第三話「友達」

文字数 3,719文字

 あてがわれた部屋の整理を済ませ(といっても軽く掃き掃除をした程度だが)、バーソロミューは人形を伴って最奥の扉を叩いた。開かれた扉を後ろから覗き込めば、エリスはぬいぐるみを腕に抱えて座っているところだった。父親の後ろに立っている人形を見て、彼女は目を丸くする。
「お父様? お父様のお友達がどうして、ここに」
「私の友達ではない」
 エリスは困惑したように人形と父親を見比べた。テディベアを抱く手に力が篭る。
「我々の友達だ。今日からお前の隣の部屋で暮らすことになる」
 エリスは父親の顔をまじまじと見つめ、それから自分に目を移した。こちらが一つ頷いて見せると、ゆっくりとその表情を明るくしてゆく。
「お友達……わたしの、おともだち! わたし、ずっとお友達とお話してみたかった! ずっと憧れてたけど、どんなものか知らなかったの! よろしくね、わたしのお友達! よろしく、わたしのお人形さん!」
 その言葉にバーソロミューはわずかに眉間に皺を寄せた。
「お人形さんって、おい。そういう時は名前を呼ぶもの……しまった、名前は?」
 名前か。自らを名づけよというのが『父』の命令だった。彼女は少し考え込み、やがて答えを出した。
「フィリアとでも呼んでくれ。私は君たちの友であるよう望まれたのだから。こちらこそよろしく、エリス」
「ええ、フィリア!」
 教わった通りに右手を差し出せば、ぶんぶんと手を握って上下に振られる。握手を終えた所で二人の少女はほぼ同時にバーソロミューの顔を見上げ、聞いた。
「「で、この後どうすればいいの?」」
「……とりあえず、夕飯にしようか」
 人形に食事を摂るという機能はない。そう告げると、座っているだけでもいいとの事だった。ありがたく水だけもらうことにする。
 地下一階の小さな食卓と台所に、エリスと追加の椅子を運ぶ。そうするうちに食事の準備が終わったらしい。バーソロミューは食前の祈りを唱え、「これは私の血である」と赤い液体をエリスに渡した。彼女はそれを渋い顔で飲み干す。
 これも何らかの儀式なのだろうか。いくつかの家庭で食卓に飾られていたので、食前の儀式が微妙に異なる事は知っている。
 食事を終え、寝るにはまだ時間があるということでフィロスはエリスの部屋を見せてもらう事になった。他の部屋よりはだいぶ装飾品(サプリメント)が多い。オブジェクトが多いな、と述べるとあなたの部屋もこれから飾っていこうねと答えられた。
 しばらく話をしてからおやすみと告げて自身の部屋に戻ってみれば、今あるのはベッドと小机、それに小さなランプと聖書くらいだ。この部屋は今後変わっていくのだろうか。彼女はベッドに身を横たえて目を閉じた。そういえば、寝台で眠るのはこれが始めてだ。
 さて、そうやって一緒に暮らし始めて数日経った頃、「あなたの服は擦り切れすぎている」とエリスが言い出した。そうだろうか、と自身の服を見下ろしてみる。今着ているのは着せ替え人形として扱われていた頃に着せられていた服だ。確かに林の中を突っ切って歩いたりしていたせいか、裾がほつれたりしている。
「こんなものだと思うけど」
「いいえ、それじゃああんまりよ! 私の服を貸してあげるから、それを着ていた方がいいわ!」
 こういう時に遠慮してもエリスが譲らないのはこの数日でわかっていたので、フィリアは大人しく着せ替え人形に甘んじることにした。
「それじゃ、お手柔らかに頼むよ」
「そう来なくっちゃ! このあたりの服ならきっとあなたのサイズにも合うと思うの!」
 そう言えばエリスは上機嫌に洋服箪笥を開け、いくつかの服を引っ張り出して来る。確かに大きさとしては不可分なく見えるものもあった。
「君には大きいように見えるけど」
「ええ、お父様がもっと大きくなるだろうって!」
 そういえば人間は成長してサイズが変わるのだった。いくらなんでもその辺りは真似できない。そう思考しているうちに彼女は候補を選び終えたらしい。
「じゃあ、鏡の前に立って頂戴」
「はいはい」
 鏡の前に立ってみれば、仏頂面の少女人形がこちらを見返す。
「ご希望はある?」
「出来れば関節が隠れるものがいいな」
「じゃあこれとこれは除外ね。先にこっちから着てくれない?」
 何が楽しいのか人形にはさっぱりわからないが、エリスは鼻歌混じりに次々と試していく。紆余曲折を経たわりに、新しい衣装は蜂蜜色のチュニックにストライプのズボンという比較的シンプルなものへと落ち着いた。エリスは顎に手を当ててしげしげと完成品を眺め、「もう一点足したいなあ」と呟いて何かを探し始める。
「ああ、とても素敵な事を思いついたわ!」
 数分経って顔を上げた彼女の手には何故か布ではなく鋏が握られていた。どうしたのかと思ってみていると、彼女は自身のブラウスの上から首を飾っていた濃紺のリボンをしゅるりと抜き取る。そうして、止める間もなくそれを真っ二つに切ってしまった。
