第四話「孤独」

文字数 3,936文字

 バーソロミュー・アンドラスタという一人の男がいた。
 優しい父親だった。
 罪深い錬金術師でもあった。
 自らの業を深く怖れる人間であり、それでも娘のために罪を重ねると言い切った人間でもあった。
 フィリアにとっては初めての友人でもあった。彼女の正体を知ってなお受け入れてくれた、言葉を交わしてくれた最初の人間だった。
 全て、過去形の情報だ。現在形の情報が増えることはない。彼はいなくなってしまったから。彼は殺されてしまったから。
 あの教会の跡地に、彼だったものは今なお存在しているのだろうか。それとも灰になって風にほどかれてしまっただろうか。フィリアに知る術はない。彼をおいて逃げ出したから。だから、過去の情報以外にフィリアが持っているものはない。ただ、彼はもういないのだという空白だけがフィリアの持つすべてだ。
 結局彼自身には何も返す事が出来なかったな、と思う。自分たちがどれほど守られていたことか。自分に出来るのは、どうにか彼の望み通りエリスをアーグルトンの錬金術師のところに連れて行くことだけ。だが、約束を果たしたところで彼にはもう届かないのだ。
 思考の整理を終えた今、思考回路にはその事実だけが横たわっていた。これまでは現状をどう切り抜けるか考えていればよかったが、これからは違う。雑然と散らかった思考の断片によって見えにくくなっていたが、もう誤魔化せない。歩き続けていた間はどうにか逃げられていたが、足を止めた瞬間空虚に追いつかれてしまった、そんな状態だった。
 エリスも似た状態なのだろう。彼女はまだ目を開けることなく、膝を抱えて丸まっていた。フィリアが隣に座ると一瞬目を上げたが、すぐに閉じてしまった。二人とも、ある意味一人ぼっちだった。
 人と関われ、という命に従って彷徨ってきた。そして廃教会で暮らすうちにその糸口を掴んだように思う。どう動けば人間らしく見えるか、というデータは確実にフィリアの中に蓄積され、実行できるようになっている。今なら、ある程度人に似た挙動が出来る。エリス以外の人とも会話することは出来るようになったし、ある程度親しくなることだって出来るかもしれない。
 だからこそ、喪失という概念を持つようになってしまった。共に歩む時間が生まれたからこそ、置き去りにされる未来が生まれるようになったのだ。
 人間は同じ状態に留まり続けることがない。彼らは老いるし、いずれ死ぬ。
 人形は死なない。行動様式を自発的に変化させることは出来るが、勝手に成長することも老いることもない。
 人造人間(ホムンクルス)はどうなのだろうか。エリスは成長して、人のように老いて死を迎えるのだろうか。
 バーソロミューはエリスの成長を望んでいたと思う。しかし、その先にあるものまで望んでいたかどうか、フィリアは知らない。もしそうだったとして、フィリアは同じ願いを持つことが出来るだろうか。エリスがフィリアの背を追い越して、「友達」から別の何かになりゆく事を望めるだろうか。
 答えは簡単だった。やろうと思えば、自分はいかなる願望だって持つことが出来る。
 自らの価値基準を書き換えてしまえば済む話だ。行動指標(プログラム)を上書き保存して再起動すれば、目覚めたフィリアはエリスが老いて死ぬことを当然のように願い、そのように振舞うだろう。一晩はかかるかもしれないが、それだけの話だ。
 自動人形にとっては容易い転換だ。そして、人間にとっては果たしがたい転身だろう。
 だから、フィリアはそのことについて考えるのを後回しにした。アーグルトンに着いてからでも遅くはないはずだ。ホムンクルスは年を経るとどうなるのか、錬金術師に聞いてから考えよう。今は考えなくてもいいことだ。
 フィリアは再びバーソロミューの欠落について考えた。二人の機構の中で、歯車が一つ欠けたような状態だ。その空白を何かで埋めなければならないと思った。一体何が、二人に空いた穴を埋められるだろうか。何が代替になるというのだろう。
 フィリアはずっと考えていた。思考回路が凪いでも、彼らから昼食を分けてもらっても、答えは見つからなかった。

