策の綻び

文字数 2,964文字

 部下を引き連れ、ネフィラと文書庫の騎士がいるという宿屋に踏み込んだカロイブだったが、部屋にいたのは地味な顔の無口な貴婦人だけであった。宿中をくまなく探させ、近隣の家にも押し入って調べたが、それらしい人影は見えなかった。

「お前が値フィラを助け、匿ったのだな。一体何者だ」

 カロイブが剣を突きつけて凄んでも、この貴婦人は一言も口をきかなかった。

「強情な奴め。急ぎヴァンフォール城へ戻るぞ!」

 二人の部下に夫人の連行を命じ、自らは残りとともに急いで白へ戻った。

(騎士どもめ、虚報で俺たちを動かし、団長と犬ころを救い出すつもりだな)

 この段階で、カロイブは自らが騙されたのだと理解していた。考えてみれば、見え()いた手である。あの見習いが居場所を白状した時も、疑わなかったわけではない。ただ、あの目障りな小娘をなんとしても捕らえるという執着が、疑いを押しのけてしまったのだ。

 まんまと踊らされるとは、悔しさに馬上で舌打ちをした。こうなるとますますネフィラを、そして騎士団を完膚なきまでに叩かなければ気がすまない。


 誰かに体を強く揺さぶられて、覚醒した。目を開けるとクリフとアルダロン、それにバージュストが心配そうにこちらを見つめていた。

 ネフィラはまたあの夢を見ていたのだ。(うな)されていたのだろう、クリフが揺り起こしてくれたようだ。

 クリフやアルダロンのほうが辛いだろうに、心配をかけてしまった。ネフィラは少し怖い夢を見ただけだと、努めて明るく答えた。

 以前はただ気疲れするだけの嫌な夢だったが、今日はなぜか懐かしいような、悲しいような、複雑な感情がこみ上げてきた。

(きっとこれは、レーニアの、母さんの記憶なんだわ)

 ネフィラはそう理解した。城の中から雪の森を駆け抜け、そして崖に落ちる。これは聖剣を持って逃げたレーニアの行動と一致する。誰かが見た光景でなく、自分自身が走っているかのような感覚。だからこれは彼女の記憶と言ったほうが正確なのだ。

 もしかしたら、事件を調べはじめてからずっと、母が自分に真実を教えようとしていたのではないか。死んだ人間が生きている人間に夢を見せるなど、現実的ではないが、17年前、聖剣の神秘の力が現れたと聞かされれば、そんな不思議があってもおかしくないと思える。

 もう一つの、呼び声が聞こえるあの夢は、果たしてどんな意味があるのだろうか。あの声こそ、母の声なのかもしれないが、では彼女は何を気づかせようとしているのか。

 考えてもわからないまま、バージュストが昨日のうちに用意していおいたパンを皆にわけ、一応の食事となった。

 それにしても、ムゾールからの手紙が遅い。予想では、今日の朝には手紙を受け取った騎士がこちらへ合流するはずなのだが。

「それにしても、遅すぎやしないか。まさか、ムゾールにバレちまったんじゃないよな」

 正午近くまで待っていたが、何の知らせもないので、バージュストはハラハラしていた。

「我々が様子を見に行きます」

 クリフたちの脱獄を助けた二人の騎士が立ち上がり、外にいる者に会いにゆこうとする。

「プロート、ここに隠れている分には安全だと思うが、団長をしっかりお守りするように」

 二人の騎士はプロートにそう言いつけて、こっそりと小屋から出て行った。

 小屋の中が急に静かになったようで、なぜだか不安が満ちた。

「大丈夫です。もし露見したとして、奴らは(おとり)役を追いかけるでしょうし、ここに隠れているとは思いません。手紙の事を知っても、自分がもらったうちどれが偽手紙でどれが本物か、見分けがついていないはず。ムゾールの手紙は必ず手に入ります」

 プロートは声を励まして言った。


 城に戻ると、案の定、見張りが床に伸びており、牢はもぬけの殻だった。

「だらしない奴らだ」

 彼らをたたき起こして、毒を盛ったと思しき食堂の娘と医師を捕まえ、ムゾールが使っている部屋へ引き立てた。

「団長たちは、ジス市に行くと言っていました」

 ちょっと脅すと、二人は直ぐに白状した。そこへ、城に戻ってから泳がせていた数人の手下から、団長と数人の騎士らしき者が街道を抜けていったらしいと報告があった

「よし、ではお前たちは直ちにジス市へ向かえ。団長と目障りな小娘を捕らえるのだ」

 ムゾールの命にカロイブは異を唱えた。

「ジス市へ行くというのは嘘です。その、らしき一団というのも(おとり)でしょう。奴らは別の場所に隠れているはずです」

 (たばか)られたばかりのカロイブは、騎士たちの裏の裏をかいた。カーシャと医師は青ざめた。作戦が読まれている。

「一番安全なのは、この城の近く。灯台下暗しといいますからな」

 カロイブの目に窓の外に広がる森と、その手前の農場や花畑が映った。いくらなんでも城の中には入ってこられないはずだ。だが、外にいくつかある掘っ立て小屋になら、夜陰に紛れて潜伏する事は可能だ。

