神秘の力

文字数 2,990文字

 黒い獅子。それはまさに、トゥザリアの国旗に描かれる、光獅子と一対の影獅子であった。図案の大きさも形も、その他、埋め込まれた宝石や、細く走る金や銀の装飾一つ一つが、幼いころから見ていた模造品の影獅子聖剣と同じだった。しかし、どことなく古ぼけ、それでいて凛とした風情があるのは、見慣れた模造品とは異なる。つまり、これこそが17年前失われた影獅子聖剣なのだ。

「やっぱり、聖剣はあったんだ」

 アルダロンは驚きと感嘆を込めて言った。やはり聖剣は川の中にあった。ただ水底に沈んでいるだけでなく、奇跡のように姿を現した。鑑定などしなくても、それが神秘の力を秘めた本物であることを物語っている。

「……母さんが、私にくれたのよ。私がここへ来るまで、守ってくれていたんだわ」

 レーニアは死にゆく娘を迎えに来たのでもなければ、警告をするために夢の中にでてきたわけでもない。この聖剣を自身の娘であり、グランジットの後継者の手に渡すため、導いていたのだ。ネフィラは母親に感謝した。

 だが、聖剣を渡して安心したのか、彼女はネフィラのもとから去ってしまった。先ほどまでと違い、両方の目には、今この瞬間の風景がはっきりと映っている。音を立てて落ちる滝と、太陽を遮られた薄暗い森、どこにも夢の中の光景は現れていない。朦朧(もうろう)としていた意識もすっきりとしている。

 水の中で母に礼を言えなかったことを、ネフィラは後悔した。もう二度と母の声を聴くことはできない。会話することもできない。なのに、愚かな自分は母の意図もわからず、最初は悪い夢だと(うと)んじ、最後は死出の旅路だと勘違いし、感謝どころか、娘らしい言葉の一つも贈れなかった。

 母はなんて無欲な人だろう。17年間ずっと冷たい川の底で聖剣を守り続け、時が来ると娘の意識に触れて導いた。これだけ苦労をしながら、見返りを求めずに姿を消してしまうとは。ほんの少しくらい、娘と語らいたいと、娘からの言葉がほしいと願ったとして、神に罰せられることはないはずだ。それなのに、娘が無事に助かり、聖剣を手にしただけで満足し、本来いるべき場所へと戻ってしまったのだ。

 聖剣はずしりと重い。グランジットから伝えられた物であることや、伝説の神秘の力を秘めていることに加えて、母の深い愛が剣をさらに重くしている。ネフィラにはそう思えてならなかった。

「傷が消えてる」

 アルダロンは、拷問された時についた手の甲の傷が、すっかり元通りになっていることに気付いた。急いで腕をまくったりして、体中にあった痣や擦り傷を確かめると、どれも消えているか薄くなっている。頬の殴られた跡も、痛みや腫れがひいていた

 ネフィラも脇腹を触った。皮膚が盛り上がり傷跡となっていて、痛みもない。

 聖剣の癒しの力によるものだろう。水の中で光を浴びたから、それで傷が治ったのだ。あれは一種の幻想で、自分だけが見えているとばかり思っていたが、アルダロンの傷を治したところを見ると、彼にも見えていたようだった。

「とにかく、聖剣が手に入ったなら、騎士団はお咎めなしだ」

 ムゾールの企みが暴かれても、聖剣を失くした罪は消えないはずだった。だが、本物の聖剣を見つけ出したとなれば、それをもって騎士団は完全に汚名を雪げる。

「すぐヴァンフォール城へ戻ろう。団長たちに会って、手紙と一緒にこれをムゾールと使者様に見せるんだ」

 ここまではひたすら逃げていたが、思いがけず聖剣を見つけ出したので、行き先も行動も変えざるを得ない。

「でも、今から引き返すのは時間がかかりすぎる。ジス市まで行って、馬を借りて、街道を走って城へ戻った方がいいわ」

 ネフィラはこのあたりまで来たことが無いのでわからないが、ここから戻るとしたら、滝の左右に広がる急な崖を登らなくてならない。もし崖を避けたとしても大きく迂回する必要がある。そして夢中で走って、途中船に流されてきた長い道を引き返すのだ。いくら怪我が治ったとはいえ、疲労が完全に消えたわけではない。しかも陽が落ちれば森の中は危険だ。

 ネフィラが立ち上がろうとすると、滝の反対側から人の気配を感じた。

「二人で何の相談だ?」

 見ると、カロイブが部下を引き連れてこちらへ向かってきた。滝の下へ降りたって、二人が対岸にいるのを見つけると、川を下り浅い所から川を渡ったのだ。

 さほど遠くへ行かなくても容易に渡れる個所があった。カロイブはわずかな距離の間で様変わりするコデル川に感謝した。

「何を持っている」

 振り返り、逃げようとするも反対側は崖。崖を背にして立ち止ったネフィラの手に何かが握られている。

 影獅子聖剣。カロイブも聖堂で偽物を見ていたので、装飾でそれとわかった。

(本物の聖剣か?)

