港の見えるあの丘で
文字数 8,004文字
みのりは、十七歳になった。
午後八時のバスルーム。真帆がプレゼントしてくれたバスソルトを溶かしたお湯に身体を沈める。
爽やかなラベンダーの香りが、心をほぐしていく。
──今年の誕生日は、うれしかったな。
バースデーケーキにのった十七本のろうそくを吹き消した直後、感慨深そうに父が口にした。
「みのり、誕生日おめでとう。おまえは変わったな。毎日生き生きしている。本当に、昨年の今日とは全然違うよ」
そう、十六歳の誕生日のときの自分とは、全然違うことをみのり自身わかっていた。今の自分はやりたいことを見つけて、毎日を楽しんでいる。高校生活があと一年ちょっとしか残ってないことが惜しいくらいだ。
だけど──……
──私、いつから変わったの?
──ちょっと前までは、学校なんか楽しくない、毎日がつまらない。
──そう思ってたのに。
そうだ。いつのまにかみのりは、自分らしく学校生活を楽しめるようになり、真帆や翼以外に親しい友達も増えて、気がついたら「料理に関する道に進みたい」という強い思いがあった。ちょっと前までは「どうせ自分には何もできない」なんて思ってたくらいなのに。
時折、不穏な記憶が蘇ることもある。あの、空白のクリスマスイヴ。少なくとも、あのとき何かがあったであろうことは、薄々感じていた。でも、わからない。いったい何が起きたのか。
わからない──
「────」
ん?
気のせいだろうか。外から、弱々しい鳴き声が聞こえてくる。
窓を細く開けて、耳を澄ます。
今度ははっきり聞こえた。やけに近い。
助けを求めているような、そんな気がした。
バスルームから出たみのりは急いで身体を拭きジャージに着替えると、家のガレージの方へ向かった。
鳴き声の元を探す。スマホのライトが、小さな影を照らした。
鳴き声の正体は、黒猫だった。子猫ではないようだ──首輪はつけていない。
みのりがかがみ込むと、黒猫は緑色の目でこちらを見据え、弱々しくも訴えかけるように鳴き声をあげた。その必死な声は、みのりの心を打った。
──助けて、って言ってるの?
「ちょっと待ってて」
家から毛布を持ってきたみのりは、黒猫の身体をくるんで温めてやった。黒猫は安心したように、目を閉じる。よかった、弱ってるけどどこもケガはしていないみたいだ。
「大丈夫、もう怖くないよ」
黒猫の背中をそっとなでる。触れたところから、弱いけれど確かな生命のぬくもりが伝わってきた。
「それで、飼い主探しても見つからないし、結局うちでこの子を飼うことにしたって?」
そう言ったのは、久しぶりに実家に帰ってきた兄だ。
「うん! 可愛いでしょ。とってもいい子なんだよ。元気になってよかったね、クロちゃん」
みのりはクロちゃんと名付けられた黒猫をなでながら、うれしそうに言った。
ガレージで弱っていたあの黒猫は、最終的にみのりの家に引き取られることになった。
保護したときにはわからなかったが、彼はすらりとしたシルエットが目立つ、とても美しい猫だった。その首には、
「なあ、そのクロちゃんて名前さ、もうちょっと考えた方がよかったんじゃないか? 真っ黒だからクロちゃんて、あまりにもひねりがないだろ」
「えー、でも可愛いのに。親しみやすくて。今更変えられないよ」
兄からネーミングセンスにダメ出しされ、みのりはふくれる。
クロちゃんと命名したのは、みのりだ。本当はもっとこだわって決めようと思っていたのだが、名前を決めるまでの仮称のつもりでクロちゃん、クロちゃんと呼んでいたら愛着がわいてしまい、結局正式にクロちゃんと決まったのだった。
「僕だったら、もっとかっこいい名前つけるけどな。ゲーテとかユーゴーとか、ドストエフスキーとか」
「ちょっと、それ完全にお兄ちゃんの趣味じゃん! 」
