エーテルハートの正体
文字数 4,687文字
みのりたちはカフェとやらに行っていて、今家にいるのはみのりの祖父とユースケ、そしてロダンだけだ。
──そういえば、さっきの丘は私のおじいちゃんが教えてくれたの。あの丘には魔法がかかってるんだって。
みのりの言葉がフラッシュバックする。
それは本当に、子ども騙しの
ロダンはどうしても、彼女の祖父の存在が気にかかって仕方なかった。
廊下の途中で立ち止まる。
開けられた障子から、部屋の中が見えた。
みのりの祖父がいる。
彼はこちらに背を向けていて、その表情は見えない。
向こうにはアンティーク風の飾り棚があり、女性の写った古い写真が置かれていた。
低い棚なので、立ち上がればなんとか見られそうだ。
彼女の正体はすぐわかった。
亡くなったみのりの祖母だ。
昨日ロダンが見たフォーマルな写真とは違って、楽しそうに笑っている。
その顔は、みのりに瓜二つといってよかった。
「しかし、みのりはばあちゃんにそっくりだな」
「わしもそう思うよ。どんどん似てきよるわ」
「なっ──」
何気なく口にしたひとりごとに返事をされたロダンは、絶句した。
見上げると、みのりの祖父が穏やかに微笑み、二本の脚で立つロダンを見返してくる。
この世界にやってきてから今まで、ロダンの言葉を理解する者はみのり以外、一人もいなかった。
このときまでは──。
「どうした? 目の色が変わっとるぞ」
「じいさん、マジで魔法使いなのか? だからみのりに、あの丘には魔法がかかってるって──」
「おお、そんなこともあったのお。じゃが、わしは魔法使いじゃない。そうじゃったらな、と思うたことなら何度もあるがの」
「オレが何者か、ずっとわかってたのか」
「いや。ただの猫じゃない、とは思うとった。じゃが、あんたの言いよることはなんとなくわかるよ。何も魔法使いとまではいかんでも、少し変わった力を持っとる人間なら、この世にたくさんおるけえ」
そう語るみのりの祖父は
自分とみのり以外の全員が記憶を操作されているのに気づいていながら、あえて黙っていたのだろうか。
ロダンは混乱を落ち着けようと、周囲を見渡す。
──まさか。いや、そんな……
写真の中の、みのりの祖母。
彼女が首から下げているペンダントに初めて気がついたロダンは、全てを察した。
故郷のカペラ王国で目にしたことが何度もあった。
王都の広場に建てられている、勇者ジークフリートの石像の盾にあしらわれた紋章を。
みのりの祖母のペンダントに描かれているのは、勇者の盾と全く同じ紋章だった。
「みのりのばあちゃんが──魔女だったのか。オレと同じカペラ王国から、この世界にやってきた──」
「カペラ王国か……妻がよく言っとったな。故郷が心配だ、と」
そういって、彼は遠い目をした。
みのりの祖母があの、カペラ王国の民ならば誰でも知っている、勇者ジークフリートの末裔?
なんだか話が出来すぎている気がするが、そういうことならしっくりこなくもない。
「エーテルハートの気配を追ってきてみたら──結局みのりも、カペラ王国と縁のある人間だったということか」
「今、なんて言うた?」
そのとたん、今まで穏やかだった彼は態度を一変させ、硬い声でロダンに詰め寄ってきた。
「は?」
「じゃけえ、なんて言うたか聞いとるんよ。エーテルハート、そう言わんかったか」
「ああ……言ったよ。願いを叶えてくれる伝説の石エーテルハート……オレはそれを探して、ここにきたんだ。みのりのそばにある気配がしたから」
ロダンは困惑しながらも答えた。
「みのりのそばにある? 嘘じゃ。そんなことが……あれは
激しくうろたえるみのりの祖父。
その顔色は青ざめ、わなわなと震えている。
全く話を飲み込めないロダンは、彼に問いかけた。
「じいさん、エーテルハートについて何を知ってるんだ」
彼はかがんでロダンの瞳を覗き込み、訴える。
「ええかロダン、エーテルハートが願いを叶えるなんぞ、とんでもないことじゃ。悪いことは言わん、あれとは
「おい、それじゃまるで──」
ばあちゃんはエーテルハートのせいで死んだみたいじゃないか。と言いかけて、飲み込む。
他にも聞きたいことは山ほどあったが、彼の動転っぷりにただならぬものを感じたロダンは、それ以上聞くのをやめた。
エーテルハートがどんなものかもわからない、というエリザベートの忠告を無視したことを思い出す。
ロダンに常に優しく接してくれた、みのりの両親と兄、そしてみのりの笑顔が浮かぶ。
あのときと今とでは、まるで心境が違っていた。
「じいさん。約束する。みのりは……あんたの家族は、オレが守る」
あまりにも自然にそんな言葉が出てきた。
自分でも耳を疑うほどに。
「ロダン……」
「最近迷ってたんだ。オレの本当の望みは何か……本当にエーテルハートを探すべきなのかって。でも、少なくともみのりを危険な目に遭わせたり、泣かせたりするのは違うと思ってる」
みのりの祖父は、黙ってロダンの言葉に耳を傾けている。
「オレは、もしあんたの孫に出会わなければ、自分の未熟さも、誰かを大切に思う気持ちも、失う怖さも、幸せも安らぎも──ずっとわからないままだった。みのりは、何もわかってなかったオレを本気で叱って、そして受け入れてくれた。今のままのオレで、いいんだって……」
「ほうか。みのりはあんたに、そんなこと言うたんか。全く、あの子らしいわ」
険しかった彼の顔が、少し優しくなる。
自分の必死さに初めて気づいたロダンは、照れ隠しに咳払いをした。
