第二話「父娘」
文字数 3,768文字
白い少女に連れられて、自動人形は聖堂を出た。エリスと名乗った少女は人形の手を引いて歩き、教会の脇にあった扉を開ける。
「お父様に会いに来た人はいつもここでお話してるの! 今日もこっちにいるといいんだけど」
半ば物置と化している細い通路を通り抜け、エリスは扉を二回ノックした。柔らかな「お入り」という声が応える。落ち着いた男の声だった。「お父様」と聞いて想像していたのよりは若い気がする。少女はその声に勢いよく扉を開け、部屋の中に人形を押し込んだ。
色々なものが雑然と並んだ部屋だった。天井か吊るされた干し薬草の束。棚の上に並べられている何らかの種子、積み重なった分厚い書物。薬包紙に包まれたきらきらと光る結晶の粉末、何に使うのか想像もつかないような道具たち。奥に置いてあるのはカンバスだろうか?
その中央で、部屋の主たる男がぎょっとした顔をしていた。閉じかけていた本がその手から滑り落ちるが、気にする様子もなく緑色の目を見開いて闖入者、つまり自分を見つめている。彼も自分も、どちらも動かない。壁に掛けられた絡繰時計の音だけが響く。
「お父様! 聖堂にいたひとを連れてきたわ! お客様でしょ?」
静寂を破ったのはエリスの無邪気な声だった。その声にようやく男はぎごちない笑みを浮かべた。右手が何かを求めて机の上を滑っている。
「ああそうだね、よくやってくれた。さあ、今から僕は友達と大事な話をする。いつものように、向こうで大人しく待っていられるね?」
「ええ!」
エリスは人形に手を振ると元気よく部屋を出て行こうとする。その背に向かって父親は続けた。
「一日経っても僕が迎えに来なかったら前に教えた通りにするんだよ。出来るね?」
「はい、もちろん!」
「素晴らしい。それじゃ行きなさい、愛してるよエリス」
「ええ、私もよ!」
扉が軽い音を立てて閉まった。軽やかな足音が遠ざかっていく。それを待ってから、男は何かを握りしめ、張り詰めた表情で人形へと向き直った。父親の面影は消えている。これは覚悟を決めた人間の顔だ。
「それで、お前は何者だ? どうやって探知網を抜けてここにやって来た? 並の人間に出来る事ではない筈だが」
「人間じゃない。自律思考型の自動人形だ」
「……人形? 誰が、何の目的で君をここに?」
怪訝そうな男に、彼女は嵌めていた手袋を外して関節を見えるようにした。
「造り主からは追い出され、持ち主には追われてここへと辿り着いた。そして、ここへはあなたの娘さんが一方的に連れてきた。……あなた達に危害を加えるつもりはない。そのつもりならもっと早く出来たとは思わないか」
男は白髪交じりの赤毛をがりがりと片手で掻いて人形をじっと見つめた。瞳の奥で好奇心と警戒心が揺らいでいる。
「……確かに、危害を加えようと思えばあなたはもっと早く行動に移せたろう……人質に取ろうという様にも見えなかった」
男はしばらく考え込んだ後、ゆっくりと慎重に口を開いた。
「遠くから来た自動人形よ、失礼だが聞かせてもらえないだろうか、どのようにして生まれ、どのようにして此処に至ったのか」
彼は握りしめていたものを彼女にも見えるように机の上に投げ出した。装飾のついた細身の銀色の短剣だ。武器というよりは装飾品に近い代物だ。そんなもので戦おうとしたのか、この男は。
「そんな事なら。最初に作られたのはここから遠く東の塔だった」
勧められた椅子に腰かけて、人形はぽつぽつと話し始める。人と関わり、人に近づこうとして失敗し続けた四十年の話を。話が終わる頃には日はとうに沈み、月が姿を現していた。
「……それで人から逃げる内に教会に辿り着き、あなたの『友達』としてここに連れられたという次第なんだ」
人形が口を閉ざすと、男は深々とため息をついた。
「……そうだったのか。つかぬことをお伺いするが、今後の予定は」
無い、と彼女が答えると、男は立ち上がって彼女の前に膝をついた。
「挨拶が遅れたが、私はバーソロミュー・アンドラスタというものだ。異端の錬金術師としてここに暮らしている。どうか、一つ頼まれてくれないだろうか」
どうせ行先をなくした身だ。どうにでもなれと彼女が頷いたのを見て彼は続けた。
「あなたに今後予定がなく、そして人間と関わるのが目的であるのなら、どうか娘の友達になってやってはもらえないだろうか」
人形はじっと男を見た。真剣そのものという表情だ。
「友達?」
「あれは外の世界を知らずに育った子だ。人が一人でいるのはよくない、あの子には話し相手が必要なんだ。どうか哀れに思って娘の傍にいてやってはもらえないだろうか」
彼は頭を垂れて言った。しばらく待っても顔を上げる気配も、さらに何かを言う様子もない。彼女はその前に膝をついて顔の高さを合わせて答える。
「憐れむというのはわからないけど、人間の傍にいろというのが造り主の命令だ。……ただ」
