花畑の少女

文字数 2,968文字

 花壇と花壇の間の細い道に少女は立っていた。清らかな風に緩く波打つ金色の髪を(なび)かせ菫色(すみれいろ)のショールを肩にかけたその姿を、草花の上に光る朝露が輝かせていた。

「こんな早くに、何のご用で来たの?」

 その情景の美しさに見とれていたクリフより先に、ストッドはやや緊張しながら少女に声をかけた。少女は丸い青い瞳をこちらに向けると、頬をバラ色に染めて、はにかんだように笑った。

「いいえ、なにもご用があるわけではないの。ただ、仕事が始まる前に、遊びに来ただけ」

 クリフが澄んだ声に聞き惚れていると、ストッドは更に訊ねた。

「一人で花畑で、なにして遊んでいたんだい?」

「お花を眺めていただけよ」

「それじゃつまらないだろう。友達か姉さんか妹と来ればいいのに」

「姉さんも妹もいないわ。ここに来たばかりでお友達もいないの」

「そう。じゃあ後でもう一度ヴァンフォール城へおいでよ。その時には見習いの子も、近所の子も、たくさん来ているから、すぐ仲良くなれるよ。僕たちが紹介してあげる」

「本当?」

 ストッドは自身たっぷりに頷き、同意を求めるようにクリフを見た。クリフも急いで首を縦に振った。少女は花がほころんだように笑った。

 この少女こそがレーニアだった。流行病で両親をなくし、祖父母であるペプラント夫妻の家に引き取られたのだと、その日の午後、少しの隙を見て城へ来たとき、そう話してくれた。

 それからレーニアは、暇を見つけては城へ顔を出すようになった。

「おじいさんのお店はいつも忙しいから、たくさん手伝ってあげなくちゃいけないけれど、やっぱり遊びたいの」

 それは単純に仕事が辛いという意味ではなく、養われている肩身の狭さから、長く家に居たくないという気持ちが表れたものだった。ペプラント家は粉や調味料の類を商う小さな商家だったので、孫娘といえど食い扶持が増えるのは歓迎できないらしい。

 足しげく通ううちに、レーニアは城の中にすっかり詳しくなり、同じ年格好の友人や、騎士や騎士団で働く大人の知り合いも増えた。それでも最初に出会ったクリフとストッドは特別で、二人の修練のない時は、三人で過ごすのが当たり前になっていた。特に同じような身の上だからか、ストッドとレーニアは互いに特別な親愛の情を抱いていた。

 時が過ぎ、二人は立派な青年と美しい乙女に成長した。その過程で、惹かれあっえのは自然な流れだった。

「騎士に叙されたら、レーニアに求婚したい」

 まもなく揃って騎士に除されるという時、ストッドはクリフに言った。見習いの中では一番優秀なストッドは、きっと立派な騎士になるだろう。あの美しいレーニアとなら、この上なく似合いの夫婦となれるはずだ。何より二人の想いが同じなのは、よくわかっていた。

 だが、クリフは求婚には反対した。

「騎士に叙されたばかりで、すぐに妻を迎えるのはどうか。新しい事を二つ同時に始めるのは忙しなくて、騎士の仕事と家庭が衝突することになりかねない。それに、騎士として何か任務をやり遂げ、皆から認められたところで求婚したほうが、ペプラント家の人も喜んでくれるだろう」

 クリフでなくとも、落ち着いた性分で世間の常識を重んじる人間ならば、同じことを言っただろう。だが、言葉の裏に仄かな嫉妬があったのは確かだった。

 同じように共に育ち、クリフもレーニアに惹かれないわけがなかった。だが彼女の心はストッドのものだ。ストッドは親友で素晴らしい青年である。クリフは彼から無理やり彼女を奪い取るなど考えもせず、二人が幸せになることを願い、自らはそれを見守ればいいとさえ思っていた。それでもこんなことを言ったのは、最後に少しくらい、己の感情を外へ表してもかまわないだろうと考えたからだ。

「確かにそうだな。どうも浮かれていたらしい。ありがとうクリフ。お前はいつも落ち着いていて、私に的確な助言をくれる」

 ストッドは親友の嫉妬に気付くことなく、実直に感謝した。クリフの良心は痛んだが、どのみち二人は一緒になるのだから、婚礼が一、二年遅れるだけだと自らに言い聞かせてやり過ごした。

 だが、二人の前途に突如、暗雲が立ちこめた。同じ頃、領主の息子オランドが、レーニアの美貌に目を留めて、妻にしたいとペプラント家に話を持ちかけたのだ。

「そりゃあ、ご領主様のヘトロネア家との縁談なんて、しがない商家の娘にとったら、光栄極まりないことでございますよ。ただ、あたしらにとっても可愛いたった一人の孫娘、おまけに子供のころ親を亡くしているときたもんで、はいどうぞ、なんて簡単にお渡しするのは気が引けますので」