海外文学オタクの兄が列挙した名前こそ、どれもいかつくてこの子にはあまり似合う気がしなかった。
──だが確かに、クロちゃんと呼ばれるたび、彼が不本意そうな顔をしているような気がしなくもない。
まるで人間の言葉をわかっているかのような素振りをみせたり、キャットフードを与えてもあまり喜ばず、猫にも安全な人間の食べ物(特に手作り卵焼き)をあげると大喜びで食べたり。やってきた当初から、みのりはクロちゃんを不思議な猫だと感じていた。
彼は本当に賢くて、いい子だ。今までペットを飼ったことなんてなかったが、いざ飼い始めるとみのりはメロメロになった。何しろクロちゃんときたら、父よりも母よりも、たまに帰ってくる兄よりも、みのりに一番なついている。しかし、みのりにおとなしくなでられていたかと思うと、突然気が変わったようにそっぽを向いたりするのだった。がっかりするみのりに、母が言った。
「猫って、そういう動物なのよ。あんまり構いすぎるとどこかにいっちゃう。気まぐれで、マイペースなの」
暖かい日が差す、学校の図書館。
本棚の間で、神妙な顔で話し合っている少年と少女がいる。かつてみのりが恋をした少年──七瀬翔太とその元彼女、伊藤ほのかだった。
「──卒業したら、お父さんまた東京に戻るんでしょ? ついていかなくていいの?」
翔太を気遣うほのか。口ではそう言いつつも、わずかに震えるその声音には、行ってほしくない気持ちが滲み出ている。
「行かない。オレは広島に残る。やりたいこともできたし、それに──今までほのかちゃんと離れていた分、もっと一緒にいたい。今度はもっと、ほのかちゃんを大切にしたいんだ」
翔太は断言する。その口調には強い決意が感じられた。涙ぐむほのか。
「翔太くん──うれしい。一緒の大学……行こうね」
翔太に近づこうとしたほのかだったが、誰かの気配を感じて、サッと離れた。
「あ──」
「あっ──」
入ってきたのは、みのりだった。一瞬気まずい空気が漂う。参考書を探しに図書館に来たのだが、人の気配に気づかず邪魔した形になってしまった。
──そっか、このふたり、より戻したんだっけ。
みのりは、誤解とすれ違いで一度別れたらしい翔太とほのかが復縁したことを知っていた。でも、もう胸は痛まない。むしろ、清々しい気持ちだった。
「ごめんなさい、邪魔して」
すぐに引き返そうとするみのりを、翔太が引き止める。
「あ──待って、早川さん! もう大丈夫なの?」
予想外の言葉をかけられ、意味を理解するのに少し時間がかかった。おそらくクリスマスにみのりが失踪したことについてだろう。
思わずふたりの顔を見返すと、翔太もほのかも真剣な顔でみのりを見つめていた。
「君が行方不明になって、学校中大騒ぎだったんだよ。オレもずっと気になってたんだけど、なかなか声をかける機会がなくて──」
「きっと、すごく怖い思いをしたよね。あれからは何も起こっていない? もしまた何かあったら、誰でもいいからすぐに相談した方がいいよ」
ふっ、と肩の力が抜ける。わかっていた。とても優しい子なのだ。翔太も、ほのかも。
まさかこのふたりから心配される日がくるなんて思わなかったな──みのりは笑い、明るく言った。
「大丈夫、私は元気だし、困ったことは何もないよ。心配してくれてありがとう。うれしい!」
「そっか──よかった」
ほっとしたように笑顔を見せるふたり。
「じゃあ、あんまり邪魔しても悪いし、私行くね。──ふたりのこと、応援してるよ!」
笑顔で彼らにエールを送った。
えっ、と固まる翔太とほのか。
みのりは、微笑みながら図書館をあとにする。
──おめでとう、七瀬くん、伊藤さん。
一年半前、この場所で始まった、みのりの初恋。
翔太への恋は叶わなかったけれど、少し大人になったみのりは、いま心から願っていた。
ふたりの幸せな未来を。
