309 大通りの、小さな酒場内にて/黒髪の男②
文字数 1,302文字
酒場の看板娘は黒髪の男に頭を下げた。
「いえ!とんでもないです。僕のほうこそ、世間知らずで」
「ウテナさんってね、ほんっとに、かっこいいの!」
「えっ、男の人なんですか?」
「女の人よ!女が憧れる女なの!少し前にね、ちょうどこの市場にワイルドグリフィンが襲ってきて、護衛もぜんぜん、役に立たなくて、そんなときに……!」
看板娘が、黒髪の男を相手に、興奮した様子で話をしている。
「……てか、さりげなく、けなされた気が?」
「いや、もう、聞こえないフリしよう……」
カウンターで飲んでいた護衛2人が、下を向きながら飲み始めた。
「……」
すると、隣にいた黒髪の男が、護衛2人のほうを向いた。
「……お客さん?」
真顔で、ぐ~っと、目を大きく見開いて、黒髪の男の、黒い瞳が、隣にいる護衛の顔に迫った。
「……うぉっ!?な、なんだよ!?」
気づいた護衛の一人が、ビックリして黒髪の男に言った。
「その、ウテナという人に対して、なにか思うことが?」
「え……?」
一瞬、黒髪の男の雰囲気が、変わったような気がした。顔から、先までの物腰柔らかな相が消えているように、護衛には思えた。
「い、いや、別に。実際、すごいヤツだよ、ウテナは」
「そうですか……」
そう言うと、黒髪の男は護衛から顔を離した。
「そう!すごいの!なんせ一人でワイルドグリフィンを……!」
看板娘は、護衛の言葉尻から、またテンション高く話し始めた。
「看板娘さん」
と、看板娘の話の途中で、黒髪の男が割って入った。物腰柔らかな相に戻っている。
「その、ウテナさんという方は、いま、どちらに?」
「えっ?どこって……」
「さっきはちょっと、知らなかったので。お話聞いて、一度、会ってみたいなって」
「そ、そうよね!そうなるわよね!え~っと……」
「あそこじゃないか?」
黒髪の男と看板娘の話を聞いていた店主が、言った。
「ムスタファ公爵の公宮」
「あっ、ルナ様!そうね!仲いいものね!」
看板娘が、店主を見た。
「あぁ、あの碧眼のお嬢様ね、ウテナと同じキャラバンサロンの」
「でも、最近、ルナ様って、キャラバンとして活動してなくね?」
護衛同士で、話していると、店主が護衛達のほうを向いて言った。
「そう。公務が忙しくて、行商に参加していないって、たしか、彼女のキャラバンサロンのコがウチに来たときに……」
店主が、護衛と看板娘に、話している。
皆の視線が、黒髪の男から離れた。
――カチャッ、キィィ……。
立て付けの悪い扉が開いた。
国門の警備をしていた、護衛の男が入ってきた。
「あぁ、いらっしゃい」
「おう、店主。やっと仕事終わったぜ。とりあえず一杯くれ~」
「いや、」
店主が声をかける。
「すまないが、今夜は満席なんだよ。ちょっと待っててもらうか、別の店に……」
「えっ?ちょうど、一席、空いてるだろ」
「へっ?……あっ?」
見ると、先まで黒髪の男が座っていたはずのカウンター席が、空席になっていた。
「……」
カウンターの上には、酒代の銀貨が置かれていて、黒髪の男は、酒場から、消えていた。