「全員ついて来い。奴らを狩るぞ」

 カロイブは部下を引き連れて城の外へ出た。

 外で物音がした。微かだったが、小屋の中の全員が気がついた。

 バージュストは窓を隠した箱を少しずらして、用心深く外の様子を伺う。

「ムゾールの部下だ!」

 バージュストは目を見開いて、ささやき声で告げた。すぐさまプロートも窓の外を伺う。

「20人ほどいます」

 カロイブは部下を全員引き連れてきたらしい。なぜここがわかったのか。彼らは農場の道具が置いてる納屋などを調べているようだ。すぐにここへ来るだろう。

「こうなってはしかたない。小屋を捨てて森へ逃げよう」

 プロートは剣を抜いた。

「俺たちは地図にない裏道だって知ってる。森の中に入ればこっちのもんだ」

 アルダロンはクリフに肩を貸して立ち上がり、力強く頷いた。

「待ってくれ、奴らが向こうから来るなら、戸口から出ず、窓から小屋の裏に出たほうがいい。それから、俺はここで敵を食い止める」

 バージュストはそう言って急いで一方の窓を塞いでいた箱を退かした。

「おじさん、危険です。一緒に行きましょう」

「いや、なに、ちょっと考えがあるんだ。どちらにせよ、手紙が手に入るまで時間を稼げればいいのだから、心配するな」

 バージュストはネフィラにいたずらっぽく笑いかけると、外へ出るよう促した。

 窓の外は、向かってくるカロイブたちからは死角だった。だが、小屋まで来られたら、すぐに見つかってしまうだろう。ここから森まで、開けていて隠れるところはない。急いで森の中へ入ってしまわなければならない。幸い、追っ手は馬に乗っていない。走るなら、なんとか振り切れるかもしれない。

 バージュストは黒づくめの男たちが完全に近づく前に、勢い良く小屋から飛び出た。そして、小屋の周りに置いてあった蜂の巣箱を空け、彼らに向かって蹴飛ばす。

 驚いた蜂たちは、ぶんぶん飛び回ってチクチクと追っ手の顔や手を刺した。蜜蜂に攻撃されるとは思っておらず、黒尽くめの男たちは手や剣を振り回して追い払おうとした。バージュストは蜂に刺されるのもいとわず男たちの中へ飛び込み、体当たりを食らわせ、拳を振り上げて戦った。

「行くぞ!」

 プロートが号令をかけ、四人は森へ向かって走った。蜂を追い払いながらも、カロイブは目ざとくその姿を捉える。

「奴らは小屋の後ろだ。追うぞ!」

 手下たちは蜂を捨て置いて四人の姿を追った。
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登場人物紹介

ネフィラ

騎士団で育てられた孤児。女だが騎士見習いとして修行を積んでいる。非常に優秀で物分りがいい。クリフを敬愛している。

アルダロン

ネフィラの双子の兄弟。同じく騎士見習い。英雄グランジットのような騎士になることを目指している。素直で闊達な少年。

クリフ・パブラン

アディス騎士団団長。ネフィラとアルダロンの父親のような存在。特にネフィラをに愛情を注いでいる。生真面目で誠実なため、領民や団員からの信望も厚い。

 

ムゾール・ドルロア

トゥザリアの宰相。元は隣国シノンの貴族で亡命してきた。シュレーナ王妃の遠縁であり、シノンとの外交に欠かせない存在。そのため宮廷でも絶大な権力を誇る。

カロイブ

ムゾールの手下で凄腕の剣士。射撃もできて頭も切れる。冷酷で邪魔者は容赦なく排除する。

バージュスト・コトロネット

ネフィラとアルダロンを孤児院で育てた中年の騎士。酒好きでお気楽。

プロート・リルゴ

来年騎士に叙される見習いのまとめ役。時々優秀なネフィラに嫉妬して突っかかり、アルダロンと喧嘩する。

カーシャ・ドゥロン

ヴァンフォール城の食堂で働く娘。ネフィラの親友。

ロラン婦人

親戚を訪ねた帰りに聖剣を拝みにハイズンを訪れた貴婦人。

ダートル・ヘッグ

ロラン婦人の従者。頭脳明晰で記憶力抜群。

フィン

ロラン婦人の侍女。寡黙で愛想が無い。

フォリア・ぺプラント

ぺプラント商会の主・ガードンの母。レーニアの祖母。強欲で用心深い。

ガードン・ぺプラント

ぺプラント商会の主。フォリアの息子でレーニアの叔父。

ミロン・ヘトロネア

騎士団のあるハイズン地域の領主。オランドの父。小心者で世間の評判を気にしてばかりいる。

ストッド・フォンター

元騎士。17年前、妻を奪われそうになったためオランドを殺害し、処刑された。

レーニア

ストッドの妻。フォリアの孫娘。17年前の事件で姦通罪に問われたが、聖剣を持って逃亡し、川に落ちて死亡した。

オランド・ヘトロネア

領主・ミロンの息子。レーニアと密通し、怒ったストッドに殺害される。

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