第八話「望郷」

文字数 3,890文字

 それは深い青色だった。そして、ぎりぎり検知出来る程度の小さな光がその中に映っていた。どいつだったか、古顔の人形がこいつは夜の星を模しているのだと教えてくれた。確かに、上着の裾にも星型の刺繍がしてあった。あの奇妙な形を人間は星と認識するらしい、と知ったのは塔を出た後のことだったから、その時は奇妙な模様がたくさんあるとしか思わなかったが。
 曰く、他の時間帯を模したものもかつてはあったらしいが、それらは壊れたか何かして取り去られたのだという。確かに、どことなく古臭い造形ではあったし、いくつかの傷もあった。客観的に見ても、フィリアたち新型の自律型人形のほうがよほど精巧に作られていると思う。
 それでも、あのような目をした人形はどこにもいなかった。当然だが、人間でも見たことはない。
 思うに、何も映していないという事が重要なのではないだろうか。そういう意味では、今のエリスはあの少年に近いかもしれない。でも、それでは駄目だ。フィリアはこちらをまっすぐ見ているエリスの目が好きだし、それにくるくるとその瞳に浮かぶ感情の色合いが変わるのを見るのも好きだからだ。それを知ってしまった。
 空も同じだ。最初、フィリアはあの色と同じものがより広い面積で見られるということに興味を引かれ、窓から星空を見上げたのだ。最初は代替だったのだ。しかし、刻一刻とその色合いが、星の配置が変わっていく事に気づいた。月や雲に至ってはその形まで違っていて、同じ空が見えることは殆どなかった。それに気づいた後はずっと塔の窓を見るようになって、大時計の人形のことは忘れてしまった。
 それで満足していた筈だった。仕組まれた命令文通りに動き、時折与えられた自由時間に空を眺める。それで、暇になった思考回路で、時折考える。この外から見た空はどのようになっているのだろう、と。空が青から黒へと色を変える前、西のほうの空が赤くなっていることにはずっと気づいていたが、あれを正面から見たらどうなっているのだろう、と。それで、大した答えが出ることもなく、また命令文どおりに動き続ける。それで充分のはずだった。
 でも、もう知ってしまった。夜明け前の東の空がどんな色をしているか。夕暮れの雲がどんな風に輝くか。そして、星空を見あげたときに隣に人間がいる、という状況を知ってしまった。だから、一人で塔に戻ることは出来ない。現状を受け入れることも出来ない。
 フィリアは一つの歌を歌い終え、少し機関を休ませた。再び目の前の空を見る。月はそろそろ沈みそうだ。今の夜空はあのからくり時計の目に似た色をしていると思った。だから思い出したのだろうか。それとも、故郷のことを考えていたからそう思ったのだろうか。どうにも、故郷のことを思い出すことが増えた。一人になって、この状況がかつて流浪していた時に近似できるようになったからだろうか。それとも、エリスがあまりにも人形じみた状態になってしまったからだろうか。
 単に、寂しいだけかもしれない。一人ではない状態に慣れすぎてしまったというだけなのかもしれない。
 今となっては語りかけても返事をしてくれる人はいない。
 でも、耳を傾けてくれる人はいる。大きな違いだ。
 そして、エリスのほうがよほど孤独なのだ。
 孤独な人の模造物が二つ。その孤独が重なるか、重ならないか、という話。
 フィリアは再び歌い始めた。それは彼女のためでもあったし、自分のためでもあった。
 自分は故郷の時計人形とは違うのだ。
 でも、どうせなら"彼"の演奏も聞いておけばよかったな、とは思う。そうすればエリスに聞かせることができた。それに、違う理由で違う人形が同じ歌を演ったとき、何か違うものが生まれるか知ることもできたろう。
 誰かが問いを投げていた。あれは詩人だったか、それとも哲学者気取りだったか。フィリアが人形として窓辺に飾られていたころ、十字路に立った男が問いかけていた。
 奏者と楽器、音楽はどちらに宿るのだろうか。
 フィリアはどちらに分類されるのだろうか。あのからくり人形はどちらに分類されるのだろうか。
 フィリアは再び別の、昨晩聞いた曲を歌い始める。本当は、故郷の歌を歌いたかった。エリスに聞かせたかったし、自分で聞き返してみたかった。でも、その歌を彼女は知らない。だから、オスカーが歌っていた歌を歌っている。歌いながら考えている。
 彼は何のために、誰のために子守唄を歌っていたのだろうか。彼の歌と自分の歌では何が違うだろう。
 
