第七話「変貌」

文字数 4,024文字

 着替えを終え、二人は林道に戻った。周囲を見渡しても人影はない。耳をすませても、足音も話し声も車輪の音も検知されなかった。轍がくっきりと地面に刻まれているだけだ。想定通りの、悪くない状況である。二人は顔を見合わせ、歩き始めた。

 エリスの歩みが遅く、硬くなり始めたのは正午を過ぎた頃のことだった。流石に疲れたのかと何度か休憩を挟んだが、一向に改善する気配はない。それどころか、時間が経過すると共に彼女の動きはどんどんぎくしゃくとしていった。奇しくも、故郷の人形たちに似た動きだった。それも下級の大量生産型だ。
「ごめんなさい、こんな時にこんなことになって」
 フィリアに肩を借りて歩きながらエリスが呟いた。今や、自分自身でバランスを取って歩行することも難しくなっていた。声の抑揚も乏しく平坦になっている。明らかに、疲労や病気、空腹のせいで起きる現象ではない。
「いいよ、エリスのせいじゃないし、別に重くもないから。それより、一体何がどうなってるか心当たりはある?」
「きっと、あの薬をしばらく飲んでいないからだと思う」
「何だって?」
 フィリアは足を止めてエリスに向き直った。元から白く透き通っていた彼女の肌は青ざめていた。その中で瞳と唇だけが赤く浮き上がっている。その唇が震えながら再びゆっくりと開かれた。
「前にも、一度しばらく飲み忘れていたの。お父様が熱病にかかって、ばたばたしていたから」
「……その時はどうなったの」
「完全に動けなくなって、目の前が真っ白になって。あとはずっと床の感触。それで、目が開けられることに気がついて、そうしたら怪我したお父様が私を覗き込んでた。確か三日くらい動けなかった気がするわ」
「怪我?」
「ええ、手に切り傷を」
 これではっきりした。彼女が人として動き続けるには血液が必要なのだ。彼はきっとその場で血を流したのだろうなと思った。あの男がやりそうなことだ。
 だが、彼がやってのけたことは、どうやっても自分には出来ない。この身には赤い血が流れていないからだ。あの商人たちから奪い取ればよかったのだろうか。血も涙もない発想だ、と自己評価する。人形らしい考えと言ってもいい。
 ふと、彼の言ったことを思い出す。中間の町でなら血も用意出来るだろう、と言っていた。骨ではない。おそらく、短期間~中期間の活動ならば血液だけでも何とかなる。骨の粉が必要になるのはもっと長期的な視点の話だと、いつだったかバーソロミューが言っていた。
 獣の血で代用する事は可能だろうか。間違いなく、バーソロミューは試さなかっただろう。つまり、やってみなければわからないという事だ。
「どうしよう、いやだ、あんな寂しくて怖いのはもう嫌。でも今更あそこには戻れない、あなたにとってはしょうがないことだし、そもそも燃えてしまったかもしれないもの」
 彼女は手をおぼつかなく彷徨わせ、空を掴みながら「いやだ」と繰り返していた。その言葉とは裏腹に、表情からも声色からも全く怯えは見て取れない。事情を知らなければ不貞腐れた大根役者のようにも見えただろうが、もちろん違う。もう、声や表情を動かすだけの余裕がないのだ。迷っている場合ではない。フィリアはエリスの両肩に手を置いた。
「エリス」
 静かに呼びかければ、赤い瞳がこちらを捉える。大丈夫だ、まだ彼女には自分が見えている。フィリアは出せる中で最も落ち着いた声で尋ねた。こういう事が出来る分、人形の身は器用で便利だ。血が出せればこんな技術は要らなかったが。
「教えてほしい。目の前が白くなった後も、周囲の音は聞こえていた?」
「……ええ、一応は。一枚の布を隔てたような音だったけど、ちょっとは」
 フィリアは少し考え、エリスに背を向けて屈んだ。
「エリス。これから君を背負って進む。絶対に、君を静けさの中で独りきりにはしない。一瞬、一瞬だけ君のそばを離れるかもしれないけど、絶対に事前にちゃんと言う。黙っていなくなることはしないし、この身に可能な限り早く戻ってくる。信じて、エリス」
 震える白い手がゆっくりとフィリアの両肩に置かれた。
「ええ、信じる。ありがと、フィリア」
 フィリアは両足の機関に力を籠め、彼女をおぶって立ち上がった。一歩ずつ足を出して前に進む。大丈夫そうだ。
「重くない?」
「全然。私、これでも強く創られてるから」
「……そう」
 エリスは口元に小さな笑みを浮かべた。
 彼女を背負って歩きながら、フィリアはずっと喋り続けた。空の色、道に咲く花、これからの旅路、そしてフィリアがこれまで見てきた景色のこと。さまざまな事を話した。あの教会で共にすごしていた頃でも、ここまで喋ったことはないのではないかと思うほどに。
 エリスはフィリアの背中の上で、時折相槌を打ったり頷いたりしていた。時には小さく笑い声をあげすらした。面白かったのか、フィリアを心配させまいと気を遣ったのかまではわからなかったが。
 しかし、その応答(リアクション)も時間が経つにつれ、どんどんと間隔を長く伸ばしていった。轍の多い三叉路にさしかかったときの事だった。いくつもの轍が交錯して、どれが自分の追っていた轍かもわからない状態だった。「どれだろう」という声が夕日の中に吸い込まれて、それでフィリアは背負ったエリスの体が硬直していることを悟った。答えが返ってくることはない。エリス、と呼んでももちろん何の返答もなかった。