三月に入り、高校二年生もいよいよ終わりに近づいてきた。
翼は体育の先生になるため市内の大学へ、真帆も美容関係の専門学校へ──それぞれの夢に向かって動いている。
みのりはというと、第一志望の大学を決め、受験に向けて日々勉強していた。
「食に関する資格を取りたいのか。確かに早川さんは、家庭科の成績もいいし文化祭の屋台でも活躍してたもんな。やっぱり得意分野を目指そうと思ったのか?」
「そうですね……小さい頃から料理が好きで、美味しいものでたくさんの人が幸せになったらいいなと思いました」
進路の面談で先生に動機を聞かれ答えても、なんだかみのりにはしっくりこなかった。確かに料理は好きだし、その気持ちも間違ってはいない。
──でも、なんで? いつから、どうしてそう思うようになったの? 何か強いきっかけがあった、そんな気がするのに……
ある夜、みのりは受験勉強の合間に、テレビで紀行番組を見ていた。
クロちゃんも興味があるのか、テレビ画面を食い入るように見ている。
どうやら訪れている場所はフランス、パリらしい。街に、アーティスティックな絵のポスターが貼られている。
鋭い目をした、黒猫が描かれたポスターだ。おしゃれな服を着た女性レポーターが、ハキハキと絵の由来を説明する。
「これは、一八〇〇年代のパリ・モンマルトルに存在したキャバレー、ル・シャノワールのポスターです。
シャノワール
とは、フランス語で黒猫を意味する言葉で……」目の前のクロちゃんを見つめてみる。そういえば彼のスラリとしてスマートな
みのりは不意に、素敵なフレーズを思いついた。
「きまぐれ……シャノワール。きまぐれシャノワール。──うん、結構いいかも」
みのりが何気なくつぶやいた瞬間、クロちゃんがみのりをまっすぐ見つめてきた。
その緑色はあまりにも深く、心の奥底まで見透かされそうな気がして、みのりはなんだか落ち着かない気持ちになった。
──私、どうしちゃったのかな……
みのりの焦りを読み取ったのか、クロちゃんがそっと擦り寄ってきて、ゴロゴロ喉を鳴らした。
「おじいちゃん──! 久しぶりだね! 叔父さんたちは元気?」
みのりは、タブレット画面の向こう側の祖父に笑いかけた。
祖父が最近オンライン通話アプリの使い方を覚えたらしく、みのりと話したいと提案してきたからだ。大好きな祖父と話せるのは、みのりも大歓迎だった。たまにノイズが入ったりするものの、祖父の顔はよく見える。
「おお、みんな元気よ。みのりも元気そうでよかった。もう変なことは起きとらんか?」
「あ──あのときのこと言ってるの? もう大丈夫だよ。結局何の手がかりもないし、あれからお父さんもお母さんも過保護になっちゃって、なるべくひとりで外に出るな、学校からもまっすぐ帰れって」
窮屈そうな顔をするみのりに、祖父はたしなめるように言った。
「そりゃ、心配なんよ。あんなことがあったけえ。じいちゃんだって心配じゃ。……ん?」
「あ、ちょっと、クロちゃん!」
いつのまにか、クロちゃんが割り込んできて、祖父に向かってニャーニャー鳴き始めた。突然の猫の登場に驚いた祖父だったが、やがてニッコリ笑っていった。
「ありゃ、この子がクロちゃんか。そういえば、猫飼い始めたって言いよったの。全く元気な子じゃ」
「ごめん。ちょっと元気がよすぎるみたい。いつもはこんなじゃないんだけど──クロちゃんもおじいちゃんとしゃべりたいのかな」
「はは、クロちゃん。こんにちは。じいちゃんもまた遊びに行くけえ」
必死に鳴いていたクロちゃんは、次第にしっぽをだらんと床につけ、消え入りそうな声でニャーンと鳴いたかと思うと、そろそろと向こうにいってしまった。呆気にとられるみのりと祖父。
「なんか気に障ったんかの」
「ううん、おじいちゃんはなにも──」
