第三話「協力」

文字数 3,894文字

 揺れる炎が歌う男の横顔を照らしていた。長旅のせいだろうか、口元には無精髭が目立ち、炎を見つめる目は疲労を湛えている。それでもぼんやりとしていた訳ではないらしい。フィリアが一歩踏み出せば、すぐに男は歌を止めて足音がした方向に鋭い視線を投げた。沈黙のなかで、焚き火が爆ぜる音だけが響く。
 フィリアたちは炎の前に進み出た。男の目には二つの人影が映る。前に立つフィリアと、その影に隠れるようにしたエリスだ。暗いから詳細は見えていないだろう。単なる子供に見えている事を願った。
「何者だ?」
「私たち、親をなくしたみなしごです。アーグルトンの親戚を頼ろうとしたのですが、はぐれてしまって」
 打ち合わせどおりに答える。男は表情を変えることなく「名前は」と聞いた。すぐに逃げ出したり攻撃に転じる様子はない。
「フィリア・テオーフィルス。そして、こちらが」
 促され、エリスもフィリアの影から姿を現す。
「エリス・テオーフィルスです。はじめまして」
 テオーフィルスというのは、アーグルトンにいるという錬金術師の苗字だ。その方が親戚として説得力が増す。それに、火刑に処されたアンドラスタの名前は危険でもあった。
「テオフィルスね。まあ、座って火にあたったらどうだ。寒いだろ」
 テオーフィルスの名前に聞き覚えがあったか、それとも出てきたエリスだろうか。男はこちらに興味を持ったらしい。示された好意に二人は素直に甘えることにした。二人が炎の傍らに腰を下ろすと、男は再び口を開いた。先程よりも声色が柔らかい。
「アーグルトンは遠い。子供の足で辿り着くのは不可能だ」
「本当は別の街で連絡をとるはずだったんです」
「なるほど、行って見れば情勢は変わり門は硬く閉ざされていた、と。無理もないわな」
 初耳だったが、話を合わせて頷いておく。男は違和感を覚えた様子もなく続けた。
「俺たちはアーグルトンには行かないが、途中までの方向は同じだ。乗っていくか?」
「……乗っていくって?」
「積荷のスペースでよければ空きがある。まあ、俺一人の一存で決める訳にはいかないから朝まで待ってもらうことになるが。多分、大丈夫だと思う」
 エリスは乗り気になったようにも見えたが、考えなしに乗るわけにもいかない。向こうのメリットが見えないのだ。
「でも、私達は何もあなたに返すことができない」
「子供から取り立てやしねえよ。まあ、少しは手伝いを頼むかもしれんが。君たちはただアーグルトンのテオーフィルスさんに言ってくれたらいいんだ、親切な旅商人のおじさんたちに助けてもらったって」
 それだけには聞こえなかったが、筋は通っている。
「それに、あんたも妹さんも大変だろ。ここからも長いんだ、可哀想だよ」
 それを言われると弱かった。フィリアはしばらく考えたのち、「よろしくお願いします」と頭を下げた。彼は鷹揚に微笑んで、「じゃあ今日はもう眠るといい」と毛布を貸してくれた。フィリアは、そしておそらくエリスも睡眠を必要としていない身だが、男の手前眠らない訳にも行かない。
 二人は毛布に体を埋めて目を閉じた。耳をすませていたが、男はさして怪しい動きをすることもなく、静かに子守唄を再開していた。懐かしい響きだと思った。エリスもきっとそう思ったのだろう。呼吸が深くなったのがわかった。
 数時間経ったころ、男が立ち上がる音がした。夜明けにはまだ随分遠い時間だ。薄目を開けると、男は立ち上がったところだった。こちらが目を開けた事に気づいたらしく、申し訳なさそうに眉を下げた。
「起こして悪い。交代の時間なんだ」
 男は小声で告げるとテントの中に入っていった。テントの中で会話しているようだったが、内容はまるで聞き取れなかった。聞き耳を立てにいくのは憚られたので、フィリアはそこで様子を眺めていた。
 しばらくするとテントから別の男が姿を現した。こちらが眠っていると思ったのだろう、不躾なまでにじろじろとこちらを観察している。その視線はエリスのほうにより長く留められているようだった。彼女も気づいたのかぱちりと目を開ける。赤い視線が男を捕らえた。お互いが短く息を呑む音が聞こえた。
「火の番を交替したんだってさ」
 こちらを見たエリスに答える。エリスは再び男に視線を戻した。
「ああ、連れから話は聞いたよ。心配はしなくていい。よろしく」
 彼は炎の横に腰を下ろしながら言った。軽薄そうな声だなと思った。黙り込んだ二人をよそに、男は続ける。
「別に寝ててくれてもいいんだけど……そんな感じでもなさそうだね。アーグルトンに行きたいんだって?」
「ええ。さっきの人は朝になってからあなたとどうするか話し合うって言ってたけれど……」
「そう言ってたのか。兄貴が決めたことなら僕は異論はないんだけど」
「兄貴?」
 フィリアは横から口を挟んだ。髪の色、顔立ち、どれをとっても先程の男とは似ていない。それに、年齢だって目の前の男の方が年上に見えた。どういう関係なのだろう。
「いや、別に血は繋がってないよ。兄貴分ってやつ」
「私たちみたいなものかしら」
 エリスの感想に、男は身を乗り出した。
「ああ、そっちもやっぱり血は繋がってないのか。どっちが姉貴分なんだい?」
「わたし。フィリアが妹」
 男は意外そうにフィリアを見た。フィリアは肩をすくめて「ご想像にお任せする」と言った。男はにやりと笑った。
「なるほど、そっちの子がフィリアちゃん。で、お嬢さんは?」
「エリス」
「そっか。綺麗な髪だね。生まれつき?」
「どうも。ええ、生まれつきよ」
「へぇ・・・・・・」
 男は再びエリスのほうをじっと見た。なんとなく気に食わなかったので、フィリアはわざと欠伸交じりに「伝染る病気とかじゃない」とだけ言った。人間が眠い時に出す声を真似たのが功を奏したのだろう、男は「そうか、おやすみ」と言って、それきり何も言わなかった。

