第五話「真意」

文字数 3,701文字

 子供というのはどこにでも身を潜めるものだ。布一枚を隔てたすぐ後ろに彼女たちがいれば、全て会話は聞こえてしまう。狭いスペースだが、子供の体格なら簡単にもぐりこめる。そう思ったのだろう。
 幌をめくりあげた向こうには荷物が積み上げられているだけだった。考えすぎか、と安堵して幌を戻そうとする。その時、ふと目を上げた視野内のどこにも子供の姿が見当たらないことにオスカーは気づいた。手綱をハンスに託し、彼は荷台の中へと踏み込んだ。薄暗い荷台のどこにも子供の姿は見当たらない。舌打ちを一つして荷台の後ろに出る。馬車の後ろを見ても、子供の姿も足跡も見つからなかった。彼はしばらく荷台の後ろで過ぎ去り行く景色と伸びる轍を眺めていたが、やがて頭をがりがりと掻いて溜息を一つこぼすと御者台へと戻った。
「確かにお前の言うとおりだよ、ハンス。あの子らは全く俺たちを信用してなかったみたいだな」
「そうでしたか。いやあ、傷ついちゃうなあ」
 彼はハンスから手綱を受け取ると、再び溜息をついた。
「まあ、面倒ごとに巻き込まれずに厄介払いが出来た。そう思うしかないな」
「ま、そんなもんですよ」
彼が手綱を取り戻した五秒後のことだ。エリスの潜めた声があがった。
「どう?」
「とっくに降りたと思ったみたいだね。流石」
「これでも隠れんぼは得意だったの」
 どういう習性かは知らないが、確かに人間は人物を探すときに上を見ないらしい。考え直してみればこれまでの観測記録(データ)でもそうだった。フィリアは人間の習性に関する学習記録にそれを追加した。幌の上、一枚余計な布を被せたその間でのことだ。フィリアとエリスはその中に身を潜めていた。幌の骨組みの隙間に身を横たえ、予備の帆布を上に被せているのだ。少々不格好だが、幸いまだ何ともすれ違っていない。
「でも、荷台の中にいないことには気づかれちゃったな。あそこで聞いてるのを見つかるよりはマシだったけど」
「そうね。今から戻って『荷物の中に入って遊んでいた』って言い張って通ると思う?」
「厳しいだろうね。特にあのハンスってほう、私たちのことを単なる子供とは思ってくれてないみたいだし」
 エリスは黙って何かを考え始めた。沈黙が訪れる。残念ながら、商人たちも今はもう何も喋らない。地図でも広げてくれたらよかったのだが、そううまくはいきそうもない。
 御者台のすぐ後ろで会話を聞いて、自分たちはオートンに着かないのではないかと思った。最初フィリアは留まって聞き続けようとしたのだが、気づかれる可能性にエリスが思い当たった。それで場所を変えたのだ。彼らの会話が聞こえて、かつ彼らにすぐに見つからない場所。それが幌の上だったわけだ。
「どうするの? 降りる?」
 フィリアは少し考え、答えた。選択肢は二つだ。
「降りて轍を追うか、積荷の中に身を隠すか」
「身を隠して、その後はどうするの?」
「次に止まったときに降りる。……それまでに見つかる可能性もあるけど」
 しばらく沈黙する。馬車が一つ揺れ、二人は急いでずり下がりかけた体を持ち直さなくてはならなくなった。あまり長く考えている場合ではなさそうだ。エリスの方はずっと張り付いているわけにもいかないだろう。
「後を追いかける場合って何かまずいことはあったかしら?」
「少々危険だ。そして、追った後で鉢合わせになる可能性がある」
「……そうね。確かに、怖かったもの」
 静かな落ち着いた声だった。無理やり抑えたような。
 獣に囲まれたあの時を、夜明けを待ち侘びたあの長い夜を思い起こしているのだろう。フィリアは自らを覆う布の端を少しだけ持ち上げて空の様子を伺った。いつの間にか日はかなり傾いている。夕暮れと呼ぶにはまだ早いが、そう遠くないうちに必ず日は沈み、暗闇が訪れる。あまり長く悩んでいる時間はない。フィリアは決定した。
「エリス。明日の朝にここを出て行こう。今日の夜はここでやり過ごす」
 声を潜めて決断を告げれば、エリスは黙って頷いた。二人は帆の上を動き、幌馬車の尻のほうへ移動をはじめる。動き出す前にちらりと伺い見たオスカーとハンスは明日の天気の話をしていた。
「大丈夫かい」
「ええ。ありがと」
 フィリアが先に降り、エリスが降りてくるのを手伝う。それから幌を覆った布を回収して元あった場所に戻し、適当な積荷の箱を開いた。中にはぎっしりと乾かした植物が入っていた。薬草か、香草か、それとも別の何かなのか。適当にそれらを引っ張り出してスペースを開け、エリスを中に入れた。
 箱の中で、干した植物に半身を埋めたエリスの赤い瞳がこちらを見上げている。一瞬、香草焼きの調理過程を思い浮かべた。フィリアの画像認識機能は時折奇妙な類型を検出してくる。
「早朝までだ。早朝には必ずこの箱を開ける。それまで待ってて」
「ええ、待ってる」