「ただ?」
「その友達というのが人間ではない、動く人形であなたは本当にいいの? 人間にとって動く人形というのは相いれないモノじゃないのか?」
男は顔を上げて瞬きした。
「相いれない、という意味でなら私たちとて似たような存在だ。異端としてこんな所に隠れ暮らしているくらいなのだから」
「……だとしても、人間にとって人を模って作られた存在は罪ではないのか」
男は口を開き、一度閉じた。視線を何度か彷徨わせてもごもごと何かを口の中で呟いてから再び口を開く。
「あなたはそれを罪だと思うのか? 人が人を模したものを作る事は……そして、あー、それで作られた存在は、罪だと思うか?」
「それを定めるのは人形じゃない」
「ならば僕たちも罪には問うまい」
不思議な事に、罪に問わないと言った男の方が安堵の表情を浮かべていた。どこか晴れやかな面持ちでこちらに問いかける。
「では、承諾して頂けると思ってでいいのか」
「ああ。期待に応えられるかはわからないけど、よろしく頼む」
男はそれに微笑んで右手を差し出した。首を傾けると「握手だ。人間は親しくなりたい時にこれをやる」と言われたので、同じように右手を出す。
初めて握った人間の手はとても暖かいものだった。そう言うと、男はなんだか不思議な顔をしていた。
握手という儀式を終えて、人形は友達というものの定義を確認する作業へと入った。データベースに単語の意味くらいは乗っているが、彼らの意図するものとは違っているかもしれない。現に彼は自分を「友達」としてエリスを追い出した訳だが、これは友達としての会話ではないように考えられる。
「……それで、私はエリスの友達として何処にいて何をすればいい?」
「共にいて、話し相手になってくれたらそれでいい。場所は……そうだな、隠し部屋ならいくつか空いているがそれでもいいだろうか?別の廃屋を使いたいなら尽力するが、荒れていて危ない」
「場所に好みはないけど、隠し部屋って?」
人形の置場所なぞ良くて机か棚の上、悪ければ物置の片隅だ。個室を与えられるとは思っていなかった。
「ああ、見せた方が早いな。この教会は目に映るものだけが全てじゃないのさ」
バーソロミューはどこか誇らしげに告げると、「案内しよう」と部屋を発った。廊下を歩きながら彼が説明したところによると、この部屋は元々教会の神父が住まうために作られた部屋の一部で、応接間に過ぎないのだという。なるほど、それで「お父様に会いに来た人はいつもここでお話してるの」という訳か。
「さあ、これが我々が本当に暮らしている拠点だ」
男は聖堂の奥、木像付きの十字架の前で両手を広げて高らかに宣言した。だが、どう見ても人が暮らしているようには見えない。
「何もないじゃないか」
「まあ見てな」
男は立てた人差し指を唇に当てて彼女に笑いかける。こうしていると、先程娘と話していた時よりもずっと若く見える。まるで悪戯の計画を打ち明ける少年だ。
琺瑯製の瞳が眺める前で、彼は十字架下端の裏側に隠されていたレバーを動かした。数秒遅れて低く重い音が二人の足元から響いてくる。記憶に残っている音だ。今ならわかる、床板の下で何かが動いているのだ。
何が起こるのかと足元を見ていると、やがて教壇のふもとの床がゆっくりと口を開いた。紅い灯 に照らされた石造りの階段が見える。地下への扉が開いたのだ。通路を覗き込んでから後ろを振り返ると、バーソロミューは得意げに腰に手を当てて笑っていた。
「……凄いな」
「だろ」
得意げに笑うと彼は暗い階段を降り始めた。後から彼女がついてきたのを確認すると、天井扉を閉める。これで外からは全く普通の教会にしか見えなくなったことだろう。
階段を降り切った先には四つの地下室があった。最も奥にあるのがエリスの部屋らしい。
「残りの三つは空き部屋だ。まあ元は地下牢だが、一応改築はしてある。好きなのを選んでくれ」
どれも内装には大差がないように見えたので、彼女は二番目に奥にある扉を選ぶことにした。選択を告げると男は再び腕を広げて笑った。
「そうか。それじゃあ……ようこそ、我らが神の家、祈りの家へ。歓迎するよ」
「お父様に会いに来た人はいつもここでお話してるの! 今日もこっちにいるといいんだけど」
半ば物置と化している細い通路を通り抜け、エリスは扉を二回ノックした。柔らかな「お入り」という声が応える。落ち着いた男の声だった。「お父様」と聞いて想像していたのよりは若い気がする。少女はその声に勢いよく扉を開け、部屋の中に人形を押し込んだ。
色々なものが雑然と並んだ部屋だった。天井か吊るされた干し薬草の束。棚の上に並べられている何らかの種子、積み重なった分厚い書物。薬包紙に包まれたきらきらと光る結晶の粉末、何に使うのか想像もつかないような道具たち。奥に置いてあるのはカンバスだろうか?
