決戦の日
文字数 4,669文字
あれから彼とろくに話もしないまま、気づけば数日が経っていた。
みのりにしてみれば、ロダンの態度は全く理解できなかった。
そもそも勝手に押しかけてきておいてその目的もろくに語らず、挙句の果てに怒鳴るなんてひどい……
と憤りを感じる一方で、彼が初めて見せた強い負の感情が、どうしても頭から離れない。
ロダンの「自信を持て」という言葉。
それがみのりに力を与えたのは、まぎれもない事実だ。
みのりの目にはいつも、ロダンは自信満々で、強気で、前向きに映っていた。
その姿は……彼自身がそう演じていただけにすぎなかったのだろうか。
本当のロダンは、どこにいるのだろう。
あの夜垣間見た、彼を苦しめているものがなんなのか知りたい。できれば助けてあげたい──
そんな思いが、みのりの心から消えずにいた。
* * *
そして、ついにやってきたクラスマッチ当日。
その日は、午前中いつも通り授業をして、午後に各チームが試合を行うというスケジュールになっていた。
翼や真帆の指導もあって、バスケの試合も人並みにはこなせるようになったみのり。
十六年間生きてきて、こんなに努力したのは初めてかもしれない。
苦しい瞬間もたくさんあったが、それでも一度決めたことで、友達も協力してくれているのだからと、自分を鼓舞しながらなんとかやってきた。
──でも、どうしても緊張するな……
本番直前の、体育館のトイレ。
みのりは今、真帆と翼それぞれの試合の応援を終えたところだった。
ドッジボールは苦手といいながら大立ち回りを演じた真帆、野球で安定の活躍を見せた翼。
ふたりとも生き生きとしていたが、その分みのりにはプレッシャーが強まる一方だ。
鏡に映る自分の目は虚ろで
みのりはわざとロダンの声真似で、鏡の自分に話しかけた。
「はー、ひどいツラしやがって。そんなんでまともに試合できんのかよ」
あんまり似てないなと苦笑した瞬間、真後ろのドアが開いて女子生徒が入ってきた。
思わず身体がこわばる。
鏡の中で、彼女と目が合う。
伊藤ほのかだった。
ほのかは、即座にみのりの様子に気づき、心配そうに声をかけてくる。
「早川さん大丈夫? 顔色よくないよ。体調が悪いなら、保健室で休んでた方が」
「あ、ううん──ただ私……体育が苦手で。このあとのクラスマッチが、ちょっとこわいかな──って……」
思わず本音を吐露してしまうが、ほのかはぱっちりした目を少し見開いたあと、笑って言った。
「大丈夫だよ! だって私、早川さんがすごく頑張ってるの見てたもん。毎日、宮崎さんや坂本くんと一緒にバスケの練習してたよね。仲いいなって、ずっと思ってたんだ」
「え……」
思わぬ反応に、言葉を失う。
ほのかにあのスパルタ特訓を見られていた上、褒められるとは……なんだか斜め上の展開だ。
彼女もみのりの心情を読み取ったのか、少しあわてて釈明した。
「な、なんか覗き見してたみたいでごめんね。でも、ほんとに日に日に上達していくのが私にもよくわかったから……こっそり応援してたの」
「伊藤さん──」
翔太への思いを振り切りつつある今、ずっと複雑な気持ちで見てきた伊藤ほのかという人物を、初めて冷静に捉えることができた気がした。
自然に他者への気配りができる、いつも笑顔の女の子。
そんな彼女を、みのりは初めて心から「素敵だな」と思えた。
「ありがとう──伊藤さん。ちょっと、気持ち楽になったよ」
「それならよかった」
「でも伊藤さんて、なんか運動系の部活やってるっけ? そのときに見たのかな」
以前誰かから耳にした話、ほのかは小さい頃からバレエを習っているらしい。
彼女ならサマになりそうだが、この公立高校にバレエ部なんかあるはずもなく。
何気なくそんな質問をすると、ほのかは突然頬を染め、はにかんで笑った。
「あ、えっと、翔太くん……私の彼氏がテニス部だから、遠くからだけど練習してるとこたまに見させてもらってて、そのときに見かけて──そういえば彼、早川さんと同じクラスだよね」
なんだ……一気に理解が及び、みのりは苦笑いした。
校庭の隅で練習をすることもあったから、ほのかが自分を見かけたのはそういうときだったのだろう。
翔太がテニス部なのはみのりももちろん知っている。よく彼の練習風景を、教室の窓から見ていたものだ。
好きな人について語るほのかは普段に輪をかけて可愛らしく、みのりは微笑ましいような、どこか切ないような気持ちだった。
きっと今話している相手がかつて、自分の恋人に片想いをしていただなんて、思ってもいないことだろう。
「彼も、早川さん毎日頑張っててすごいなって、感心してたよ」
「大変、光栄です」
みのりは、わざとおどけた口調で返したのだった。
* * *
ロダンはリビングの隅で、ぼんやりしていた。
今日は雲ひとつない晴れで、窓からの日差しがまぶしい。
季節はそろそろ夏を迎えようとしているらしく、毎日三十度近くの暑い日が続いていた。
寒冷なカペラ王国育ちのロダンは、この国の暑さになかなか慣れられずにいる。
「今年の夏も全体的に厳しい暑さが続く見込みだってさ。もはや毎年異常気象じゃん」
いつか、テレビの天気予報を見ながら、みのりの兄がうんざりしていたことがあった。
氷魔法でも使えばどうにかなるのかもしれないが、人間界で大っぴらに魔力を行使することもはばかられる。
いや、夏になる頃、そもそもエーテルハートを手に入れられているのだろうか……
──私が頑張ろうと思えたのはロダンのおかげなんだよ!?
