即位式の報せ

文字数 2,995文字

 聖堂は領民たちが自由に出入りできるよう、城の正門を入ってすぐ目の前に設えられている。城の一部なので、やはり厳めしさがあるのだが、僅かに装飾が施された柱や壁、それに騎士たちの毎日の清掃のおかげで、聖堂らしい荘厳さと神聖さを醸し出している。

 長方形の部屋の奥に安置されているのは、建国の英雄にして、このアディス騎士団の創設者・グランジットの影獅子聖剣である。今から500年前、この地方がリュザル連合王国という一つの国から、数々の国に分裂した戦争の際、トゥザリア王国の初代国王に付き従った騎士グランジットは特別な力を秘めた聖剣を持ち、国王を助け武功を挙げた。建国後、国王は功臣への褒美として、聖剣にトゥザリアの象徴である光影獅子の影獅子を、自らの宝剣には光獅子をそれぞれあしらい、二振り一対とした。

 ヴァンフォール城のあるハイズンは、シノンとの国境にある。大国シノンへの備えとしてグランジットは騎士団を創設し、そして聖剣を聖堂に安置した。それ以降、トゥザリアの民は聖剣を護国の象徴として畏敬し、その神秘の力にあやかろうと何かにつけて祈りをささげに来るようになった。

 普段は一階で祈りをささげている民たちは、騎士たちの邪魔にならぬよう、今日は二階の回廊に上がって、野次馬の領民と一緒に下を眺めている。

 騎士は既に大勢集まっており、階級に応じて祭壇の前を開けるように両脇に整列していた。ネフィラとアルダロンも聖堂に入り見習いの列に加わる。見習いには十歳にも満たない幼子もいるので、年長であるネフィラたちは列の前方に立つ。

 騎士たちの様子を見ると、ざわついており落ち着きが無い。皆なぜ集合がかかったのか知らないようだった。前後の見習いたちの囁きに耳を傾けても、何が起きたのか知ることはできなかった。

 しばらく待っていると、祭壇の横の扉から臙脂色のマントを纏った騎士が、数人の騎士を引き連れて入ってきた。騎士たちは居住まいを正す。先頭の騎士こそが団長クリフなのだ。

 精悍な面差しに思慮深い瞳、しゃんとした立ち姿と鍛えられた体。鮮やかな臙脂色を揺らし、胸に金の勲章を煌めかせて、堂々と聖剣の前に立つクリフの姿を目にするたび、ネフィラの胸に誇らしさと敬愛の念が広がる。彼はまだ団長ではない時から、ネフィラとアルダロンを気にかけ、剣の稽古をつけてくれたり、一緒に馬に乗ったり、騎士として必要な事を全て教えてくれた。特に女であるネフィラにも立派な騎士になれるよう心を砕いてくれた。一人の騎士としても真面目で職務に誠実で、若い頃から評価が高く、団長になってからは騎士や領民からの信望を集めている。二人にとっては父親のような存在でもあり、尊敬すべき団長でもあるのだ。

 だが、そのクリフの表情がやや強張っているのが気になった。これはいよいよ重大事件なのだろうか。

 山吹色のマントを纏った副団長が、草色のマントの施設長たちに、それぞれ部下が揃っているか確認させた。見習いはプロートが点呼を取って報告する。

 それが終わると、急に正門の方が騒がしくなった。野次馬たちも身を乗り出して聖堂の入り口を見つめる。すると仰々しい赤い服を来て、円柱型の帽子をかぶった老人が静々(しずしず)と持聖堂に足を踏み入れた。後ろには従者と思しき人間が十人ほど、これまた揃いの赤い服を着て付き従う。老人のすぐ後ろの一人は、赤いリボンで結ばれた羊皮紙を捧げ持っている。

「誰だ?」

「国王陛下の使者だわ」

 ネフィラは本で読んだか誰かから聞いたかして、あの衣装と帽子は王命を伝えるために訪れた使者だと知っていた。道理でクリフも緊張していたわけだ。

 使者は騎士たちが作った道をゆったりと進んで、祭壇を背にするクリフの前で立ち止まった。クリフは跪いて左胸に手を当てる。他の騎士たちも一斉に倣う。

 使者はもったいぶって後ろの従者から丸めた羊皮紙を受け取り、リボンを解いて読み上げた。

「国王代行王妃シュレーナ、アディス騎士団団長クリフ・パブラン及び、全ての騎士に命ずる。

 五年前、先の国王グシュタール十二世崩御の後、本来は王太子カイルが即位するべきであったが、年若く病身ゆえに責務に耐えかねると判断し、私、太后が国王の執務を代行していた。

 しかし、宮中の侍医たちの努力によって、王太子の病状は快方へ向かっており、年齢も成人に達したので、本年七月に新国王即位の儀を執り行う。

 慣例に則り、騎士団長及び随行の騎士は、影獅子聖剣を携え儀式に参加せよ」

 二階の民衆が歓声を上げた。五年もの間空白であった国王の座に、ついに王太子が座るのだ。国王即位となれば、国を挙げての大祝祭となる。

 急な招集に、何か悪いことが起きたのではと気を揉んでいたが、一転めでたい知らせとあって、ネフィラはほっとした。他の騎士たちも伏せた顔に喜びを浮かべている。

 ただ、騎士団を代表してその知らせを受けているクリフのみ、なぜか浮かない表情だった。というより、顔がこわばり目が少し泳いでいる。ネフィラにはその僅かな変化が見て取れた。そして、団長の後ろに控える副団長や施設長たちも顔色が悪い。

(どうしたのかしら。王子様が即位されると悪いことでもあるの?)