通話を終えたあと、みのりは背中を丸めて隅に固まっているクロちゃんにそっと近づいた。
「どうしたの? なんか嫌だった?」
ゆっくりとこっちを向いたクロちゃんは、ぺこりと頭を下げた。その様子はまるで、みのりを気遣っているようだ。
そんなクロちゃんが愛おしくなり、みのりは彼をそっと抱き上げた。
──不思議な子。やっぱり、私の言うことがわかってるみたいだな……
ふと、みのりに抱き上げられたクロちゃんがドレッサーの上に視線を向け、小さくミャアと声をあげた。
そこに置かれているのは、なぜかバラバラに砕けてしまった、おばあちゃんの形見のペンダント。何とか修復したいと思うみのりだったが、自己流でやってもっとひどくしてしまったらと思うと何もできず、専門のリフォーム店などに依頼しようかと考えていたところだった。
「これ? 亡くなったおばあちゃんのペンダントだよ。おじいちゃんが私にくれたの。大事にしまってたのに、なんでこんなになっちゃったんだろ──」
砕けたペンダントを見るたびに、つらい気持ちになる。クロちゃんは、バラバラになったペンダントをまっすぐ見つめていた。
ふいに、クロちゃんがみのりの腕の中からソファに飛び移った。はっとする。クロちゃんの美しい瞳が、一瞬黄金に色を変えたような気がしたからだ。だが、瞬きする間に、またいつもの緑色にもどっていた。
──見間違い? 光の加減でそう見えたのかな。
立ち尽くしているみのりを、クロちゃんはじっと見上げてくる。
「ねえ、クロちゃん。私、何か忘れているような気がして──大事なことだったと思うのに。どうしてなんだろう……」
緑が芽吹き、桜のつぼみが次々とふくらんでいく。寒い冬は過ぎ、また今年も春がやってきた。
三学期の終業式を終えたみのりは、真帆や翼を招いて、家の玄関先でのんびりしていた。大の猫好きという翼が、クロちゃんを一度見てみたいと懇願したからだ。
「うわ、すげー綺麗な猫だな……おいで、よしよし」
普段クールな翼が、大喜びで猫を可愛がっている様子は、みのりにとっては結構な衝撃だった。
クロちゃんは黙って翼になでられていたが、眠くなったのかそのうち目を閉じて丸まってしまう。
みのりは、寝てしまったクロちゃんをそっと抱き上げた。
「あ、寝ちまった。今日あったかいもんな」
「でも翼くんて、そんなに猫好きだったっけ」
何気なく口にしたみのりだったが、そう言いつつも翼が以前もこんな風にクロちゃんを可愛がっている光景を見たことがあるような気がした。もはやみのりは、妙な違和感や突然のデジャヴにも慣れてきつつあった。
「あれ、知らなかった? 翼、昔から猫派だったよ」
「家の方針でペット飼ってもらえないんだよ。いいな、みのりは毎日猫と一緒で──」
途中まで言いかけた翼が、視線を上げたまま固まった。みのりと真帆も、つられてその視線の先に目を向ける。
魔女がかぶっていそうな黒くてつばの広い帽子と、同じく黒いロングドレスを身につけた長身の女性が佇んでいた。
──目が合った。
「ごきげんよう」
現代日本ではあまり聞かない挨拶をして微笑んだ彼女は、みのりが今まで見たこともないような美貌と、抜群のスタイルを持つ女性だった。外国人らしい。少々変わったファッションをしてはいるが、不審な人物ではないようだ。
「あ──……こ……こんにちは」
ぎこちなく挨拶を返すみのりたち。美女はまた微笑むと、みのりの腕で眠っているクロちゃんに視線を向けた。
「可愛い子ね。あなたの家族?」
「は、はい。ありがとうございます。──あの、何かお探しなんですか?」
みのりは彼女が何だか気になって、思わず聞いてしまった。隣の翼と真帆が困惑している気配が伝わってくる。
「そういうわけじゃないわ。ここは素敵な街だと思って、いろいろ見て回っていたの。──でもお嬢さん、何かを探しているのは、あなたの方ではなくて?」
