第六話「真相」 

文字数 4,495文字

翌朝フィリアが食卓に向かうと、バーソロミューは何事もなかったかのように朝食の支度をしていた。昨晩の土の名残も見つからなければ疲労と憂いの影も見えない。見慣れた「落ち着いた優しい父親」だ。そこにいつもの軽やかな足音が駆け寄ってきて扉が開いた。
「帰ってきたのね! おかえりなさい、お父様!」
 エリスは父親を認めるなり顔を輝かせて部屋に飛び込み、彼に抱き着いた。彼はその白い頭を大きな手で撫でながら穏やかに答える。
「ああ、ただいま。夜遅くに戻ったんだ。いい子にしていたかい」
「ええ! フィリアがミナトと星の話をしてくれたわ!」
「素晴らしい。一応二人に土産があるから、食事が終わったら後で開けるといい」
「やったあ!」
 朝食の間はほとんどエリスが喋っていた。港にはたくさんの家と人と音があると聞いたこと、夜に出かけて星を見たこと、家に入ってみたら椅子が地上で横倒しになっていたこと、星を見たこと、昼間いろんな話をしたこと、ゲームで大勝したこと、次の日に星図を回してみたこと。
「……でね、あの黒い扉はなにってフィリアが言ったの」
 穏やかに相槌をうちながらパンをかじっていたバーソロミューが僅かに顔色を変えた。
「だからあの問題、フィリアに渡したの。あれは解けた?」
「エリス。あれは自分で解きなさい。フィリアも解けたとしても教えないこと」
 フィリアより先にバーソロミューが命じた。二人の娘は大人しく「はあい」「わかった」と答える。エリスに答えを教えるつもりなどフィリアにはなかったのだが。
「まったく、油断も隙もない。さ、食べ終わったら下で箱を開けておいで。僕はこれからフィリアにお前がどうしてたか聞く」
「いい子にしてたもん。……じゃ、下で待ってるわ。後で一緒に開けよう!」
 エリスはフィリアにウィンクしてから駆けていった。足音が遠ざかっていくのを待ってから二人は改めて向かい合う。
「実際にいい子だったよ。娘を信じたほうがいいんじゃない」
「そうだろうとも。少なくともあの子はいきなり僕の首を絞めたりしなかった……いや、僕が聞きたいのはそんな事じゃない」
 しばらくバーソロミューは押し黙っていた。フィリアに促されてようやく口を開く。
「あなたはあの問題を解いたか?」
 フィリアは答えた。
「蜂蜜より甘いものは何か、獅子より強いものは何か」
 バーソロミューはわずかに目を見開いた。
「そこまで解いたのか。ではあの部屋を見たか?」
「いや、見ていない。扉を開けに行こうとした所であなたと会った」
「何たる……そうか、うん。そうだな」
 再びバーソロミューは何かを呟きながら一人で考え込み始めた。ゆっくりと目を閉じ、また開く。こちらを見据えた目には決意の光が宿っていた。
「あの部屋にあるのは僕の罪だ。友よ(フィリア)、よければ懺悔に付き合ってもらえないか」
「ああ。私でよければ」
もとよりあの部屋に何があったか知ろうとしていたのだ。断る道理もない。
彼はほっとした様子で「ではご同行願おう」と立ち上がった。彼に導かれて扉の前に並び立つ。彼はレリーフを見もせずに蜜の滴る蜂の巣と獅子に手を添え、ぐっと中に押し込み、扉を開けた。その向こうに現れた階段を黙って登る。どうしてこの教会はこうも仕掛けが多いのだろうか。
 螺旋階段を登りきるとさらに小さな仕掛けの施された扉があった。彼は仕掛けを解き、フィリアを扉の向こうへと招き入れた。
「……工房(ボッテガ)?」
「そう言えるかもしれない。僕は実験室(ラボラトリ)と呼んでいたが」
 二重の扉の向こうには複雑な機構が広がっていた。ガラスと赤銅が複雑な臓物のように組み合わさっている。いや、これは臓物の代替なのだろう。人を模して造られた人形にはその確信があった。
しかし、一番重要な部分であろう大きなフラスコは割れているし、うっすらと埃が積もっている。長い間動いていないらしい。
「ずっと使われていないの?」
「その機械はな。こっちは現役だ」
 バーソロミューは巨大な装置の陰を指した。確かに小ぶりな蒸留装置がひっそりと動いている。フラスコの底に揺蕩う赤色は見覚えがあるものだった。
「……これは」
「『私の血である』。まあ、他にも入っているが。こちらの粉は人骨を削ったものだ。昨夜はこれを補充していた」
 フィリアは何も言わなかった。錬金術師は淡々と装置を見つめながら語る。その表情は泣きたいようにも笑いたいようにも見えた。
「あの子はいまだ不安定な状態にある。他者の血と骨を与えられなければ、おそらく人として育つことものは難しい。切らしたときにどうなるか、僕にはわからない」
「……」
 彼はフィリアを見ないまま大股で歩き、割れた巨大なフラスコの前に立った。
「これが『ガラスの子宮』。ここで僕が作った胚が育ってエリスになった。あれは正真正銘のフラスコの中の小人(ホムンクルス)だ」
彼は数歩歩み寄り、ようやくこちらをまっすぐに見据えた。
「遠くより来たる人形よ、私ではない方に造られた者よ。あなたが最初にここに来た時、僕が聞いた事を覚えておられるだろうか」
 記憶を辿るまでもなく「ああ」と答える。彼が迷いながら何を口にしたか、フィリアは覚えている。あの時どんな顔をしていたか、記録にはしっかりと残されている。
「人が人を模したものを作る事は、作られた存在は、罪だと思うか?」
 長い沈黙の時が流れた。フィリアはその答えを持たない存在だからである。