 騎士団は王家直属の武力組織なので、トゥザリア王家に忠誠を誓っている。まさかその団長たるクリフが、即位に反対しているわけではないだろうに。

「どうした団長、返事をせぬか」

 聖堂中が喜びに包まれる中、クリフからの答えがないので、使者は少し声を落として催促した。

「……はい。アディス騎士団団長クリフ・パブラン、王命承りましてございます」

 クリフの返事が聖堂に響くと、民衆たちの歓声はまた大きくなった。施設長の一人が使者の前に進み出て、城の中の客間に案内する。使者も役目を終えて肩の荷が降りたのか、悠々と去っていった。

 使者の姿が見えなくなると、騎士たちも立ち上がって吉報を喜んだ。副団長はこのことを領地中に公布するよう命じた。数人の騎士が張り紙の準備をしに急いで聖堂を出て行く。

「やっとご即位されるんだな。これからは代行の王妃様じゃなくて、正真正銘の王様がこの国を治めるんだ」

 アルダロンは興奮気味に言った。ネフィラはそれに頷きながら、そっとクリフの様子を伺う。使者は去ったというのに、表情は晴れていない。やはり緊張によるものではなかったようだ。

「なぁなぁ、ひょっとして俺たち、王都へ行けるのかな?即位式には騎士団も参加するんだろう」

 ずっとハイズンで育ったアルダロンは、国の中心である王都を見られると、期待に胸を膨らませた。

「馬鹿だな。即位式に出席するのは団長とお供する何人かの騎士だけだ。騎士団はもともとシノンへの備え、全員で出かけてヴァンフォール城を空にするわけがない。おまけに見習いの俺たちがお供できると思うか?」

 プロートの言葉は正論だが、楽しい気持ちに水を差されたアルダロンは口をへの字に曲げてしまった。

 その間、ネフィラはクリフと役付きの騎士たちを注視していた。皆、聖堂中に広がる歓喜にそぐわない暗い表情で、寄り集まって小声で二言三言言葉を交わすと、副団長だけを残して静かに立ち去ってしまった。

「聞いた通りだ。いつ出立するか、誰が団長に随行するかなどは追って沙汰する。皆務めに戻れ」

 その副団長も皆に解散を告げると、団長たちの後を追って聖堂を出た。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

ネフィラ

騎士団で育てられた孤児。女だが騎士見習いとして修行を積んでいる。非常に優秀で物分りがいい。クリフを敬愛している。

アルダロン

ネフィラの双子の兄弟。同じく騎士見習い。英雄グランジットのような騎士になることを目指している。素直で闊達な少年。

クリフ・パブラン

アディス騎士団団長。ネフィラとアルダロンの父親のような存在。特にネフィラをに愛情を注いでいる。生真面目で誠実なため、領民や団員からの信望も厚い。

 

ムゾール・ドルロア

トゥザリアの宰相。元は隣国シノンの貴族で亡命してきた。シュレーナ王妃の遠縁であり、シノンとの外交に欠かせない存在。そのため宮廷でも絶大な権力を誇る。

カロイブ

ムゾールの手下で凄腕の剣士。射撃もできて頭も切れる。冷酷で邪魔者は容赦なく排除する。

バージュスト・コトロネット

ネフィラとアルダロンを孤児院で育てた中年の騎士。酒好きでお気楽。

プロート・リルゴ

来年騎士に叙される見習いのまとめ役。時々優秀なネフィラに嫉妬して突っかかり、アルダロンと喧嘩する。

カーシャ・ドゥロン

ヴァンフォール城の食堂で働く娘。ネフィラの親友。

ロラン婦人

親戚を訪ねた帰りに聖剣を拝みにハイズンを訪れた貴婦人。

ダートル・ヘッグ

ロラン婦人の従者。頭脳明晰で記憶力抜群。

フィン

ロラン婦人の侍女。寡黙で愛想が無い。

フォリア・ぺプラント

ぺプラント商会の主・ガードンの母。レーニアの祖母。強欲で用心深い。

ガードン・ぺプラント

ぺプラント商会の主。フォリアの息子でレーニアの叔父。

ミロン・ヘトロネア

騎士団のあるハイズン地域の領主。オランドの父。小心者で世間の評判を気にしてばかりいる。

ストッド・フォンター

元騎士。17年前、妻を奪われそうになったためオランドを殺害し、処刑された。

レーニア

ストッドの妻。フォリアの孫娘。17年前の事件で姦通罪に問われたが、聖剣を持って逃亡し、川に落ちて死亡した。

オランド・ヘトロネア

領主・ミロンの息子。レーニアと密通し、怒ったストッドに殺害される。

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み