その中央で、部屋の主たる男がぎょっとした顔をしていた。閉じかけていた本がその手から滑り落ちるが、気にする様子もなく緑色の目を見開いて闖入者、つまり自分を見つめている。彼も自分も、どちらも動かない。壁に掛けられた絡繰時計の音だけが響く。
「お父様! 聖堂にいたひとを連れてきたわ! お客様でしょ?」
静寂を破ったのはエリスの無邪気な声だった。その声にようやく男はぎごちない笑みを浮かべた。右手が何かを求めて机の上を滑っている。
「ああそうだね、よくやってくれた。さあ、今から僕は友達と大事な話をする。いつものように、向こうで大人しく待っていられるね?」
「ええ!」
エリスは人形に手を振ると元気よく部屋を出て行こうとする。その背に向かって父親は続けた。
「一日経っても僕が迎えに来なかったら前に教えた通りにするんだよ。出来るね?」
「はい、もちろん!」
「素晴らしい。それじゃ行きなさい、愛してるよエリス」
「ええ、私もよ!」
扉が軽い音を立てて閉まった。軽やかな足音が遠ざかっていく。それを待ってから、男は何かを握りしめ、張り詰めた表情で人形へと向き直った。父親の面影は消えている。これは覚悟を決めた人間の顔だ。
「それで、お前は何者だ? どうやって探知網を抜けてここにやって来た? 並の人間に出来る事ではない筈だが」
「人間じゃない。自律思考型の自動人形だ」
「……人形? 誰が、何の目的で君をここに?」
怪訝そうな男に、彼女は嵌めていた手袋を外して関節を見えるようにした。
「造り主からは追い出され、持ち主には追われてここへと辿り着いた。そして、ここへはあなたの娘さんが一方的に連れてきた。……あなた達に危害を加えるつもりはない。そのつもりならもっと早く出来たとは思わないか」
男は白髪交じりの赤毛をがりがりと片手で掻いて人形をじっと見つめた。瞳の奥で好奇心と警戒心が揺らいでいる。
「……確かに、危害を加えようと思えばあなたはもっと早く行動に移せたろう……人質に取ろうという様にも見えなかった」
男はしばらく考え込んだ後、ゆっくりと慎重に口を開いた。
「遠くから来た自動人形よ、失礼だが聞かせてもらえないだろうか、どのようにして生まれ、どのようにして此処に至ったのか」
彼は握りしめていたものを彼女にも見えるように机の上に投げ出した。装飾のついた細身の銀色の短剣だ。武器というよりは装飾品に近い代物だ。そんなもので戦おうとしたのか、この男は。
「そんな事なら。最初に作られたのはここから遠く東の塔だった」
勧められた椅子に腰かけて、人形はぽつぽつと話し始める。人と関わり、人に近づこうとして失敗し続けた四十年の話を。話が終わる頃には日はとうに沈み、月が姿を現していた。
「……それで人から逃げる内に教会に辿り着き、あなたの『友達』としてここに連れられたという次第なんだ」
人形が口を閉ざすと、男は深々とため息をついた。
「……そうだったのか。つかぬことをお伺いするが、今後の予定は」
無い、と彼女が答えると、男は立ち上がって彼女の前に膝をついた。
「挨拶が遅れたが、私はバーソロミュー・アンドラスタというものだ。異端の錬金術師としてここに暮らしている。どうか、一つ頼まれてくれないだろうか」
どうせ行先をなくした身だ。どうにでもなれと彼女が頷いたのを見て彼は続けた。
「あなたに今後予定がなく、そして人間と関わるのが目的であるのなら、どうか娘の友達になってやってはもらえないだろうか」
人形はじっと男を見た。真剣そのものという表情だ。
「友達?」
「あれは外の世界を知らずに育った子だ。人が一人でいるのはよくない、あの子には話し相手が必要なんだ。どうか哀れに思って娘の傍にいてやってはもらえないだろうか」
彼は頭を垂れて言った。しばらく待っても顔を上げる気配も、さらに何かを言う様子もない。彼女はその前に膝をついて顔の高さを合わせて答える。
「憐れむというのはわからないけど、人間の傍にいろというのが造り主の命令だ。……ただ」