 人間にとって、人を模って作られた存在は罪ではないのか。かつて人形がフィリアと名乗る前に問い、逆に問い返された質問だ。
 確かに、人造人間を作って隠れ暮らす男が自動人形を断罪できるわけがない。だが同様に、自動人形がどうしてそれを罪と定められようか。
「私は自分の造物主を罪びとと呼びたくない。設計思想は間違っていたかもしれないが、それでも造られた事を罪と呼びたくないんだ」
 バーソロミューは黙ってこちらを見ている。フィリアはさらに続けた。
「自分の友達についてもそうだ。僕はあなたたちの存在を罪と片付けたくないんだ」
「まだ僕らを、僕を友人と呼ぶのか?」
「私は名をフィリアという。君たちの友であるよう望まれたからだ」
「……そうか」
 男は低く「君がここにきてくれてよかった」とつぶやいた。
「よかったら経緯を聞かせてくれないか。どうして人を造ろうとしたの?」
「神の御業をもっと知りたかった。命が何か知ろうとしたんだ」
 彼はぽつぽつと話し始めた。卑金属を貴金属にするのと同じように、命なき物質に命を与えるというのも錬金術の掲げる目標であるらしい。そして彼の師はどちらかというと人造の生命を研究課題としていて、バーソロミューもそれを引き継いだのだという。そして、材料を調達するところで一つの壁に行き当たったんだ、と彼は重い口調で語った。
「あそこで他と同じようにやめておけば、こうして隠れ暮らす事もなく普通に生きていけたんだろうな。だが僕は踏みとどまらなかった。多分、結末を知っていても同じことをしただろう。ああ、僕はそういうやつだ」
 口の端を歪めて彼は続ける。異端として街を追われることを知った上で、彼は胚の材料を盗み出し、それを隠し持って街を出た。そうして黒死病で滅んだ村にやってきて、研究を続けた。
「この村は都合がよかった。街から適度に近く、しかしいくつか道を塞げば旅人が立ち寄る事はまずない。そして死体や他の素材もたくさん積み上がっていた」
 "素材"を実際にどうしたのか、フィリアは聞かなかった。彼がその事に関しては口を濁していたからである。それが彼にとって、そしておそらくは普遍的な人間にとってどのような感情をもたらすかは察しがついたし、それ以上の情報は彼女には不要だった。
 「今思えば」とバーソロミューは自らに聞かせるように言った。僕は何か高揚感に浮かされていたんだろう。使命感かもしれない。自分こそがこの命の謎を解き明かすのだ、という。僕はあの時、自分が何をしているのかわからなかったんだ。何と愚かなことか、と彼は吐き捨てる。
「結局、自分が何をしでかしたのか気づいたのは胚がフラスコの中で人の形をとりはじめた時だったよ」
 フラスコに満たされた人工羊水の中で人の形に近づきつつある胎児がもぞもぞと未発達な手足を動かしていたのを見て、彼は深い畏れに包まれたのだという。目の前でもがいている命は今や彼のものではなく、一個の自立した人間になる存在、いや、既に人間なのだ。それに気づいたとき、熱病のような興奮は一瞬で拭い去られた。
