこにいるのは、幻蛛の密です」

 私は、できるだけ丁重に話しかけた。

見た感じからして、年がだいぶ上みたいだし、

なんだか、ただものではない雰囲気だからだ。

「名乗るほどのものではない。では、失礼」

 なぜか、私が丁重に話しかけたにも関わらず、

その得体のしれない生物は、正体を隠したまま立ち去ろうとした。

「名乗らぬとは、知られてはまずいことでもあるのか? 」

 密が、その得体のしれない生物に向かって言い放った。

ところが、その得体のしれない生物は、挑発に乗ることなく立ち去った。

 その直後だった。近づいて来る足音が聞こえた。

「ドドド」ではなく、「トットト」という飛び跳ねるような軽快な足音だ。

おそらく、大人の人間ではなくて、身のこなしの軽い少年だろう。

部屋の外に出ると、推理は見事命中した。

部屋を出た得体のしれない生物と、見知らぬ童子が対峙していた。

「ぼうず、わしのことがみえるのか? 」

「もちろんだとも」

「おまえに、わしが捕まえられるはずがなかろう」

「そんなことはない。方法は考えた」

 どうやら、見知らぬ童子も、

この得体のしれない生物を捕まえに来たらしい。利害は一致した。

こうなったら、この見知らぬ童子に加勢するしかない。

「三方から挟み撃ちじゃ」

 密がさけんだ。これでもう、逃げられないと思った次の瞬間、

その得体のしれない生物がパッと姿を消した。

 急いで、大王の元に戻ると、大王は安らかな顔で眠っていた。

気がつくと、隣に、見知らぬ童子が座っていた。

「ぼうやは、あの得体のしれない生物の正体を知っているんだよね? 」

 私が見知らぬ童子に訊ねると、見知らぬ童子が大きくうなづいた。

「あれは、唐にいるといわれる伯奇という伝説の幻獣だよ。

絵の中から逃げ出したんだ」

「なぜ、幻獣がみえるの? 」

「なぜかはわからない。物心ついた時から、

ふつうの人間には、みえないものがみえていた。

だからこそ、僕には、伯奇を捕まえることができるんだ」

「捕まえて絵に戻してどうするの? 

あの伯奇だけど、夢を食っていたと私たちには言っていたわ。

それが、本当ならば、あの伯奇は、

大王様が悩まされている悪夢を食っていたということになるわね」

「よく、しゃべる兎さんだねえ。

伯奇には、予知能力があることは知っているけれど、

夢を食うとは知らなかった」

「私は菊理よ。あなたは? 」

賢驥(さかき)

 私たちは、どちらともなく握手した。温かい手をしている。

目もキラキラしているし、純粋無垢な少年に違いない!

 私は、どこかへ帰って行った賢驥を見送ると、朝まで、大王の枕元にいた。

 翌朝。貴王女の元に戻ると、サカ王女やきよが来ていた。

何やら、女同士のひそひそ話をしていた。

私も混ぜてもらおうと3人に近づいた。

「きゃっ! いつから、そこにいたの? 」

 貴王女が私をみるなり驚いた。

「いったい、何をお話をしていたのですか? 

私のいない間に何かあったのですか? 」

 私が、貴王女に訊ねた。

「あなたこそ、何かなかったのか? 」

 貴王女が訊き返した。

「幻蛛と会いました。名を密といって、

明星に仕えているらしいです。

その後、大王様が苦しみだされた時、

伯奇という唐の幻獣が現れて夢を食うとかなんとか言ってましたが、

その伯奇を追いかけて来た賢驥という

名の童子をみるなり姿を消したんです」

 私は、昨夜の出来事をざっと話した。

「幻蛛だけでなく、伯奇も現れたということは、

悪夢は、単なる病ではなさそうね。もしかしたら、怪奇かもしれないわ」

 貴王女が、うんうんとうなづきながら言った。

「話は違いますが、2人の対決も気になるところです」

 きよが話に割り込んできた。

 きよが仕入れて来た話によると、

大王は、卯波王子と九品親王にそれぞれ、課題をお与えになったという。

その課題というのが、実にやっかいでむずかしい内容なんだ。

大王は、死期が近いと感じてこれまでなさった政を顧みたらしい。

それで、このままで良いのかと不安になり、

2人に議論をさせて改めて考えてみようというのだ。

「さすがに、お2人を矢面に出せないということで、

2人には、後見役をおつけになったそうなんです」

 きよが身を乗り出して言った。

「して、その後見役に任ぜられたのは誰なんじゃ? 」

 サカ王女がめずらしく、関心を寄せた。

「王子には、今は亡き王太子妃の兄君の蓬莱卿。

九品親王には、大王様の側近の丑野万歳(うしのまんさい)という左兵衛の尉です。

後見人と協議の上に決定したお答えを後見人を通じて朝議にかけるそうです」

 きよが答えた。

「蓬莱卿はともかくして、丑野は、大王様に対して並々ならぬ忠誠心を持っておる。

王子が新大王として即位なされた後も、

大王様の御意向を尊重するあまり出過ぎた真似をせぬとも限らぬ。

おそらく、大王様は、ご存命の内に無用な争いごとを取り除いておかれたいのじゃろ」

 サカ王女が神妙な面持ちで告げた。

「早速ですが、ひとつ情報がございます。

王子は、軍事と造作を停止する案をまとめたそうです」

 きよが意気揚々と言った。

「へえ~。意外じゃのう。王子のことだから、

蝦夷征討こそ正義とのお考えなのかと思っておった」

 貴王女が言った。

「闇天誄もいなくなったことですし、

今のところは、賊地も平穏だと聞きます。

これ以上、戦は必要ないのではないでしょうか? 」

 きよが遠い目をして言った。

「九鬼退治のことが昨日のことに思えるが、

現実には、10年も前のことなのじゃな」

 サカ王女がしみじみと言った。

「天災はおさまりましたし、あとは、戦を止めて平和を保つことだけです。

王子はきっと、名君になれますね」

 きよが穏やかに言った。

「そうさのう」

 サカ王女が気のない返事をした。

「九品親王はどうなさるおつもりなのかしら」

 貴王女がぼそっと言った。

「もうひとつ、情報があるんですが‥‥ 」

 きよが勿体つけるように言った。

「何じゃ? 申してみよ」

 サカ王女が、きよをせかした。

「王子は、大王様の悪夢を治すために

乙津様を通じて文月様に調査を命じたらしいです。

どうも、王子は、悪夢の原因は、病か何かだと考えているようです」

 きよが真顔で言った。

「大王様がご存命の内に、悪夢を治して忠誠を示したいということか。

これはまた、めんどうなことになりそうじゃ」

 サカ王女が考え込んだ。

「夢を食うという伯奇が気になります。

賢驥という童子は、絵の中から抜け出したと言っていました。

どうしても、伯奇を捕まえなければならない理由が何かあるみたいです」

 私が訴えた。

「絵の中から幻獣が抜け出したことは以前にもあった。

悪夢を食ってくれたのだから、伯奇は良い幻獣なのかもしれぬ」

 貴王女が、私に言った。

「ところで、賢驥は今、どこにいるのじゃ? 」

 サカ王女が、私に訊ねた。

「さあ、宮城の近くにいることは間違えないのですが、

居所まではつかんでいません」

 私が答えた。

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