小さな願い
文字数 3,261文字
ロダンの問いかけが、昨日からみのりの頭の中をずっとめぐっている。
ロダンに詳しく話を聞こうと思っても、擬似空間生成魔法を使って疲れてしまったのか、彼はみのりが学校に行く時間になっても一向に目を覚ます様子がない。
──ごめんみのり、ガチで寝坊しちゃった。悪いけど先学校行ってて!
しかも真帆からは寝坊したというメッセージが届く。みのりは仕方なくひとりで登校することにした。
門をくぐり、校舎に入ろうとすると、掲示板の前で違うクラスの女子が話している声が聞こえてきた。
確か、伊藤ほのかと同じクラスの子たちだ。
「うわ、最悪。私バレー苦手なんだよ。せめてバドミントンならよかったのに」
「しかも勝手にチーム決められてるし、ひどくない?」
彼女たちが何の話をしているのか察しがついたみのりは、血の気が引くのを感じた。
程なくして、みのりに気付いたひとりが、声をかけてくる。
「おはよう。早川さん」
「おはよう……これって、まさかクラスマッチのやつ?」
クラスマッチ。
名前通りクラス単位で競い合うそれは、運動が苦手なみのりにとって、体育祭の次に恐怖のイベントだった。
昨年は自由にチームを組めて、真帆とペアになれたのでまだ気が楽だったのだが……
彼女たちの話を聞く限り、今年はそうではないというのだろうか。
「そう! 今年はもう競技もチームも決められちゃってるみたい。終わってるよねー」
みのりはおそるおそるチーム編成表に目をやる。
自分の名前は、バスケットボールの項目の中にあった。
配属されたチームの中に、先月みのりの悪口を言っていた女子グループがいたからだ。
「うわ、マナミとユカとリコだよ。この三人いつも一緒にいるじゃん。ちょっとずるくない?」
「あの子たち先生に気に入られてるからそれもあるんじゃない? どこをどう気に入ってんのか意味不明だよねー。早川さんもそう思うでしょ?」
「う……うん」
当然ながらこの三人組とみのりの間に何があったかを知らないのだろう、D組の女子生徒たちは笑いながらみのりに言った。
──悪夢だ……
みのりが重い足取りで教室に入ると、嫌でも例の三人組が目に飛び込んでくる。
リーダー格の大人っぽい子がマナミ、ボーイッシュで背の高い子がユカ、いつもおしゃれな髪型をしている子がリコだ。
みんな気が強そうで、自分と通じ合う要素は到底感じられない。
みのりはあの
既に、クラスマッチの掲示を見たのだろう。
それまで楽しげに話していた彼女たちは、みのりに気づいたとたん冷笑と軽蔑のこもった視線を投げかけてきて、身がすくむ思いがした。
「あーあ、最悪。これでうちらのチームの結果はもう見えてるね」
「……」
みのりは唇を噛んで、うつむいた。喉の奥がつんとして、涙がこぼれそうになる。
やっぱり私、だめだ──
「ごめーんみのり、なんとか間に合っ……あれ、マナミちゃんたちじゃん。なんの話してんの?」
気がついたら、いま登校してきたらしい真帆が目の前にきていた。
ほっとするみのりだったが、今度は彼女たちの怒りの矛先が真帆に向いてしまう。
「クラスマッチの話!」
「あの掲示見たでしょ。この子絶対足引っ張るよ」
「宮崎さん、チームメイトに迷惑かけるなとか忠告すべきじゃない。本当の友達っていうんならさ」
そばで見ていた男子たちが「おー、怖」とか何とか言いながら離れていくのが目に入って、みのりは居たたまれなくなる。
しかし、真帆は彼女たちの剣幕にも顔色ひとつ変えず、むしろ優しく答えた。
「みんなにも、苦手なもの、あると思うの。もちろん私にだってある。みのりは確かに運動は苦手かもしれないけど、頑張りたいって気持ちはちゃんと持ってる子よ。私は、友達だからわかる。みんなも、もう少しだけ暖かく見守ってあげてくれないかな。みのりに練習が必要なら、私も付き合うし。ね?」