 短い会話の後、フィリアは箱を閉めて梱包をやり直した。続いて、隣の積荷の蓋を持ち上げる。こちらは衣類だった。先ほどと同じように、数枚の衣服をつかみ出して自分を収める空間を空ける。さっき取り出した薬草と一緒に外に放り出そうとしたところで、ふと別のことを思いついた。取り出したうちの一枚、小さなものを箱に戻して他の衣類と取り替える。それから取り出した薬草と衣類を両腕一杯に抱えた。彼らには悪いが、致し方あるまい。垂れ下がる幌を蹴り上げて荷台の外に飛び出し、力一杯道の脇に広がる森の中へと投げ込む。放り投げられた積荷は風を孕んで広がったが、何とか森の脇に落ちた。通りすがりの人間が見たら奇妙に思うかもしれないが、振り返られてもすぐに見つかることはないだろう。
 一仕事終えて自分も箱に戻ろうとしたところで、幌の向こうで人が動いた気配がした。「俺には聞こえなかったけどな」という声と共に、足音がこちらに近づいてくる。咄嗟にフィリアは勢いをつけて荷台から飛び降りた。身をかがめて駆け、荷馬車の下に潜り込む。
 車輪の高さの半分だけ、地面と荷台の間には空間がある。そこに身を隠そうとしたのだ。何とか腕の力で荷台の裏側にへばりつき、身を支える。自分のすぐ上を足音が通り過ぎるのがわかった。そのままエリスを収めた積荷の横も通りすぎる。自分の上を一人の人間の重みが行ったり来たりするたび、わずかに荷台が軋んだ。フィリアは虫のように荷台に貼り付きながらそれに耳をすませた。エリスは気づいているだろうか。やがて、質量は動きを止めた。木箱の蓋が開く音がした。
「うわっ、やられたなあ。衣服が数着とられてます」
「あの子らが持ってったんだろ。ちゃっかりした連中だよ。他に動物なんぞは潜り込んでないな? 食料のほうはやられてないか」
 再び木箱が開かれる音がした。
「はい。大丈夫そうです」
「そうか。ならいいんだ」
「兄貴は神経質だからなあ」
 今自分の上にいるのがハンスで、御者台で手綱を握っているのがオスカーか。フィリアはハンスが御者台に戻るのを待った。人形に体力が尽きる心配はないが、あまり長居したい空間ではない。
 足音は御者台に向かおうとしたが、途中で思い直したように後ろへと向かい始めた。フィリアは馬車に戻ろうとしていた動きを止めた。すぐに幌をまくりあげる音がする。思考回路が警告を鳴らした。
 一度自分は馬車から降りてまた飛び乗った。だから、少しだけ足跡がついたはずだ。あれから何度か折れ曲がったような気もするが、彼はその跡に気づくだろうか。
 数秒間の間、誰も音をたてなかった。蹄の音がやけに大きく聞こえた。
「ハンス? どうした」
「ああ、いえ、何も。ちょっと前に上の方で何か動いた気配があったなと思ったんですよ」
 危ないところだった。幌の上に身を隠すことも選択肢の中には入っていたからだ。
「そうか。お前も大概神経質だな」
「はは、気があいますね」
 フィリアの上で商人たちはくつくつと笑いあった。やがてハンスが兄貴分の隣に腰を下ろしたが、フィリアはしばらく動かなかった。隙間から垣間見える、地を叩きつづける馬の脚。それが刻んだ蹄の跡と、音をたてて回りつづける車輪。フィリアの隣に貼り付いた先客の白い蛾。それらを見つめながら、念のためにしばらく動かずに待つ。
 フィリアが手を離して地面に落ちたのは、右側にいる馬の左後脚が六十個目の跡を刻んだのを見届けた後だった。身を伏せたフィリアの上を馬車が通りすぎる。直後にフィリアは再び荷台の上に飛び乗った。衣類の箱を開き、身を潜り込ませる。それから空いた蓋ごと結ぶようにして紐をゆるく結んだ。隙間を開けて蓋を閉め、結び目を硬く縛って場所をずらす。それから緩んだ部分を巻き込むようにして蓋を閉じた。これから暗くなる一方だ。夜が明けるまでは誤魔化しきれると信じたい。
 蓋を閉じれば、視界は完全に闇に閉ざされた。フィリアは人間を真似てひとつ大きめの呼吸をした。ひとまず、最も危険な段階は乗り越えたわけだ。フィリアは黙って夜の訪れを、そして夜が終わるのを待つことにした。

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登場人物紹介

自律思考型自動人形JnC-sPEV1


人の似姿。短い黒髪に青い目をした凛々しい少女……を模して造られた人形。

設計思想が「とにかく人間に近づく」であるため身体能力も少女程度。

思考プロセスは極めて人間に近く、疑似的なものとはいえ感情すら有している。

エリス


廃教会に住まう、白い髪に赤い目をした少女。

外の世界を全くといっていいほど知らない。それ故に無邪気で天真爛漫。

バーソロミュー


エリスの父親。二人で廃教会に暮らしている。本人曰く「異端者」。

医術の心得があり、それで生計を立てている(と娘には説明している)。

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