「エリス? 一体何を……」
「手を出して!」
 勢いに押されるままに腕を出せば、彼女は人形の堅い手首に片方のリボンを巻き、蝶々結びにしてしまった。その後自分の左手にも同じことをしようとして苦戦していたので、見かねて見様見真似で結び付ける。端が断ち切られた蝶々結びを並べて彼女は「お揃いね」と心底楽しそうに笑った。
「よかったの? 首に巻けなくなったけど」
「ええ、これでいいの! これがいいのよ!」
 でも食事の時は外さなくっちゃいけないわね、と言って彼女は短くなったリボンのついた腕をくるくると回していた。
 翌朝、二人の手に巻きつけられたリボンを見たバーソロミューはすこしだけ眉を上げ、それから「似合うじゃないか」と言って笑った。二人の人間が嬉しそうにしているなら、きっとそれでよかったんだろう。
 バーソロミューはそれを見てしばらく微笑んでから「そうそう、明後日から往診に行ってくる」と言い出した。一応外部と接触していたらしい。エリスの方を見るとそう珍しい事でもないようで、驚いた様子もなく「いつお帰りになるの」と聞いている。
「また二日くらい家を空ける事になるだろうな」
「わかったわ」
「エリス、充分わかっているとは思うが」
「日が沈むまでと警告が鳴っている間は地上に出るな、でしょう?」
「素晴らしい。流石は僕の娘」
 バーソロミューがそれきり何かを言う気配もなく食事に戻ってしまったので、フィリアは得意げにしている隣の少女に声を潜めて問いかけた。
「私は何もわかってないんだけど。往診って?」
「お父様はお医者様なの。だから近くの村に時々お仕事に行くのよ」
 エリスも声を潜めて説明した。最近知ったがエリスはこうやってひそひそ話をするのが好きだ。「秘密って感じがして楽しい」のだそうだ。バーソロミューには丸聞こえだと思うのだが。
 続けて彼女が“こっそり”教えてくれた事によれば、この村の内側に人間が入ってくると探知される仕組みになっているらしい。それで、ランプが青色に輝いている時は絶対に外に出ず、自室に籠って静かにしていなければいけないのだと彼女は言った。
「この仕掛けは全部お父様が作ったの! 凄いでしょう?」
 学習事例によるある程度の会話シミュレート機能があるので、フィリアは「趣味なんだろうな」という台詞を辛うじて抑え込んだ。代わりに「医者なんだよね?」と問いかけるに留める。この前は異端の錬金術師とか何とか名乗っていたような気がするし、少なくとも彼女が見てきた医者は全員地上に住んでいた。バイアスを差し引いても、たいていの医者は教会の床下に秘密基地を築き上げたりはしない筈だ。
「ああフィリア、私は医者だ。そういう事になっている」
 目を上げれば彼は唇に人差し指を添えてそう言った。なるほど。追及せずに食事を終える。
 翌朝バーソロミューを見送ってから二人はエリスの部屋に戻り、顔を見合わせた。これまでは何だかんだでバーソロミューがエリスに読み書きを教えたりする時間があったから、こうもずっと二人だけの間をもつのはこれが初めてだ。
「どうする? またトランプでもやる?」
 フィリアはエリスの背中に向かって声をかけた。振り向くことなく「うーん」という返事が返って来る。何を見ているのだろうと視線を追えば、彼女は壁にかけられた絵画を眺めている様だった。港町の夜景を描いたものだ。確か「お父様のお友達のお土産」だったか。
 少し待っていると、エリスは振り向いて「それもいいけど、わたし、あなたの話が聞いてみたい」と答えた。
「森の向こうに何があるのか、あなたは知っているのでしょう? ほんとに森の向こうはこんな風になっているの? ほんとにこんな白い布が沢山あるの?」
「帆布のことか。ああ、そういう所もある。私が見た港は大体そんな感じだった」
「ミナト……そういうところなの? あなたはそのミナトから来たのね? ……ねえフィリア、じゃあ今日はその「みなと」の話を聞かせて頂戴な!」
 彼女は期待に瞳をきらきらと赤く輝かせた。
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登場人物紹介

自律思考型自動人形JnC-sPEV1


人の似姿。短い黒髪に青い目をした凛々しい少女……を模して造られた人形。

設計思想が「とにかく人間に近づく」であるため身体能力も少女程度。

思考プロセスは極めて人間に近く、疑似的なものとはいえ感情すら有している。

エリス


廃教会に住まう、白い髪に赤い目をした少女。

外の世界を全くといっていいほど知らない。それ故に無邪気で天真爛漫。

バーソロミュー


エリスの父親。二人で廃教会に暮らしている。本人曰く「異端者」。

医術の心得があり、それで生計を立てている(と娘には説明している)。

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