──そんなの、本当の強さじゃない!
あの夜みのりに突きつけられた言葉が、まだ痛かった。
初めて魔法の鏡で姿を見たときから、みのりは常におどおどしていて、危うさを抱えた少女だった。
学校でも、親しい真帆や翼以外の前では堂々と振る舞えず、失敗ばかりで、勝気そうな同級生たちに陰口を叩かれて泣く始末。
まるで落ちこぼれだった頃の自分のようで、気恥ずかしさと手を貸したい気持ちで胸がざわつき、どうにも放っておけなかった。
それに、助けたあとあんなにも純粋な感謝の念、優しさを向けられてしまったら、なおさら。
無意識のうちに、みのりにほだされてしまっている自分がいた。
そして彼女は今、自身の足で立ち上がり、前に進もうとしている。他ならぬロダンの助言がきっかけで。
あのとき自身がみのりに言ったことを、反芻してみる。
──どんな自分になりたいんだ?
もっと強い力を持った魔法使いに。
──本当の強さ、って何なんだ。
それは……
それは…………
「そういえば今日は、みのりの本番の日じゃなかったか?」
不意に後ろから声が聞こえ、ロダンは内心あわてた。
みのりの両親だ。話し声にすら気づかないほど、物思いにふけってしまっていたのか。
ふたりとも今日は休日らしく、ラフな服装でくつろいでいる。
「そうね。あれだけ頑張っていたんだもの。いい結果を残せるといいわね。あの子、学校でも周囲に馴染めなくて心配してたけど、真帆ちゃんや翼くんみたいないいお友達ができて本当によかったわ」
「大地も目標があって頑張っているようだし……ふたりとも、立派な子に育ってくれたもんだ」
談笑するふたりをロダンが黙って見ていると、その視線に気付いたみのりの母がこっちにやってきた。
「もちろん、ロダンも大切な家族よ。私たちみんな、あなたに癒されているわ。みのりに突然拾われてきたときはどうしようかと思ったけど……あなたが来てから毎日が変わったの。うちに来てくれてありがとうね、ロダン」
──違う。違うんだ。
みのりの母に優しくなでられながら、ロダンは今まで味わったことのない胸の痛みを感じていた。
* * *
「がんばれー、みのりー!」
体育館に、真帆の応援が響く。
ついに迎えた本番の試合。みのりは、コートの上で必死に立ち回っていた。
あらゆることを翼から徹底的に叩き込まれてきたおかげで、その動きは軽快で自然だ。
それでも、自身が積極的に点を取りにいくようなことはせず、このままあくまでアシストに徹するつもりだった。
──だったのだが……
同点のまま、試合は延長戦にもつれ込んでいた。
残り時間も少なくなってきた頃。
チームのエース、ユカがボールを取られそうになり苦しまぎれに投げてきたパスを、みのりはとっさに取ってしまう。
ゴールは、みのりのいる位置から、あまり近いとはいえなかった。
──どうしよう!
ここ数日の練習で多少改善されたとはいえ、みのりの運動音痴っぷりは、同級生の間ではそこそこ知られている。
そのみのりにボールが渡ったとあって、相手チームのメンバーはチャンスと思ったのだろう。
ボールを奪おうと何人もが迫ってきて、みのりはパニックになるが……
──投げろ。そのまま、まっすぐ。
その瞬間、空間が静止し、頭の中に声が響く。
我に返ったみのりは思い切って、ゴールめがけてシュートした。
直後、止まった時間が元に戻る。誰もが瞬きもせずに、ボールの行く先を見ていた。
みのりの投げたボールは、綺麗な放物線を描き……生まれて初めてシュートを決めたあのときのように、ネットをくぐり抜けて、落ちて床を跳ねた。
決まっ……た?
同時に試合終了を告げるホイッスルが鳴り、審判が告げる。
「試合終了! 二年C組の勝ち」
コート上の誰もが呆然としていた。当のみのりもだ。
先生に急かされ、両チームはぎこちなく握手を交わすと、コートを出た。
「おめでとう、みのり!」
駆け寄ってきた真帆にハグされる。
「本当に、よくやったな! 特訓した甲斐があったよ」
翼も笑顔で手のひらを向けてきて、あわててハイタッチする。
みのりはここまで喜びの感情をあらわにした翼を見たことがなかった。
「ほんとに、勝ったの?」
未だ信じ切れていない様子のみのり。
「そうよ! あんたがシュート決めたから勝ったのよ。これはまぎれもない現実! 確かめてみる?」
呆れた真帆に頬をつねられ、みのりは悲鳴を上げた。
「い、いひゃい」
現実感を持てないまま連れ立って体育館を出ようとしたとき、マナミたちと鉢合わせした。
一瞬翼と真帆の顔が険しくなったが、彼女たちに敵意はないようだ。
三人とも、気まずさを隠し切れていないものの、穏やかな表情をしていた。
「なんか、別人みたいだった。正直、あんたがパス取ったときはどうしようかと思ったけど。まさか、ここまで上手くなるなんて……」
「毎日練習してたって、マナミから聞いた。ほんと、すごかったよ」
決まりが悪そうに切り出した、ユカとリコ。
彼女らの言葉にいつものトゲは感じられなかった。
「勝たせてくれてありがとう。あんなこと言って、悪かったね。──宮崎さんも」
真帆、そしてみのりを
「ううん……」
うれしい気持ちが込み上げてきて、自然と笑顔がはじける。
なぜ自分にまで謝られているのか
本当に世界が変わりつつあるような気がした。
きっと今日は、人生のうちで忘れられない一日になるだろう。
──ロダン、私、変われるかな。
早く帰って、ロダンに会いたい。今思っていることを、彼に話したい……
みのりは、はやる心を抑え切れずにいた。