 独りの少女の形をしたものたちは膝を抱えて座っていた。その間にも、馬車は軽快に進み続ける。どれほど揺られていただろうか。ふと、それが止まった。慣性に従って荷台の二人は傾いたが、すぐに元に戻る。エリスが物問いたげにこちらを見たが、フィリアも答えを持ち合わせていない。二人で目を見合わせて首を傾げるばかりだ。
「何かあったのかあの人たちに聞いてみる?」
 エリスの発言ももっともだ。フィリアは立ち上がって御者台のあるほうへ近づく。幌をめくって様子を伺おうとした時、話し声が聞こえた。話相手は行き会った商人仲間らしい。
「静かに。誰かと話してる」
 小声でエリスに伝える。彼女もこちらにやって来たので、二人揃って耳をすませた。 
 会話の中で、「こっちは相変わらずの二人旅だよ」と彼らが言うのが聞こえた。フィリアたちの事は秘密にしておくつもりのようだ。彼らの関心は最近起こった「政変」と、そこから商売にどう影響が出るか、という事にあるらしかった。
 政治経済の話自治はフィリアにとって興味が湧く話でもなかったが、会話にはフィリアにとっても有意義な情報が含まれていた。例えば、彼らの名前だ。兄貴分のほうはオスカー、弟分のほうはハンスというらしい。そういえば彼らはフィリア達には名乗らなかったなと思い出す。こちらは名乗らされた覚えがあるが。まあ、こちらも半分くらい偽名だからお互い様と言えばお互い様だ。
「そういえば、エルミーニさんはアーグルトンで商売したことがあったんでしたっけ?」
 政治情勢に関する情報をひとしきり交換した後、兄貴分改めオスカーは思い出したように聞いた。隣のエリスの体がさっと緊張したのが見て取れた。
「ええ、二回ほど、ハーブの取引をしましたね。魚が美味くて景色の綺麗な街ですよ。貴方がたもそちらへ?」
「うーん、まだ考え中なんですが。テオーフィルスっていう人をご存知だったりしますか?」
「ええ、名前は何度か。偏屈なことで有名みたいですが……どこでその名を?」
 エルミーニ氏の声には不審さが浮かんでいた。雲行きが怪しくなった事にオスカーも気づいたらしい。
「いや、荷物を届けてくれないかと依頼されたもので。途中まででも構わないと言われたんで、オートンまでは届けると言ったのですが、どうしたものかと」
 自分たちは荷物か。まあ、間違ってはいない。
「うーん……それは途中で引き上げたほうがいいかもしれませんね。ああいう類の奇人変人への風当たりも強くなっていますし。ほら、この前も異端が火刑になったでしょう? 何だっけ、錬金術師だったか」
 エルミーニ氏は世間話をするのと同じトーンで言ってのけた。幌の向こうで弟分改めハンスが間延びした声で「物騒な世の中になったもんだなあ」と相槌を打った。対照的に薄い幌一枚を隔てたこちら側では重い沈黙が空間を支配している。フィリアは布の隙間から細く漏れる暖かな陽光から目を逸らした。薄暗い視界の中でエリスが唇を噛み締めている。手を伸ばせば、白く冷たい手がその上に重ねられた。
「じゃあ、行ってオートンまでですかねえ。いやあ、ありがとうございます」
「いえいえ。こちらこそ情報をありがとうございました。また会う日を楽しみにしていますよ」
「ええ、また会う日まで。神のご加護があらんことを」
 荷台の少女たちの沈黙をよそに、商人たちは和やかな会話を切り上げることにしたらしい。穏やかに挨拶をかわし、蹄の音が楽しげに響き始める。ガタゴトと規則正しく揺れながら馬車は再び進み始めた。しばらく進んでから、オスカーがぽつりと「何でまた、そんな偏屈者のところを頼って行くんだろうな、あの子らは」と呟いた。
「家族には優しいとか、そんなんじゃないっすかね。複雑なご家庭みたいだし」
「お前はどう思った。あいつらと話したんだろ」
 ハンスはしばらくの沈黙の後、「まあ、普通の孤児じゃないですよね」と断言した。
「そんな事は見ればわかる。お前なら何か気づくこともあっただろ」
「やだなあ。買いかぶりすぎですよ。……どっちかというと黒い方が気になりましたね。フィリアちゃん」
 照れたように笑ってから、急に声が真剣になる。オスカーの方は大して態度を変えない。「そうか」とそっけなく相槌を打って後を促しているだけだ。
「わりとこっちを警戒しているみたいな所もありましたし。本当に子供かなあ」
「そうじゃなければ何なんだ」
「さあ? でもあの子が本気で何かを隠そうとしたら、きっと態度からは見破れませんよ」
 思ったより向こうに読まれているな、とフィリアは思った。確かにフィリアは表情一つ変えずに嘘をつくことが出来る。基本は無意識(オート)で模造筋肉を動かしているが、モードを変えれば完璧に表情を制御することが出来る。その自信はあったが、相手がそれを読んでいるとなれば効果は薄い。自分は弟分で判断は兄貴に任せているなどと言っていたが、どこまでが本気だったのか。
「そうか。物好きに高く売れそうだと思ったんだがな。特に、あの白いの」
「睫毛まで真っ白ってすごいですよね。でも訳アリっぽいしリスクは大きい」
「早めに適当に売っ払った方が安全かもしれないがな」
「どうなんでしょうね」
 しばらくの沈黙の後に、唐突に「警戒していると言ったな」と御者台のオスカーが呟いた。ハンスが何かを答えるよりも前に、オスカーは背後の幌をめくった。
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登場人物紹介

自律思考型自動人形JnC-sPEV1


人の似姿。短い黒髪に青い目をした凛々しい少女……を模して造られた人形。

設計思想が「とにかく人間に近づく」であるため身体能力も少女程度。

思考プロセスは極めて人間に近く、疑似的なものとはいえ感情すら有している。

エリス


廃教会に住まう、白い髪に赤い目をした少女。

外の世界を全くといっていいほど知らない。それ故に無邪気で天真爛漫。

バーソロミュー


エリスの父親。二人で廃教会に暮らしている。本人曰く「異端者」。

医術の心得があり、それで生計を立てている(と娘には説明している)。

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