「ただ?」
「その友達というのが人間ではない、動く人形であなたは本当にいいの? 人間にとって動く人形というのは相いれないモノじゃないのか?」
男は顔を上げて瞬きした。
「相いれない、という意味でなら私たちとて似たような存在だ。異端としてこんな所に隠れ暮らしているくらいなのだから」
「……だとしても、人間にとって人を模って作られた存在は罪ではないのか」
男は口を開き、一度閉じた。視線を何度か彷徨わせてもごもごと何かを口の中で呟いてから再び口を開く。
「あなたはそれを罪だと思うのか? 人が人を模したものを作る事は……そして、あー、それで作られた存在は、罪だと思うか?」
「それを定めるのは人形じゃない」
「ならば僕たちも罪には問うまい」
不思議な事に、罪に問わないと言った男の方が安堵の表情を浮かべていた。どこか晴れやかな面持ちでこちらに問いかける。
「では、承諾して頂けると思ってでいいのか」
「ああ。期待に応えられるかはわからないけど、よろしく頼む」
男はそれに微笑んで右手を差し出した。首を傾けると「握手だ。人間は親しくなりたい時にこれをやる」と言われたので、同じように右手を出す。
初めて握った人間の手はとても暖かいものだった。そう言うと、男はなんだか不思議な顔をしていた。
握手という儀式を終えて、人形は友達というものの定義を確認する作業へと入った。データベースに単語の意味くらいは乗っているが、彼らの意図するものとは違っているかもしれない。現に彼は自分を「友達」としてエリスを追い出した訳だが、これは友達としての会話ではないように考えられる。
「……それで、私はエリスの友達として何処にいて何をすればいい?」
「共にいて、話し相手になってくれたらそれでいい。場所は……そうだな、隠し部屋ならいくつか空いているがそれでもいいだろうか?別の廃屋を使いたいなら尽力するが、荒れていて危ない」
「場所に好みはないけど、隠し部屋って?」
人形の置場所なぞ良くて机か棚の上、悪ければ物置の片隅だ。個室を与えられるとは思っていなかった。
「ああ、見せた方が早いな。この教会は目に映るものだけが全てじゃないのさ」
バーソロミューはどこか誇らしげに告げると、「案内しよう」と部屋を発った。廊下を歩きながら彼が説明したところによると、この部屋は元々教会の神父が住まうために作られた部屋の一部で、応接間に過ぎないのだという。なるほど、それで「お父様に会いに来た人はいつもここでお話してるの」という訳か。
「さあ、これが我々が本当に暮らしている拠点だ」
男は聖堂の奥、木像付きの十字架の前で両手を広げて高らかに宣言した。だが、どう見ても人が暮らしているようには見えない。
「何もないじゃないか」
「まあ見てな」
男は立てた人差し指を唇に当てて彼女に笑いかける。こうしていると、先程娘と話していた時よりもずっと若く見える。まるで悪戯の計画を打ち明ける少年だ。
琺瑯製の瞳が眺める前で、彼は十字架下端の裏側に隠されていたレバーを動かした。数秒遅れて低く重い音が二人の足元から響いてくる。記憶に残っている音だ。今ならわかる、床板の下で何かが動いているのだ。
何が起こるのかと足元を見ていると、やがて教壇のふもとの床がゆっくりと口を開いた。紅い
「……凄いな」
「だろ」
得意げに笑うと彼は暗い階段を降り始めた。後から彼女がついてきたのを確認すると、天井扉を閉める。これで外からは全く普通の教会にしか見えなくなったことだろう。
階段を降り切った先には四つの地下室があった。最も奥にあるのがエリスの部屋らしい。
「残りの三つは空き部屋だ。まあ元は地下牢だが、一応改築はしてある。好きなのを選んでくれ」
どれも内装には大差がないように見えたので、彼女は二番目に奥にある扉を選ぶことにした。選択を告げると男は再び腕を広げて笑った。
「そうか。それじゃあ……ようこそ、我らが神の家、祈りの家へ。歓迎するよ」