真帆の笑顔は優しくも、有無を言わせないものを感じた。
ぶつけた怒りを冷静に受け流され、バツが悪くなったのだろう。
ちょうど予鈴が鳴ったこともあり、三人はすごすごとそれぞれの席に戻っていった。
みのりも、後ろの席の真帆にこっそり話しかける。
「真帆、巻き込んでごめんね。かばってくれてありがとう」
「何言ってんの。ってか、そういう私も嫌なんだよね……ドッジボール」
「うそー。いつも後の方まで残ってるのに」
真帆はドッジボールのチームに入れられたらしい。
みのりもドッジボールは昔から大嫌いで、早々に当たって外野に行ってしまいたいと毎回思っていた。
「それがいやなんだって! みんなに集中攻撃されるんだもん。ひたすらボール当てようとしてくるの恐怖だよねー」
だいたいドッジボールって小学生がやるスポーツでしょ? なんで高校生になってまでやらされるんだろうね、と笑いながら話す真帆。
また、助けられてしまった。
いつか真帆の助けになれることが、あったらいいな──と、みのりはぼんやり思うのだった。
* * *
それから数日後の、雨の夕方。
珍しく兄も一緒の食卓で、突然切り出された話に、みのりは箸を取り落としそうになった。
「お兄ちゃん、家を出るって──」
「あぁ。やりたいことが今の学校じゃ勉強できなくて……松山にある学校の編入学試験を受けたんだ。この秋から家を出て、向こうで住むことにする」
そういうことだったのか──
なぜここ最近兄の様子がおかしかったのか、みのりにはやっとわかった。
母ともめていたのもきっと、大方母が心配していろいろ口を出したのだろう。
ロダンは果たして家族の会話を聞いているのかいないのか、ダイニングの隅で無心にキャットフードを食べている。
「若いうちからやりたいことが決まってるのは、すばらしいことだ。父さんは応援するよ。な、母さん」
父は最初から兄の選択に好意的だったのか、晴れやかな顔をしている。母も苦笑いで答えた。
「そうね……もう立派な大人なんだもの。あんまりお母さんが口出しすぎちゃだめよね」
みのりが兄を表現した「いい子」という言葉に、ロダンが引っかかっていた理由が、なんとなくわかった。
本音を聞いたことはあまりなかったが、兄はいつも大人の言うことをよく聞く優等生だった。
親や先生に反発するところを見た記憶が、みのりにはない。
そんな兄が──本当にやりたいことを見つけたのだろうか。
「みのりは、やりたいことはないのか? おまえももう高二だし、進路の話なんかも学校では出てきてるんじゃないのか」
「え、私は……」
突然父から話を振られて、口ごもるみのり。
「真帆ちゃんや翼くんとは、そういう話しないの?」
母にも問われ、みのりは答えられなかった。
そういえばあのふたりと、じっくり将来について語り合ったことはまだないような気がする。
彼らは、自身の将来についてどう考えているのだろう。
みのりに言わないだけで、もう明確なビジョンが定まっていたりして──
そんなみのりを気遣うように、兄が声をかけた。
「もしかしたら、みのりは本当にやりたいことに、まだ気づいてないだけかもしれないな」
* * *
午前一時過ぎ。
みのりは兄の決断のことが頭を離れず、ぼんやりと闇を見つめていた。
──おまえ自身はどうなりたい。どんな自分になりたいんだ?
エーテルハートを手に入れてもっと強くなる、と言い切ったロダン。
彼はただひたすらに理想に向かって進んでいる。
その姿は、少しずつみのりの心を動かしていた。
そして兄にもきっと、なりたい自分があって──だから、思い切って環境を変える決意をしたのだ。
私はどうなりたいの?
みのりは自分に問いかける。
やりたいことは、まだわからないけど。
少なくとも、あの女子たちに怯えてビクビクしてるような私は……なりたい私じゃない。
変わりたい──
いつしかみのりの中に、小さな願いが生まれていた。