「とにかく、心配するな。あんたが恐れてることは、オレが防いでやるから」
「ありがとう。その言葉を信じるよ」
「でも、みのりには言うなよ!」
「ははは。みのりと仲良くしてやってくれや。あの子も、あんたのことが大好きみたいじゃけえのお」
みのりの祖父はそういって、ロダンの頭をなでた。
* * *
身体の底に響く音とともに、夜空に大輪の花が咲いては、散っていく。
花火大会の夜。
浴衣姿のみのりは、屋台で買ってきた綿菓子やりんごあめを食べながら、ユースケと打ち上げ花火を眺めていた。
花火が上がるたびに歓声を上げてはしゃぐふたりは、まるで仲のいい姉弟のようだ。
ロダンは、そんなふたりの後ろ姿を縁側から見つめていた。
「ロダンは、打ち上げ花火を見るのは初めてか」
隣に座った、みのりの祖父がロダンに尋ねる。
「ああ。王国の劇場で見せ物として似たようなことやってるのなら知ってるが、こんな大規模なのは初めて見た」
ロダンは不意に言った。
「じいさん。あいつの卵焼き、うまいよな」
「ほうじゃの。みのりがまだ幼かった頃、わしとみのりで弁当作って、あの丘に登ったことがあった。懐かしい。あの子の作った卵焼きは、本当にうまかった」
ロダンと、みのりの祖父はしばらく無言になり、打ち上げ花火を見つめる。
ただ花火の音と、みのりとユースケの笑い声が聞こえていた。
「この世界には、オレが見たことのない景色がたくさんある。カペラ王国には絶対にないような景色が。それはどれも新鮮で、心を動かしてくれる──もっと見たいと思ってるんだ。あいつと一緒に。だけど……」
躊躇しながらも素直な心情を吐露するロダンの頭に、彼がそっと手を置いた。
「この世界のいろんな景色をもっと見たい、か。妻も、同じことを言っていた」
「じいさん……」
「ロダン。あんた自身の本当の気持ちを大事にの」
「ロダン! せっかくだからこっちで一緒に見てみようよ!」
花火を見ていたみのりが、こちらに手招きしている。
──あいつ、オレが猫だって設定を忘れてないか? ロダンは呆れた。
「ほら、みのりが呼んどるで。行ってこいや」
「じいさん……ありがとな」
みのりの祖父に笑顔を見せたロダンは、みのりたちの方に向かう。
ロダンの新しい夢が、できていた。
* * *
「これは……」
部下の魔法使いから差し出されたものに、エリザベートは釘付けになる。
カペラ王国魔法協会本部にある、エリザベートの執務室。
彼女が今見ているのは、古びた書物だ。
日記のようだが、インクはところどころかすれ、一見しただけでは、何が書かれているのかよくわからない。
「王立博物館の保管庫に眠っていたものなんです。私も解読を試みたのですが……どうやら古いルーデル文字で書かれているらしく。レーベン村、という単語が散見されることくらいしかわかりませんで」
「レーベン村ですって?」
眉をひそめるエリザベート。
それは、何百年も前のこと。
王国の北西に位置し、自然豊かな美しい地として名を馳せていたというレーベン村。
住人たちは慎ましくも幸せに暮らしていたが、ある日「何者か」に襲撃され、一夜にして滅ぼされてしまったとされる。
カペラ王国の魔法使いや魔女は、長寿だ。
ゆうに百年以上を生きる人物も少なくないが、レーベン村が滅びる以前から生きている者となると、皆無だろう。
エリザベートは、協会の仕事でかの地を訪れた経験がある。
現在、蔦が生い茂る廃墟と化した村には、石にされ風化した住人の痕跡など、かつての悲劇の跡が生々しく残されていた。
今なお彼らの無念と悲しみが深く息づいている気がして、いたたまれなかったのをよく覚えている。
「レーベン村で何が起こったのかは今でも不明点が多く、この書物が解読できれば、王国にとっても大きな発見になるはずです。語学にお詳しい副理事なら何かわかるかもと……一度目を通してみていただけませんか」
「ええ。もし何かわかったら、すぐに教えるわね」
部下が帰ったあと、エリザベートは日記を見つめていたが、しばらくして解読作業に入った。
紙を傷つけないよう、そっとページをめくる。
確かに今は使われることも少なくなった、ルーデル文字の特徴が見てとれた。
古語に心得のあるエリザベートは、そのまま読み進めていく。
──美しいこの村を守りたい。そう思っていたのに……
──恐怖に耐えかね、私は見捨てた。故郷を。仲間を
「なるほど……」
これはどうやら、仲間を残して逃亡した住人の
エリザベートはさらにページをめくる。
──許してくれ、アンナ
「⁉」
女性らしい誰かの名前が目に入った瞬間。
ドクン、とエリザベートの身体に衝撃が走った。
紙に触れた指先から、強い何かが流れ込んでくる。
抵抗しようとするエリザベートの脳裏に、映像の断片が浮かんだ。
──これは……
日記に残された想いが強すぎて、解読する者を攻撃しようとしているのかもしれない。
とっさに杖を自身に向け、対抗呪文を唱える。
頭の中が真っ白になり、やがて彼女を支配しようとしていた力が消えていくのを感じた。
ようやく解放されたエリザベートは、その場にずるずるとへたり込み、今しがた目にした映像の意味を考えていた。
──何度言われようと、オレの気持ちは変わらない。
そう言ったロダンの顔が鮮烈に思い出される。
ああ、もっと早くこのことを知っていたら……エリザベートは悔やんだ。
なんとかしてロダンに知らせなければ。
エーテルハートは、やはり危険だということを。