不可解な記録
文字数 3,014文字
「宰相閣下が何をしようと、お前らごときに咎められるいわれはない。宰相様が俺に何を調べさせてもだ」
「ですが、ここへ入る時に氏名や身分を偽るのは禁じられています。たとえ宰相閣下といえど許されません」
ネフィラはなおも正面からカロイブを見据え、凛とした声で反論した。もう少し付き合ってやろうと、カロイブは言葉を返す。
「どうかな? 宰相閣下の仕事は多い。しかも、お隣シノンとの外交を一手に担っていらっしゃる。今回の件とは別に、この地域について調べたいことがおありだったとしてもおかしくないだろう。それを鬼の首を取ったように言い立てたら、皆お前たちが騎士団のために必死に粗探ししていると呆れかえるだろうな」
言葉に詰まったネフィラを見て、カロイブは笑った。久しぶりに楽しい会話ができた。王都にもこれくらい張り合いのある相手がいればいいのだが。
愉快なまま立ち去ろうとするカロイブ。ネフィラはその背中にさらに食らいついた。
「外交に関わるのに素性を隠してこそこそ調べなくてはいけないなんて、いったいどんな問題でしょうね」
ピタリとカロイブの靴音が止む。ピリリと空気が張り詰めるのを感じて、プロートはもうやめろと目顔で訴えた。だがネフィラはあえて無視する。
「何か問題があるなら、堂々とムゾール閣下のお名前を出せば、捜査もずっと楽でしょうに、それを隠すとは、宰相閣下の名前が知られてはいけない理由でもおありで?」
「……小娘、口が過ぎるぞ」
適度な反抗は心地よいが、度が過ぎると憎たらしくなるものだ。振り返ったカロイブは突き刺すような眼でネフィラを睨みつけ、剣の柄に手をかけた。プロートも反射的に剣に手をかけるが、ネフィラは両手を自然に垂らしたままだった。
「ここで騒ぎを起こしたら、宰相閣下はやましいことをしているのだと証明しているようなものです」
今度はカロイブが言葉を失った。小賢しい娘一人切って捨てるのはわけないが、その子娘の言う通り、余計な衝突は避けるべきだ。怒りで震える掌をどうにか柄から降ろす。
「小娘、宰相閣下を侮辱したこと、いずれ後悔するぞ」
地を這うような声で捨て台詞を吐くと、カロイブは身を翻して立ち去った。ネフィラは顔を上げたまま、その背中から目をそらさなかった。
「お前、余計なことを言うな。殺されるところだったぞ」
「騎士の友は蛇の前に立ちふさがる母兎の勇敢さと、天高くそびえる山の頂の誇り。死を恐れないし、小娘の見習いだからと馬鹿にされて黙っていられないわ」
反応を面白がられていたと、ネフィラはわかっていたのだ。
それより重要なのは、カロイブが17年まえの事件の資料を見ていた事だ。
(事件自体に何か裏があるのかもしれない)
ネフィラは棚近づいて、カロイブが見ていた記録を手に取った。
綴じられた本には17年前の晩秋から冬にかけての事件の記録が載っていた。左上の見出しを注視しながらパラパラとページをめくると、中ほどにオランド殺害事件の記録を見つけた。
内容は事件の経緯と、殺害現場の状況を描いた図、そして裁判の記録と判決、刑の執行日である。
事件の経緯は聖剣紛失について一切の記載がないだけで、他は副団長の話と大差なかった。裁判でストッドは何の弁明もせず、素直に罪を認めて刑に服したようだ。記録は見開き1頁で終わっている
その後にストッドの妻レーニアの裁判もおこなわれる予定だったようだが、ストッドの処刑の翌日、逃亡の末死亡したため取りやめになった、と一言添えられている。
すんなりと片がついた殺人事件。一見そう見えるが、記録の少なさに違和感があった。いくらストッドが潔く罪を受け入れたとはいえ、裁判の記録がこれほど少ないとは思えない。まして、殺害されたのは領主の息子だ。他の事件記録と比べても、あまりに少なすぎる。
レーニアが死亡したのはストッドの死の翌日。つまり騎士団が隠蔽したのはレーニアの死にまつわる部分である。オランド殺害事件に関しては、触る必要は無かったはずだ。
ネフィラは最初から記録を見直した。現場の状況図も仔細に眺める。そして、奇妙な事に気づいた。オランドが剣を持っていたのである。
オランドの遺体は祭壇の手前で倒れており、剣はそこから二十歩離れたところに落ちていたそうだ。領主の息子なので、剣の一振りや二振り持っていてもおかしくは無い。だが、騎士や軍人ならともかく、ただの貴族の子息が特別な理由無く剣を持ち歩くだろうか。
そしてもう一つ、検死係による遺体の状態の説明も不自然だった。ネフィラたち騎士の剣は細長く、基本的に突く動作を主としている。切ることもできなくはないが、体の表面を切り裂く程度で、『体を無数に切り裂かれ、内蔵も露出していた』と記述されるまでの傷は負わせられない。
調査の際は遺体の傷が容疑者の所持していた凶器と一致するかどうかで加害者を特定する。それくらいの事なら、騎士としてあらゆる修練を積むネフィラにはわかった。だがこの記録を見る限り、傷と凶器が一致していないように思われる。だからと言って、ストッドがどんな凶器を使ったのかどこにも記載が無い。念のため他の殺害事件の記録にも目を通してみるが、全て、誰が何を使ってどのように殺害したと、具体的に記述されているし、それを裏付ける検死の結果も詳細に残されている。だがオランド殺害事件には、それらが何も無い。
(おかしい。やっぱり事件に何か隠されている。その何かを巡って、ペプラント商会は領主様から口止め料として、塩の専売権をもらったのかしら。そして、ムゾールはその何かをだしにして、領主様から聖剣が偽物だと言う事を聞き出した)
頭の中であらゆる仮説が次々と組み立てられていく。しかし肝心のムゾールの狙いだけがわからないままだ。アルダロンはムゾールを探っているので、彼が戻ってきたら何かわかるかもしれない。それまでに頭の中を整理しておきたい。ネフィラは記録を戻すと早足で部屋へ駆ろうとした。それをプロートが呼び止める。
「どうしてあのカロイブとか言う奴と同じ記録を見ていたんだ?」
誰よりも騎士団廃止に心を痛めていたというのに、記録を調べにきたりして、プロートは何かおかしいと感じていたのだ。
「言っておくが、余計な事をするなよ。ますます騎士団の立場が悪くなったら困るだろう」
「私は別に。ちょっと気になっただけよ」
秘密にすると決めたのに、ついわかりやすい行動を取ってしまった。だがあれこれ言い訳すると、ますます勘ぐられるだろう。ネフィラは一言でごまかして、小走りで文書庫を出た。
カロイブは領主の館で部下を集め、ネフィラを調べるよう指示を出した。
「あの口ぶり、ただ向こう気が強いだけではなさそうだった。何かたくらんでいるかもしれん。特に団長と何か関係が無いかよく探れ」
昨日尾行してきた犬ころも先ほどの小娘も、こちらの目をくらますためクリフが動かしているとカロイブは読んでいた。クリフのことも見張らせてはいるが、怪しい動きは何も無かった。よほど警戒しているのか勘付いたのか。どちらにせよクリフは簡単に片が付く相手ではない。七日後に決着がつくまで油断はできなかった。