花畑の少女
文字数 2,968文字
「こんな早くに、何のご用で来たの?」
その情景の美しさに見とれていたクリフより先に、ストッドはやや緊張しながら少女に声をかけた。少女は丸い青い瞳をこちらに向けると、頬をバラ色に染めて、はにかんだように笑った。
「いいえ、なにもご用があるわけではないの。ただ、仕事が始まる前に、遊びに来ただけ」
クリフが澄んだ声に聞き惚れていると、ストッドは更に訊ねた。
「一人で花畑で、なにして遊んでいたんだい?」
「お花を眺めていただけよ」
「それじゃつまらないだろう。友達か姉さんか妹と来ればいいのに」
「姉さんも妹もいないわ。ここに来たばかりでお友達もいないの」
「そう。じゃあ後でもう一度ヴァンフォール城へおいでよ。その時には見習いの子も、近所の子も、たくさん来ているから、すぐ仲良くなれるよ。僕たちが紹介してあげる」
「本当?」
ストッドは自身たっぷりに頷き、同意を求めるようにクリフを見た。クリフも急いで首を縦に振った。少女は花がほころんだように笑った。
この少女こそがレーニアだった。流行病で両親をなくし、祖父母であるペプラント夫妻の家に引き取られたのだと、その日の午後、少しの隙を見て城へ来たとき、そう話してくれた。
それからレーニアは、暇を見つけては城へ顔を出すようになった。
「おじいさんのお店はいつも忙しいから、たくさん手伝ってあげなくちゃいけないけれど、やっぱり遊びたいの」
それは単純に仕事が辛いという意味ではなく、養われている肩身の狭さから、長く家に居たくないという気持ちが表れたものだった。ペプラント家は粉や調味料の類を商う小さな商家だったので、孫娘といえど食い扶持が増えるのは歓迎できないらしい。
足しげく通ううちに、レーニアは城の中にすっかり詳しくなり、同じ年格好の友人や、騎士や騎士団で働く大人の知り合いも増えた。それでも最初に出会ったクリフとストッドは特別で、二人の修練のない時は、三人で過ごすのが当たり前になっていた。特に同じような身の上だからか、ストッドとレーニアは互いに特別な親愛の情を抱いていた。
時が過ぎ、二人は立派な青年と美しい乙女に成長した。その過程で、惹かれあっえのは自然な流れだった。
「騎士に叙されたら、レーニアに求婚したい」
まもなく揃って騎士に除されるという時、ストッドはクリフに言った。見習いの中では一番優秀なストッドは、きっと立派な騎士になるだろう。あの美しいレーニアとなら、この上なく似合いの夫婦となれるはずだ。何より二人の想いが同じなのは、よくわかっていた。
だが、クリフは求婚には反対した。
「騎士に叙されたばかりで、すぐに妻を迎えるのはどうか。新しい事を二つ同時に始めるのは忙しなくて、騎士の仕事と家庭が衝突することになりかねない。それに、騎士として何か任務をやり遂げ、皆から認められたところで求婚したほうが、ペプラント家の人も喜んでくれるだろう」
クリフでなくとも、落ち着いた性分で世間の常識を重んじる人間ならば、同じことを言っただろう。だが、言葉の裏に仄かな嫉妬があったのは確かだった。
同じように共に育ち、クリフもレーニアに惹かれないわけがなかった。だが彼女の心はストッドのものだ。ストッドは親友で素晴らしい青年である。クリフは彼から無理やり彼女を奪い取るなど考えもせず、二人が幸せになることを願い、自らはそれを見守ればいいとさえ思っていた。それでもこんなことを言ったのは、最後に少しくらい、己の感情を外へ表してもかまわないだろうと考えたからだ。
「確かにそうだな。どうも浮かれていたらしい。ありがとうクリフ。お前はいつも落ち着いていて、私に的確な助言をくれる」
ストッドは親友の嫉妬に気付くことなく、実直に感謝した。クリフの良心は痛んだが、どのみち二人は一緒になるのだから、婚礼が一、二年遅れるだけだと自らに言い聞かせてやり過ごした。
だが、二人の前途に突如、暗雲が立ちこめた。同じ頃、領主の息子オランドが、レーニアの美貌に目を留めて、妻にしたいとペプラント家に話を持ちかけたのだ。
「そりゃあ、ご領主様のヘトロネア家との縁談なんて、しがない商家の娘にとったら、光栄極まりないことでございますよ。ただ、あたしらにとっても可愛いたった一人の孫娘、おまけに子供のころ親を亡くしているときたもんで、はいどうぞ、なんて簡単にお渡しするのは気が引けますので」
フォリアは自ら屋敷を訪れたオランドに、暗に孫をただではやれないとほのめかした。この商魂逞しさは若い頃から変わっていない。
「勿論、応じてくれるのであれば、商売がうまくいくよう、我が家も援助は惜しまない」
オランドは鷹揚に応えた。これは願ってもない幸運。領主が後ろ盾となれば商売も何もかもうまくゆくにちがいない。夫婦は早速孫娘に縁談を受けるよう話をした。レーニアは当然、きっぱりと断った。
孫娘に想い人がいるとは、ペプラント夫婦にとっては初耳だった。聞けばもうすぐ騎士に叙される見習い騎士だというではないか。農夫よりはマシな相手だが、領主の息子とは月と
「お前は引き取って育ててやった恩を忘れ、こんな良縁を断り、見習い騎士風情に嫁ぐというのか! お前はこの祖父母の幸せをこれっぽっちも考えねぇのか!」
フォリアの夫イドルはひどく怒ったが、レーニアの心は変わらなかった。フォリアはひとまず夫を宥めて、レーニアにはよく考えるよう言ってその場を後にした。
「こりゃ好都合だよ」
「何が好都合だ。あの小娘、くだらん騎士ごときに懸想しやがって」
「お前さん、考えてもごらんよ、あたしらがあれこれねだったところで、結婚資金として数百の金と豪華な品物が三、四届けられるだけさね。それ以上調子に乗ったら、不興を買うどころか破談になりかねない。所詮あたしらはレーニアの祖父母ってだけだからね。でも、ダダをこねるのがあの
オランドを焚きつけて金目のものをいただこうという算段だ。イドルもこれを聞いて機嫌を直し、妻の言うとおり、しばらくはレーニアの好きにさせておいた。
オランドは、二人の予想通り、様々な贈り物をしてレーニアの気を引こうとした。もう少しいい家に引っ越したいとか、商売のため金をかしてほしいなど、レーニア本人は微塵も望んでいない頼みにも全て答えたので、ペプラント家は数人使用人を雇うほどには裕福になった。
ストッドが騎士に叙された日、レーニアは聖堂で儀式を見届け、中庭でストッドに会った。
「オランド様が私を妻にしようというの。お願い、私たち一緒になりましょう」
レーニアは焦っていた。祖父母が今のところ自分の自由を許しているのは、金品目当てであるとわかっている。時が来れば無理矢理にでも嫁がされてしまうだろう。