 本物はレーニアが川に落ちた時失われたという話だった。まさか二人が滝壺の底で見つけたというのか。(にわ)かには信じられない。伝説のように不思議な力があるのだろうか。

 だが、聖剣を持っていようとなかろうと、カロイブには関係のないことだ。今するべきはネフィラを殺すこと。二人を見ると、聖剣以外何も持っていない。滝に落ちた時、唯一の武器であった剣を失くしたらしい。これで確実に始末できる。

 カロイブは二人に剣を突きつけて迫った。部下たちもそれに倣う。

 アルダロンはネフィラを庇うように前に立った。ありえないと思っていたのに、聖剣が見つかった。ネフィラはレーニアが導いてくれたのだと言っていた。何か人知を超えた力が二人を後押ししているなら、諦めるわけにはいかない。

 追っ手のうちで一番体が小さく、力のなさそうな者に狙いを定める。カロイブが振り下ろす剣を避けると、狙った相手に体当たりをくらわせ、転んだところを上から覆いかぶさり、手から剣をもぎ取った。

 ネフィラも聖剣を落とさぬよう大事に抱えながらカロイブの剣を巧に躱していた。

「ネフィラ!」

 アルダロンは奪った剣をネフィラに投げて寄越(よこ)した。

「母さんが私を生かしてくれた。あなたなどに殺されはしないわ!」

 ネフィラは剣を受け取り、カロイブに突進していった。片手には聖剣を握っているので、多少動きが鈍るが、それでも平素の素早さは保っていた。

 カロイブと追手の数人が一緒にネフィラに襲いかかる。ネフィラは剣を受け、時に(かわ)しながら応戦する。右からの突きを避け、そのまま追っ手に足払いをくらわせる。追っ手はその場に転んだ。そこへ、背後から剣が迫ったので受け止め、上に払いあげて相手の懐に飛び込み、柄で鳩尾を押す。この男も力を失って倒れた。

 次の攻撃に備えて動こうとした時、先ほど転ばせた男に足をつかまれた。剣で腕を刺そうとするが、その前にカロイブの斬撃が迫る。体をかがめて避けたが、頬に薄く傷が走った。

「ネフィラ!」

 アルダロンはまだ丸腰のままだったが、ネフィラが危ないと見て、戻ってきてカロイブの上衣の裾を引っぱった。

 カロイブは体をひねってその手を振り払うと、そのまま剣を突き出した。避けきれず、アルダロンの上腕が切れた。カロイブは剣を持っていない手でアルダロンを突き飛ばす。

「二人まとめてあの世へ送ってやる!」

 カロイブはうつ伏せに転んだアルダロンの背後に立ち、逆手に剣を持ちかえた。

「やめて!」

 ネフィラは割って入ろうとするが、足の拘束はとけていない。

 カロイブの剣がアルダロンの背中に突きたてられた。
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登場人物紹介

ネフィラ

騎士団で育てられた孤児。女だが騎士見習いとして修行を積んでいる。非常に優秀で物分りがいい。クリフを敬愛している。

アルダロン

ネフィラの双子の兄弟。同じく騎士見習い。英雄グランジットのような騎士になることを目指している。素直で闊達な少年。

クリフ・パブラン

アディス騎士団団長。ネフィラとアルダロンの父親のような存在。特にネフィラをに愛情を注いでいる。生真面目で誠実なため、領民や団員からの信望も厚い。

 

ムゾール・ドルロア

トゥザリアの宰相。元は隣国シノンの貴族で亡命してきた。シュレーナ王妃の遠縁であり、シノンとの外交に欠かせない存在。そのため宮廷でも絶大な権力を誇る。

カロイブ

ムゾールの手下で凄腕の剣士。射撃もできて頭も切れる。冷酷で邪魔者は容赦なく排除する。

バージュスト・コトロネット

ネフィラとアルダロンを孤児院で育てた中年の騎士。酒好きでお気楽。

プロート・リルゴ

来年騎士に叙される見習いのまとめ役。時々優秀なネフィラに嫉妬して突っかかり、アルダロンと喧嘩する。

カーシャ・ドゥロン

ヴァンフォール城の食堂で働く娘。ネフィラの親友。

ロラン婦人

親戚を訪ねた帰りに聖剣を拝みにハイズンを訪れた貴婦人。

ダートル・ヘッグ

ロラン婦人の従者。頭脳明晰で記憶力抜群。

フィン

ロラン婦人の侍女。寡黙で愛想が無い。

フォリア・ぺプラント

ぺプラント商会の主・ガードンの母。レーニアの祖母。強欲で用心深い。

ガードン・ぺプラント

ぺプラント商会の主。フォリアの息子でレーニアの叔父。

ミロン・ヘトロネア

騎士団のあるハイズン地域の領主。オランドの父。小心者で世間の評判を気にしてばかりいる。

ストッド・フォンター

元騎士。17年前、妻を奪われそうになったためオランドを殺害し、処刑された。

レーニア

ストッドの妻。フォリアの孫娘。17年前の事件で姦通罪に問われたが、聖剣を持って逃亡し、川に落ちて死亡した。

オランド・ヘトロネア

領主・ミロンの息子。レーニアと密通し、怒ったストッドに殺害される。

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