 ふと、未来のことを考えた。錬金術師のところにたどり着いた後の話だ。たどり着いて、彼女が十六になったとして。彼女に本当のことを教えたとして。血液と骨の問題が解決されるか受容されるかしたとしたら。
 彼女はその後も一緒にいてくれるだろうか。もし、一緒に旅をしよう、と言ったら彼女は頷いてくれるだろうか。自分の故郷に向かうことに同意してくれるだろうか。エリスは人形の塔を見たら、フィリアの生まれた場所を見たら何と言うだろうか。
 あの塔には人間がいないから、血液はない。それに少々退屈だ。でも、人間ではないと言う理由で自分たちを排斥することはないし、物品として取り扱うこともないはずだ。体温がないということに違和感を覚える事もしなくていい。拠点にするには悪くない場所なのではないだろうか。
 そういえば、と思い出す。自分がどこでどのようにして生まれたのか、どうして出てきたのかについてはエリスに語ったことがなかった。自分の素性、人間とは異なる存在だという事についてはあまり教えたくなかったからだ。それに、塔を追い出された理由については自分でもあまり考えたくない、思い出したくない事だったからでもある。しかし、今はそれを語りたいと思った。そして、エリスに聞いて欲しかった。
「エリス。今まで、ずっと黙っていて、有耶無耶にしていたことがあるんだ」
 フィリアはそう切り出した。胸の小さな歯車が一回転するのを待って、フィリアは衣類の前を外して機体の胴部を露出させた。目立たないように細工された継ぎ目をなぞり、留め具を一つ内側に押し込む。機体の外装が開かれ、内部機関が露になった。時折掃除(メンテナンス)する以外の目的で開いたことのない場所だ。もちろん、人間に見せたことは一度もなかった。
 外装の裏側に仕込まれた消音機構から開放され、内側で歯車をはじめとするさまざまな器官が立てる機械音が漏れ出る。人間の鼓動や呼吸音に相当する音だ。
「このカチコチって音、聞こえるかな。これが私の内側なんだ。私の正体といってもいい」
 樹上で隣に座らせているエリスを抱き寄せて、内部機関の近くに彼女の耳を持ってくる。彼女には聞こえているだろうか。人からするはずのない音だと彼女はわかるだろうか。
「これが私の心臓の音なんだ。バーソロミューや、君とは違う形の心臓。違う音でしょう」
 彼女は答えない。歯車の音だけが夜空に溶ける。
「君の部屋にあった時計、覚えてる? あの音が一番似ていると思う。わたし、本当はあの時計みたいなものなんだ。形は人間に近いけど、ただの鉄の機械。時計よりは複雑だけど、作りは一緒」
 エリスの部屋にあった時計を思い出す。一時間ごとに小さな少女の人形が窓から出てきて一回転するものだ。あの少女も一緒に燃えてしまったのだろうか、それともまだ主のいない空虚な部屋で踊っているのだろうか。あまり他のことを言えた身分でもないが、どうせなら灰になっていればいいと思う。主を喪ったまま動く被造物は哀しい。
「私はただ、人間を真似て動いている。そう創られたから。今は自分がしたいように動くようになっているから、少しは人に近づいたかもしれないけれど、本質は人間の模造品なんだ」
 エリスはなにも答えない。
「黙っててごめんね。私は生命を持たない機械。だから、親も持っていない。どう造られたのかは知っていても、誰に造られたのかは知らない」
 沈黙。
「私が生まれたのは人形たちの塔。私の内側みたいな、歯車の音がそこかしこに響く静かな場所。笑い声も騒音もぜんぜん無い空間だった」
 沈黙。梟が鳴いている。あの塔よりは偶発的な音がある。
「私が生まれたのは地下の階層。長らくその外を見た事が無かった。基本学習(セットアップ)が終わって上層に送られるまで、その上にもまだ世界があるなんて想像すらしなかったんだよ」
 フィリアは塔の話をした。決められた通路を行き交う人形たちの話。そこで過ごした日常。時計の傍らの人形と、四角く切り取られた空。全ての物事が“父”の御心のままに回る楽園。そして、そこからの追放劇。
「ある時ね、カビ退治をしていたら伝達係がやってきたんだ。眩しかったな。それで、『あなたはこの塔を出て、外で自らの名を名付けなさい』って言ったんだ。『あなたは人の似姿となり、人間の友、喜びをもたらす者と呼ばれるようになる』って」
 フィリアは静かに語った。当時はそんな事に起こりうるなんて思っても見なかった。しかし、彼女は自らの名を(フィリア)と名づけた。最初の指令は叶ったのだ。
「これが、私が君のところにきた理由なんだよ。ずっと黙っていたけど。ねえエリス。私もさ、人として他の人と一緒に街に行ったことはないんだよ。君と一緒なんだ」
 フィリアは自らの機構を閉じ、服を着なおした。歯車の音は消音材の向こうに消え、外観は人に近づく。夜は明けようとしていた。
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登場人物紹介

自律思考型自動人形JnC-sPEV1


人の似姿。短い黒髪に青い目をした凛々しい少女……を模して造られた人形。

設計思想が「とにかく人間に近づく」であるため身体能力も少女程度。

思考プロセスは極めて人間に近く、疑似的なものとはいえ感情すら有している。

エリス


廃教会に住まう、白い髪に赤い目をした少女。

外の世界を全くといっていいほど知らない。それ故に無邪気で天真爛漫。

バーソロミュー


エリスの父親。二人で廃教会に暮らしている。本人曰く「異端者」。

医術の心得があり、それで生計を立てている(と娘には説明している)。

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