「え……」
みのりはそう言われ、言葉に詰まった。
「あなたの一番大切な場所に行ってごらんなさい。きっと見つかるわ。──それでは、ごきげんよう」
美女はそう言うとこちらに会釈し、道を横切り去っていく。
不思議なことに、少し目を離した隙に、彼女は跡形もなく消えてしまっていた。
「なんか──変わった女の人だったね。悪い人じゃなさそうだったけど。海外のコスプレイヤーかな。今日その手のイベントとかあったっけ?」
美女が姿を消したあと、緊張が解けたように真帆がつぶやいた。
「ガチで美人だったな……」
「ちょっと。あんたあの人にずっと見とれてたの?」
「バカ、別にそういうわけじゃ」
正直な感想を口にしたところ真帆に小突かれ、あわてる翼。
そんな微笑ましいやりとりを横目に、みのりはぼんやりと彼女の残した言葉の意味を考えていた。
「──ねえみのり、あれってきっと魔女のコスプレだよね。絶対クロちゃんと並んだら絵になったと思うんだけど。魔女とその使い魔って感じで!」
「え──」
心臓がドクンと跳ねる。何気なく真帆が口にした一言を聞いたみのりは、自分でもわけがわからないまま鼓動が速くなっていくのを感じた。今までの違和感やデジャヴとは、わけが違う。
──オレが使い魔!? そんなわけないだろ!!
みのりの脳裏に、誰かの声が響いた。腕の中のクロちゃんが、わずかに身じろぎをする。
「おい、みのり? どうしたんだよ」
「ちょっと、大丈夫?」
みのりの様子がおかしいのに気がついた真帆や翼が、声をかけてくる。我に帰ったみのりは、あわてて口走った。
「真帆、翼くん、ごめん。今日これから、どうしてもやりたいことがあるの──」
真帆と翼はみのりの言動を不審がりながらも、帰っていった。ひとり必死に思いをめぐらせてみる。
そうだ、私は何かを忘れているんだ。探しているんだ。とても大切なことだったのに。
自分の頬を、両手でバチンと叩いた。
思い出せ、思い出せ──思い出せ!
ふと、みのりは弾かれたように立ち上がった。アクセサリーケースの中の壊れたペンダントを取り出し、手に取った。
はやる気持ちを抑えながら、ギュッと握りしめる。
指の隙間から、光が溢れ出した。
みのりはクロちゃんを抱えて、春先のまだ冷たい夜の中、脇目もふらず走っていた。両親からひとりで外に出るなといわれていたにもかかわらず、黙って家を飛び出してきたが、なりふり構っていられなかった。目指す場所はひとつ。
今すぐ確かめたい。港の見えるあの丘で。
浜辺を通り、森の中を抜け、石段をあがって──突然視界が開いて、みのりの瞳に見慣れた風景が飛び込んでくる。
家から全力で走ってきたみのりは、クロちゃんを下ろすと息も絶え絶えになりながらその場に膝をついた。こちらを見つめるクロちゃんの瞳が、水色に光っている。
「あなたは──やっぱり、」
不意に、夜空に星が降り始めた。
最初はわずかだった流れ星はみるみるうちに数えきれないほどになって、丘全体を光で包んだ。その星のかけらを浴びたクロちゃんは、二本の脚で立ち上がり、座り込んでいるみのりの頭をなでた。
みのりは彼の本当の名前を、ようやく口にする。
「ロダン──……」
涙があとからあとから溢れてきた。悲しい涙じゃない。探し求めていた大切な存在にようやく会えた──そんな幸せの涙だった。
「私、どうして忘れていたの……ごめんなさい。ずっと、そばにいてくれたんだね──」
「バカ。思い出すの遅すぎなんだよ。だいたいなんだよ黒いからクロちゃんて。安直すぎるんだよ……」
ロダンも泣いていた。彼は懐かしい声で、みのりに文句を言う。降り注ぐ星の光の中、泣きながら、笑いながら、お互いの存在を確かめ合うふたり。みのりはいつかこの場所でそうしたように、ロダンの頭をなでながら言った。
「友達になろうよ──」
(了)