「あれから必死になってあの子を育てる準備をしたよ。物を用意して、文献をかき集めて、地下墓所(カタコンベ)を清潔に改造して」
 そして星のまたたく冬の夜、彼女はフラスコから取り出された。彼は懐かしげに語る。音のない実験室、ガラスで手を切った男、その腕の中でなく体温のない白い赤子。全てにおいて異常で、それでいてありふれた生誕の光景がまさにこの部屋で展開されていたのだ。
「……これが僕のやったことだ。その時切った痕がこれ。薄くなったけど、まだ残っている」
 彼はそう締めくくって両の掌を見せた。薄い傷跡が残っている。一種の証と言えるのだろう。フィリアはそれをしばらく眺めてから、「一ついいかな」と聞いた。黙ってこちらを見るバーソロミューに尋ねる。
「エリスは何も知らないままここで生きていくの?」
「……事実を知るには今のあの子は幼すぎる。まだ十にも満たない子だぞ」
「じゃあ、今後は?」
 彼はしばらく考え込み、「そうだな」と顎に手を置いた。
「十五か十六か、そのあたりの誕生日にすべてを話そう。それで、どうやって生きていくか話し合おうと思う。だから、それまで、それまでは秘密にしてくれないか?」
「わかった。約束しよう」
 彼は「ありがとう」とぎこちなく微笑んで立ち上がった。
「帰ろう。エリスを大分待たせてしまった」
「そうだね」
 歩きだした男に向かって、ふと造られた人形は呼びかけた。
「バーソロミュー」
「うん?」
「この事を後悔しているか?」
 彼が歩みを止めたので、自分も立ち止まる。彼に聞いてもそれが自分の答えにならないのは承知していたが、それでも聞いてみたかった。
「いや、後悔はしていないと思う」
 暗い階段に沈黙が訪れる。表情は見えないが、言葉を探しているのだろう。
「……時々考えるんだよ、もし時間が巻きもどったらって。何度考えても結論は同じだ。自分が何をしでかしているのかわかっていても僕は同じように罪を犯して娘を迎えに行くだろう」
 少女人形は何も言わなかった。バーソロミューはまた歩き始める。
「これが答えだ。過去から学べない愚かな男だと失望するかい」
「いや、君の友達になってよかったと思ってるよ」
 バーソロミューは小さく笑い声をあげた。それで充分だった。

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登場人物紹介

自律思考型自動人形JnC-sPEV1


人の似姿。短い黒髪に青い目をした凛々しい少女……を模して造られた人形。

設計思想が「とにかく人間に近づく」であるため身体能力も少女程度。

思考プロセスは極めて人間に近く、疑似的なものとはいえ感情すら有している。

エリス


廃教会に住まう、白い髪に赤い目をした少女。

外の世界を全くといっていいほど知らない。それ故に無邪気で天真爛漫。

バーソロミュー


エリスの父親。二人で廃教会に暮らしている。本人曰く「異端者」。

医術の心得があり、それで生計を立てている(と娘には説明している)。

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