 フィリアは時刻を確認するべく太陽を見た。傾いた太陽が雲の端を赤く輝かせていた。二人の影が長く伸びている。すぐに暗くなるだろう。でも、まだ今はその赤い輝きが眩しい。
 フィリアは指を伸ばし、エリスの瞼を降ろしてやった。身動きが取れないとはいえ動けない者にたいして、果たして適切な台詞かどうかという疑問はあったが、ほかに何も思いつかなかったのだ。こうすると本当に安らかに眠っているように見えた。楽しい夢を見ている少女、あるいは、眠る少女を模した人形だ。少し迷った末、フィリアは言葉を続けた。
「エリス。今は夕方で、私たちは三叉路にいる。どうやら、それなりに人通りがある所らしい。これから私たちはこの近くで夜を明かそうと思うんだ。人が通ったら……うまくいけば、薬の代用品が手に入るかもしれない。うまくいくように祈ってて」
 彼女は「薬」の原料を知ったらどう思うだろうか、という事については後で考えることにした。
「今から、三叉路の見えるところまで移動する。それからちょっとだけ準備をするから離れる。すぐに戻るよ」
 フィリアは人間の通り道からは見えないところを探し、落ち葉を払ってエリスの体を座らせた。木の幹に背を預ける形だ。目にかかる髪を払ってから、立ち上がって歩きはじめる。いくつかの獣道に穴を掘り、葉をかぶせて簡易的な落とし穴を作る。餌も囮もない以上、何かがかかることはあまり期待できそうにもないが、あるのとないのでは確率が違う。
 いくつか穴を掘り終えた所で、フィリアはエリスのもとに戻った。太陽は半分くらい山の向こうに隠れている。
「ただいま。こっちは少し日が落ちてきた。これから月が昇って、夜が始まるよ」
 勿論返事はない。
 フィリアは少し考え、エリスを担いで木の上に登った。このほうが安全だし、三叉路を何かが通ったときに見つけるのも簡単だ。手頃な太めの幹の上に、エリスと並んで座る。
「今木に登った。月の出が見えているよ」
 勿論、返事はない。
 この光景を彼女が見ることができないのは純粋に残念だと思う。
 フィリアはそれから、かつて登ったことのある木の話をした。漏れ聞いた噂話では木々の上に家を作って暮らす人々がいるらしい、と。いくつかの話をしながら、もっと本でも読んでおけばよかったなと思った。エリスと出会ってからの期間と比べると、四十年の流浪のなんと空虚だったことだろうか。
 ぱっと思いつく話がなくなると、フィリアは歌を歌い始めた。こちらのほうが自分には向いているかもしれない。自動人形のルーツの一つはオルゴールや手回しオルガンをはじめとする自動演奏装置である。ああいったからくり仕掛けが発展した系譜の果てに自分たちが存在しているとも言えるだろう。実際、フィリアたちの発声器官は一部にそういった機関(オルガン)の要素を持っている。本来歌うための喉を騙すようにして、言葉をつなぎあわせているのだ。あまり正しい用法ではない。
 一人で歩き続けたときは、ずっと黙って地面を眺めながら歩いていた。今にして思えば、何か歌っていたってよかった訳だ。そのほうが本来の機能に沿っているし、多少は人間らしいかもしれない。
 そういえば、自分が作られた人形の塔にも自動演奏装置があった。塔の中央、大時計の横に座って笛を吹いている少年の形をしていた。人間の形をしているが、フィリアたちと違って自律思考機能は持っていない。人形の部分も笛の部分も飾りにすぎず、音が鳴るのは時計の部分だった。
 成り立ちを考えればフィリアの祖先にあたるような存在だろうか。同じ作り手の元に生まれていると考えれば兄か姉だろうか。どちらにしても、随分と古い装置だったように思う。少なくとも、フィリアが造られて意識を持った頃にはずっとそこにあった。しかし、誰もその音楽を聴いたことはなかった。“彼”は誰かが手を加えなければ動かないように造られていたし、そして誰も音楽には興味を持っていなかったからだ。旧型だと軽んじられていたのもあったかもしれない。何故こんな中央に据えているのだろうと疑問に思っていたほどだ。
 ただ、あの何の役目も持っていない琺瑯の目の、夜空を映した色合いを眺めるのは嫌いではなかった。いや、逆だ。あの色が夜空を模していると知ってから、フィリアは空というものに憧れを持つようになったのだ。
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登場人物紹介

自律思考型自動人形JnC-sPEV1


人の似姿。短い黒髪に青い目をした凛々しい少女……を模して造られた人形。

設計思想が「とにかく人間に近づく」であるため身体能力も少女程度。

思考プロセスは極めて人間に近く、疑似的なものとはいえ感情すら有している。

エリス


廃教会に住まう、白い髪に赤い目をした少女。

外の世界を全くといっていいほど知らない。それ故に無邪気で天真爛漫。

バーソロミュー


エリスの父親。二人で廃教会に暮らしている。本人曰く「異端者」。

医術の心得があり、それで生計を立てている(と娘には説明している)。

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