すれ違う想い
文字数 3,091文字
空は重苦しい灰色に包まれ、雪が舞っていた。
深い森に閉ざされたカペラ王国はほぼ一年中冬で、ほんの少しだけ訪れる夏の間はお祭り騒ぎになる。
どこかの世界の島国のような、四季は存在しないのだ。
部屋の中は、暖炉の火のおかげで暖かかったが、気がつくと火の勢いは弱まろうとしていた。
魔女が小声で呪文を唱えれば、尽きようとしていた火は元気を取り戻し、再び赤々と燃え始める。
魔女──エリザベートは柔らかな微笑を浮かべると、また仕事用机に向かった。
「──この前、カーバンクルの姉妹に言われたわ。ロダンさんはいつ帰ってくるんですか、また魔法の練習を見てほしいのに、って」
「……」
「彼女とも、何だかんだで仲良くやっているようね。素直で純真で、とてもいい子じゃない。私は好きよ」
いつから、ここにいると気づいていたのだろうか。
エリザベートの明るい声に、ロダンは
「あの世界に行ってから、もう一ヶ月以上が経った。気配だけで、どんな手を使ってもエーテルハートは一向に現れない。これじゃ何のために向かったのかわからねえ。オレはあの女とお友達になるために行ったわけじゃないんだ」
「ねえ、ロダン。この数年で、あなたは目覚ましい成長を遂げた。私がアカデミーの教職に関わるようになって以来、あなたほどの優秀な学生はいなかった。まだまだ荒削りだけど、この子はきっと将来素晴らしい魔法使いになると確信した。私の相棒になってほしい。そう思ったの」
「──……」
次第に熱のこもっていくエリザベートの口ぶりに反比例して、ロダンの瞳の色は冷たくなっていく。
まるで、外に降り積もる雪のように。
「十分な素質と実力を備えるあなたが、エーテルハートという不確かなものに踊らされている。それが心配なのよ。あなたを煙たがっている魔法協会の思惑にも、本当は気がついているんでしょう? このままだと、彼らの思う壺よ。私は、そうなってほしくない」
エリザベートの気遣うような視線も、今のロダンには苛立ちの元でしかなかった。
「はは、エリザベート……あんただって、その協会の一員だろ。それともあんたがみんなの期待通り次期代表理事になれば、協会の何かが変わるのかな」
それまで真剣な表情でロダンを見つめていたエリザベートだったが、彼の挑発を聞くと一転して厳しい顔つきになった。
「やはり回りが見えていないのね。悪いけれど、あなたは完全に冷静さを失っている。あなたの求めている力、強さ………私にはとても危ういものにしか見えないわ」
「はっ……あんたには、オレの気持ちなんかわかんねーよ。生まれる前から成功を約束され、出世街道をひた走り、誰からも慕われ、何でもうまくいってるあんたにはな」
次第に声を荒げるロダン。
「オレが今までどんなに惨めな思いをしてきたか。慈善学校でも、死んだ両親のことを持ち出されて……子どもには馬鹿にされ、大人たちにも笑われ。あの優秀な魔法使いたちの息子がこれか、と。悔しくてたまらなかった。奴らに何も言わせないだけの力がオレにあればと思った。だから誰よりも努力してきたんだ」
「ロダン、聞きなさい」
ロダンの
「オレを見出し、評価してくれたあんたには感謝してるよ。でもオレはもう、二度と昔の弱い自分には戻りたくない。もっと、もっと強く──強くいなきゃダメなんだよ‼」
ロダンは気づかなかった。
いつのまにか自分の影が大きく伸びて、周囲の空間を覆い始め、やがてエリザベートの姿さえも飲み込んでしまったことに。
ロダン自身から生まれ出た闇は、かつてロダンを
忘れたい過去は、記憶から消し去りたいと思えば思うほど、ロダンの脳裏に強く焼きつき、一向に離れてくれない。
──やめろ。やめろ……これ以上オレの中に入ってくるな!
かつて投げかけられた悪意ある言葉の数々が、脳内へ侵食してくる。
ロダンは耐えきれず、頭を抑えて
* * *
「ねえ、ロダン大丈夫? ねえってば……しっかりして!」
ロダンは、はっとして目を開けた。
まただ。
この世界に来てから、もう何度目の悪夢だろう。
ただ今までと違うのは、みのりが目の前にいることだ。
平静を装おうとしたロダンだったが、本当にできているかはわからなかった。
「どうしたの? すごくうなされてたから……私も目が覚めて」
「別に。ちょっと嫌な夢を見ただけだ」
「ちょっと、って感じじゃなかったよ……弱い自分じゃダメだ、強くなきゃダメだ、とかうわごとを言ってた」
みのりは、夢の中のエリザベートと同じように、心配そうにロダンを見つめていた。
その思いは、きっと心からのものだろう。
エリザベートの言う通り、みのりは素直で純真で、優しくひたむきな心を持った少女なのだと、ロダンにも本当はわかっていた。
だが、今のロダンにその優しさを受け取る余裕はなかった。
「ねえロダン、何かつらいことがあるなら……ひとりで抱え込まないで、頼っていいんだよ」
「────」
「私、ロダンの気持ちわかるよ。私も弱虫で、自分が嫌いで、でも──」
「おまえに何がわかる」
突然感情を爆発させたロダンに、みのりは怯んだ。
背中がすっと寒くなる。
ロダンの声は、今まで彼が見せたことのない憎しみと拒絶に満ちていた。
「え……ちょっと──」
ちょっと待ってよ。何で私、怒鳴られてるの?
ロダンの豹変に気持ちがついていかず、途方に暮れるみのり。
そんな彼女に、なおもロダンは語気を強める。
「弱いオレに存在価値なんかない。誰よりも強くなきゃいけないんだ。オレは誰にも頼らない。誰かの手なんか、絶対借りるもんか!」
頑なに叫ぶロダン。
異常なまでに強さへの執着を見せるその姿に、いつもの余裕と
むしろ、痛々しいばかりだった。
今までのみのりならきっと、何も言い返せずにいただろう。
だが、今回は違った。
自分の内にふつふつと何かが込み上げてくるのを感じ、思わず口走る。
「そう。じゃあ、私も言わせてもらいますけど」
「──は?」
静かな怒りがにじむみのりの声に、今度はロダンが怯む番だった。
まさか、彼女が真正面から言い返してくるとは思わなかったのだ。
「何勝手なことばっか言ってんの? 意味わかんないよ! 自信を持つのが大事って、私に言ったこと忘れたの? 消えたいなんて、そんなこと言うなっていったのは、ロダンじゃない。自分が嫌いだった私が頑張ろうと思えたのは──、自分がどうなりたいのか考えるようになったのは、ロダンがきっかけなんだよ⁉」
いったん口にしてしまうと、溢れ出る想いは
「私──ロダンは強いなって……ちょっとでも憧れたのがバカみたい。そんなの、本当の強さじゃない‼」
一瞬、胸を抉られるような痛みを感じる。
ロダンはこれ以上、みのりと話していられないと思った。
わざと意味のない、猫の鳴き声を上げ、みのりに背中を向けて丸まった。
「え……」
みのりの声には明らかなショックの色が見えた。
彼女の言う通りだ。
エーテルハートを求めるがために利用していること含め、彼女にひどい仕打ちをしているとわかっていたが、どうすることもできなかった。
一瞬の間のあと、みのりは打ちひしがれた様子で、自分のベッドに戻っていく。
「ロダンのバカ……‼」
みのりの涙声が、暗闇に溶けた。