「話し合った結果、少なくとも手前のオートンまでは送っていける事になった。商談の行く末によってはアーグルトンまで行くかもしれん。うまくいくことを祈ってくれ」
 朝になると、兄貴分と呼ばれた男は重々しく二人に告げた。横で弟分が腕組みをしてもっともらしく頷いている。結論はとっくに決まっていただろうに、まるで判決文でも読み上げるかのような勿体のつけ方だった。
「ありがとう。あなたの親切に感謝します」
 二人は揃って深々と頭を下げた。彼らはそれで満足したので、握手をする必要はなかった。
「じゃあ、何か困ったことがあったら呼んでくれ」
 商人たちはテントを手早く片付けるとそう言った。少女たちは頷いて幌馬車の荷台に乗り込んだ。それを確認すると、商人たちは御者台に並んで座る。幌馬車の荷台に載るのは初めてではないが、商品として縛られもしなければ箱詰めもされていない状態で乗るのは初めてだったから新鮮だった。まるで人間みたいだ。
 そんな事を考えていると、やがて「出発」という声が聞こえ、幌馬車がガタゴトと動き出した。エリスが不思議そうに揺れる幌の天幕を見上げていた。
「今、前に進んでるの?」
「そう。馬に引かれてね」
 エリスは不思議そうに後ろに流れてゆく景色を幌の隙間から覗いていた。馬車が何かは知っていたが、実際の経験とはまた別だ。
「乗り物に乗るのははじめて?」
「ええ。ずっと座って待っていればいいのよね?」
「そうだよ」
「なんだか不思議な気分ね。ずっと歩いてきたから」
 エリスはそう呟くと、また流れ行く景色を眺め始めた。しかし、三分もしないうちに飽きてしまったのか、幌を戻すと膝を抱え込んで座り直し、黙って目を閉じてしまった。
 一人で思考を整理する時間が必要なのだろう。フィリアだってそうだ。ずっと暮らしてきた教会が灰に帰されて二日ほど、ずっと警戒しながら動き続けていた。一昨日の夜は「眠る」というよりはただ「獣に怯えて夜明けを待ち続ける」と言ったほうが近い有様だったし、昨夜も見知らぬ人間が目の前にいた。今も同行者はいるが、ひとまず幌を隔てている。そして、安全を確保するために身を寄せ合う必要もない。フィリアがいるとはいえ、ようやく一人になれるのだ。
 人間ほど睡眠を必要とする身体ではないとはいえ、精神構造を持つ以上、メンテナンスは必要だ。あれほどの衝撃を受けた後なら、特に。どうして気づけなかったのだろう。自分もまた、疲弊していたのかもしれない。その事に気づけなくなる程には。
 フィリアはエリスにならって目を閉じた。自分にもまた一人の静寂が必要だった。
 人間と違って一日に一回必要という訳ではないが、自動人形にも睡眠に似た機能はある。人間の真似をして動けない夜をやり過ごす、というだけではない。外部からの情報入力を減らして空き容量を増やし、メモリを最適化するのだ。その際に記憶と思考の整理と再定着も行う。必要な時に必要な情報を取り出せるようにするのだ。
 フィリアはそれを意識的に行った。聴覚を働かせながら、自覚的に再整理を行ったのだ。再整理の過程で様々な映像記憶が想起され、記録として保存されていく。さまざまな断片が統合と消去と繰り返す。バーソロミューの事をふと思い出した。いくつもの記憶が過去へと送られていく。これから彼の情報が増えることはない。一つ、回路に空白が生じた。
 思考と呼ぶには短すぎる一瞬の断片を、人は感情と呼ぶのだろうか。だとすれば、今、自分は寂しいのかもしれない。そんなことを思った。
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登場人物紹介

自律思考型自動人形JnC-sPEV1


人の似姿。短い黒髪に青い目をした凛々しい少女……を模して造られた人形。

設計思想が「とにかく人間に近づく」であるため身体能力も少女程度。

思考プロセスは極めて人間に近く、疑似的なものとはいえ感情すら有している。

エリス


廃教会に住まう、白い髪に赤い目をした少女。

外の世界を全くといっていいほど知らない。それ故に無邪気で天真爛漫。

バーソロミュー


エリスの父親。二人で廃教会に暮らしている。本人曰く「異端者」。

医術の心得があり、それで生計を立てている(と娘には説明している)。

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