 フォリアは自ら屋敷を訪れたオランドに、暗に孫をただではやれないとほのめかした。この商魂逞しさは若い頃から変わっていない。

「勿論、応じてくれるのであれば、商売がうまくいくよう、我が家も援助は惜しまない」

 オランドは鷹揚に応えた。これは願ってもない幸運。領主が後ろ盾となれば商売も何もかもうまくゆくにちがいない。夫婦は早速孫娘に縁談を受けるよう話をした。レーニアは当然、きっぱりと断った。

 孫娘に想い人がいるとは、ペプラント夫婦にとっては初耳だった。聞けばもうすぐ騎士に叙される見習い騎士だというではないか。農夫よりはマシな相手だが、領主の息子とは月と(すっぽん)である。

「お前は引き取って育ててやった恩を忘れ、こんな良縁を断り、見習い騎士風情に嫁ぐというのか! お前はこの祖父母の幸せをこれっぽっちも考えねぇのか!」

 フォリアの夫イドルはひどく怒ったが、レーニアの心は変わらなかった。フォリアはひとまず夫を宥めて、レーニアにはよく考えるよう言ってその場を後にした。

「こりゃ好都合だよ」

「何が好都合だ。あの小娘、くだらん騎士ごときに懸想しやがって」

「お前さん、考えてもごらんよ、あたしらがあれこれねだったところで、結婚資金として数百の金と豪華な品物が三、四届けられるだけさね。それ以上調子に乗ったら、不興を買うどころか破談になりかねない。所詮あたしらはレーニアの祖父母ってだけだからね。でも、ダダをこねるのがあの()本人だったら、話は別さね。オランド様の様子からして、相当レーニアに惚れ込んどるみたいだ。あの娘が決めかねているから、あの娘が乗り気じゃないから、と言えば、オランド様は躍起になってレーニアの気を引こうとするはず。それをうまく利用するのさ。最後にきっちりお屋敷へ送り届ければ、文句も言われまい」

 オランドを焚きつけて金目のものをいただこうという算段だ。イドルもこれを聞いて機嫌を直し、妻の言うとおり、しばらくはレーニアの好きにさせておいた。

 オランドは、二人の予想通り、様々な贈り物をしてレーニアの気を引こうとした。もう少しいい家に引っ越したいとか、商売のため金をかしてほしいなど、レーニア本人は微塵も望んでいない頼みにも全て答えたので、ペプラント家は数人使用人を雇うほどには裕福になった。

 ストッドが騎士に叙された日、レーニアは聖堂で儀式を見届け、中庭でストッドに会った。

「オランド様が私を妻にしようというの。お願い、私たち一緒になりましょう」

 レーニアは焦っていた。祖父母が今のところ自分の自由を許しているのは、金品目当てであるとわかっている。時が来れば無理矢理にでも嫁がされてしまうだろう。
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登場人物紹介

ネフィラ

騎士団で育てられた孤児。女だが騎士見習いとして修行を積んでいる。非常に優秀で物分りがいい。クリフを敬愛している。

アルダロン

ネフィラの双子の兄弟。同じく騎士見習い。英雄グランジットのような騎士になることを目指している。素直で闊達な少年。

クリフ・パブラン

アディス騎士団団長。ネフィラとアルダロンの父親のような存在。特にネフィラをに愛情を注いでいる。生真面目で誠実なため、領民や団員からの信望も厚い。

 

ムゾール・ドルロア

トゥザリアの宰相。元は隣国シノンの貴族で亡命してきた。シュレーナ王妃の遠縁であり、シノンとの外交に欠かせない存在。そのため宮廷でも絶大な権力を誇る。

カロイブ

ムゾールの手下で凄腕の剣士。射撃もできて頭も切れる。冷酷で邪魔者は容赦なく排除する。

バージュスト・コトロネット

ネフィラとアルダロンを孤児院で育てた中年の騎士。酒好きでお気楽。

プロート・リルゴ

来年騎士に叙される見習いのまとめ役。時々優秀なネフィラに嫉妬して突っかかり、アルダロンと喧嘩する。

カーシャ・ドゥロン

ヴァンフォール城の食堂で働く娘。ネフィラの親友。

ロラン婦人

親戚を訪ねた帰りに聖剣を拝みにハイズンを訪れた貴婦人。

ダートル・ヘッグ

ロラン婦人の従者。頭脳明晰で記憶力抜群。

フィン

ロラン婦人の侍女。寡黙で愛想が無い。

フォリア・ぺプラント

ぺプラント商会の主・ガードンの母。レーニアの祖母。強欲で用心深い。

ガードン・ぺプラント

ぺプラント商会の主。フォリアの息子でレーニアの叔父。

ミロン・ヘトロネア

騎士団のあるハイズン地域の領主。オランドの父。小心者で世間の評判を気にしてばかりいる。

ストッド・フォンター

元騎士。17年前、妻を奪われそうになったためオランドを殺害し、処刑された。

レーニア

ストッドの妻。フォリアの孫娘。17年前の事件で姦通罪に問われたが、聖剣を持って逃亡し、川に落ちて死亡した。

オランド・ヘトロネア

領主・ミロンの息子。レーニアと密通し、怒ったストッドに殺害される。

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